第10話
『おはなし会』の日になり、授業が終わると僕はいつもの空き教室へと向かった。
あんなことがあったからきっとリーゼは来ない。でも、ちょうどよかった。いろいろと考えることがあって、ひとりで頭の中を整理するのに、あの教室は悪くない場所だ。
中庭に接している廊下を歩いていると、ルビィ・リビィが四人の生徒に囲まれているのを見つけた。
相変わらず、いじめは続いているようだった。いつもの僕ならたいして気にもとめなかっただろうが、今日はどうしてか足が止まる。
いじめっ子グループのリーダー格、リアム・ドルトンがルビィが持っている巾着袋を笑いながら奪おうとしている。ルビィはそれを抱え込み、校舎の石壁に追い詰められていた。
いじめは嫌なやつがすることだという認識は、僕だって持っている。ではなぜ止めないのかといえば、止める価値が見出せないからだ。
ルビィともリアムとも、僕は会話すらしたことがないのに、そこにわざわざ割って入る意味はあるか? いじめを止めることで僕の人生は好転するのか? むしろ、リアムたちいじめっ子に敵視され、面倒ごとに巻き込まれるに決まっている。
損得で考えたら、僕はいつも正しい選択を取ってきたはずだ。そう思っているはずなのに、一方で自分が少しずつ削られていくような据わりの悪さも感じていた。
あの夏の日に、小さな魔物を蹴り殺したとき。立場を守るために後輩の死を利用したとき。そして、いじめを静観したとき。
こういうことが積み重なり、その度に何かを失っていったら? エルサが言っていたように、少しずつ人格が変化していって、いつか取り返しのつかない場所まで行ってしまうのではないか。それは長期的に見て損と言えるのではないか?
いや待て。結局損得の話になっている。もうわけがわからなくなってきた。
だけど、いろいろ考えている間に僕の足はすでに彼らのもとへと向かっていた。
「何をしているんだ?」
ルビィから巾着袋を奪って中を覗こうとしている四人に後ろから声をかけると、彼らは一斉に振り返った。
「うわっ、ロイ・アヴェイラム!」
一人が驚きの声を上げた。
「な、なんだよ。お前には関係ないだろ」
グループのリーダー、リアムが僕に近づいてくる。
「関係あるさ。僕は生徒会長だからな。この学校を生徒たちにとって過ごしやすい環境にしたい」
リアムが鼻で笑う。
「何が歴代最高の生徒会長だよ。こんな嘘くさいやつの言葉にみんな簡単にだまされやがって。マジで馬鹿ばっか」
「まだなったばかりだというのに歴代最高か。光栄なことだ」
「俺が言ったんじゃねぇよ。お前にだまされたシンジャどもがうるさいんだよ」
「僕は誰も騙したことはない。いつも生徒のためを思ってやってきたし、これからもそうするつもりだ」
「はー嘘くさ。その目が嘘くさいんだよ! 俺のクソ親父と同じでさ!」
リアムがさらに一歩踏み出して僕を睨みつけてきた。ちょうどいい位置に来たから、僕は彼の左手首を掴んだ。その手はルビィから奪った巾着袋を持っている。
「なっ、離せ!」
リアムが掴まれた手を振り解こうとするが、魔力で強化された僕の力には敵わないだろう。
「これを彼に返すんだ。リアム・ドルトン」
ぐっと力を入れて彼の手を持ち上げた。
「離せよっ」
リアムはそれでも手を離さないから、僕は握る力を強めていった。彼は根を上げ、袋を手放した。僕は空いている左手で落下しているそれを掴んだ。
「ありがとう」
袋を渡してくれたことに感謝を言い、僕はリアムの手を離した。
リアムは掴まれていたところを押さえながら、僕から距離を取り、ちっ、と舌打ちをした。
「俺はだまされねぇからな」
リアムは最後に僕をひと睨みすると、取り巻きたちを連れて去っていった。
地べたに座ってぼうっと僕を見ているルビィに歩み寄り、袋を差し出した。
「ほら」
「ありがとう」
ルビィは袋を受け取ると、平坦に感謝の言葉を告げた。彼の声を初めて聞いたかもしれない。
「ああ」
気まぐれでこんなことをしたが、なんの感慨もなかった。じゃあ、この行動に何の意味があったんだ?
結局よくわからないまま、僕はルビィに背を向け、歩き始める。
「エルサ・アヴェイラム」
ルビィが発した名前に僕は足を止め、振り返った。
「僕の母がどうかしたか?」
「僕のお母さんと同じところで働いてるんだよ」
ルビィはじっと僕の目を見て言った。
話に興味を引かれ、ルビィの隣まで戻り、石造りの校舎に背中を預けた。
「君の母親も王立研究所勤めなのか?」
「うん。ロイ君のお母さんとは学園のときからずっと一緒なんだって」
「それは知らなかったな」
「知らなかったんだ。それじゃあどうしてここに来たの?」
ルビィは不思議そうに首を傾げた。
「なぜって、君は困っていただろう? 大事なものを奪わるところだったじゃないか」
「でもロイ君はそういうことしない」
なぜか断言されたが、たしかにいつもの僕だったらすることのない行動だ。しかし、公の場では、人に好かれるような人物をちゃんと演じてきたつもりだったから、怪訝に思う。
さっきリアムにも嘘くさいと言われたし、一部の生徒には見透かされているのだろうか。
「余計なお世話だったか?」
「ううん。これ、取り返してくれたから」
ルビィが袋を撫でた。
もっと無口な子だと思っていたけど、意外と会話ができる。でも表情は変わらないし、声に感情が乗っていないから、何を思っているのかわかりにくい。
人形みたいだ。
「つまり君は、僕の選択によって得をしたというわけだな」
「そうだね」
「それじゃあ反対に、君を助けて僕は何か得をしたと思うか?」
他意などない純粋な疑問だったが、これではまるで助けた対価を要求しているようだと思った。
ルビィはじっと僕の目を見てくる。答えを考えているのか、質問の意図がわからないのか、判断がつかない。
やっぱり忘れてくれ、と言おうとした直前にルビィが口を開いた。
「行動は考え方を決めるんだよ」
「行動が考えを――それは逆じゃないか? 考え方が行動を決めるんだ。学者になりたいと思うから勉強するだろ? 勉強するから学者になりたいわけじゃない」
「ううん。物語の中だといつも行動が先なんだよ。花を育てると優しい気持ちになるし、踊ると楽しい気持ちになる」
物語の中? 小説か何かの話だろうか。
「でもそれは物語の中の話だろう?」
「同じだよ。勉強をして、面白くなって、学者になりたいと思うんだよ」
なるほど。
妙に納得してしまった。行動が先で、考えが後からついてくるなんて考えたことなかった。
「君は面白いやつだな、ルビィ・リビィ」
「面白い?」
ルビィはコテンと首を傾げた。
「ああ。無抵抗にいじめを許容しているだけの、自分の考えをも持たない人間だと思っていたよ」
「――人形みたいに?」
ルビィの口から人形という言葉が出て、ちょうどさっき僕が思ったことだったから、心を読まれているのではないかとギョッとする。
「ああ、人形みたいに。でも本当の君は、僕よりよっぽど自分の意見があるらしい」
「そうなんだ」
「知り合えてよかったよ――ほら、握手だ」
僕は地面に座っているルビィに手を差し出した。ルビィは差し出された僕の手をポカンと見つめていたから、僕は催促をするように手を振ると、ようやく彼は僕の手を握った。
そのまま彼を引っ張り起こす。
「うわあっ」
ルビィが小さく悲鳴を上げた。
「人形は驚かないよな」
本当に人形だと思っていたわけではないけど、初めてルビィの顔に感情が浮かんだのを見て、思わずつぶやいた。
行動が考え方を決めるというのは、正しいのかもしれないな。
気づけば、うじうじと悩んでいた閉塞的な感じはなくなっていて、思考がクリアになっていた。
「また話そう、ルビィ・リビィ」
さっきよりも軽くなった足で、僕は空き教室へと向かった。
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