第8話


 後日、母親に連れられて生徒会室に現れたリーゼに『おはなし会』について説明すると彼女は困惑した様子を見せながらも、一応は参加することに同意してくれた。

 それからまもなくして第一回の『おはなし会』が行われることとなった。

 生徒会室の近くの空き教室を借り、僕は二列目の長椅子に座ってリーゼを待っていた。

 少しして教室前方の入り口が開き、リーゼと彼女の母親が入ってきた。

 母親の方は僕に軽く挨拶をすると、すぐに部屋から出ていった。リーゼは僕と中央の通路を挟んで同じ列に座った。



「さて、始めるか」



「はい……」



 リーゼは相変わらず元気がなく、小さな声がかろうじて僕の耳に届いた。事件の前は元気な子だったな、と思いを馳せる。



「今日はアンジェリカの死について、君が思っていることを語ってもらいたい」



 踏み込んだ内容だが、リーゼの状態を分析するためには避けては通れない話題だ。

 リーゼは黙っている。

 左を向けば、不安げに瞳を揺らして僕の方を見ているリーゼと目が合った。



「――隣に行ってもいいですか」



 リーゼが弱々しく尋ねてくる。



「必要か?」



「怖いんです。思い出すと怖くて……」



 あまり気は進まないが、その方が話しやすいというのならば仕方がない。



「構わない」



 僕が二人分くらい右にずれると、彼女は鈍い動きで立ち上がり、わざわざ僕のすぐ隣に詰めて腰を下ろした。そして、机に置いた僕の左手に右手を重ねてくる。

 触れられていることに僕はぞわぞわと落ち着かなくなって、反対の手で彼女の手を引き剥がした。

 リーゼを見ると、たった今引き剥がされた右手を見つめている。

 過剰に反応してしまったような気がしなくもないが、こういうのは困る。気持ちが悪い。

 アンジェリカの代わりを求めているのかもしれないが、それは僕の役目ではないのだ。



「さて、リーゼ。アンジェリカとの話を聞かせてくれ」



「――アンジーとは二年生で初めて喋ったの」



 リーゼはゆっくりと語り始めた。

 リーゼとアンジェリカは二年生で同じクラスになってから、急速に仲良くなった。家格に大きな差がなかったことも彼女らにはプラスに働き、親同士も二人の交友関係を歓迎していたようだ。

 三年生になると、家柄も能力も十分に備わっていた二人は生徒会に立候補し、アンジェリカが一位、リーゼが二位の得票数で、生徒会に選ばれた。

 選挙で勝ち負けはついたが、そのあとも二人の仲は変わらず、お互いの家に遊びにいく関係は続く。



「夏はアンジーの庭でよくお茶会を開いたの。芝生に座っておはな遊びをして、暗くなるまでずっとおしゃべりしてた。あの日も――」



 綺麗な白い花を取ってきてあげる、と言って、アンジェリカはリーゼを残し、花を摘みにいく。オーベルトの領地がある北部の地方に咲く、寒さに強い花だ。王都の気候だと、冬に花を咲かすという。

 しばらく待ってもアンジェリカが帰ってこないことを不審に思い、リーゼは彼女を探しに茂みの中に入っていった。隠れているのかもと思い、夏の暑さに汗だくになりながら、必死にアンジェリカの名前を呼んだ。姿を現さないアンジェリカに怒ったふりをして、先に家の中に戻ってるから、と言ってみたりもした。

 でもアンジェリカは出てこなかった。

 あたりが暗くなり始め、リーゼは大人を呼びに行くことにした。すると、アンジェリカが茂みの奥の方へ歩いていくのが見えた。



「『アンジー!』って呼びかけても、全然振り向いてくれない。ふらふらと私から離れていく。少しして誰か大人の足音が聞こえてきて、そしたら、痛い、助けてって。助けてリーゼって叫んでた。ずっと叫んでた! 聞こえてたのに――アンジーはずっと、何回も何回も何回も私を呼んでたのに! アンジーの手脚がちぎれて……私……私は何も……」











「でもそれっておかしくないか?」



 『おはなし会』の翌日、定例会議を始める前にリーゼから聞いた話をヴァンに聞かせてやると、彼は腑に落ちないといった表情をした。



「何がだ?」



「だって、夏だったのが急に冬になってるじゃないか」



「ああ。過去に庭で遊んだ記憶と事件の日の記憶が混ざり合っているようだ」



「それに、リーゼは悲鳴や物音は聞いてないって話だったよな? なのになんでアンジェリカの悲鳴が聞こえたって話になってるんだよ」



「悲鳴はおそらく聞いていないと思う」



「じゃあリーゼが嘘ついてるって言うのか?」



「違う。リーゼの中では聞いたことになってるだけだ」



「どういうことだよ」



「事件後にいろんな人から同じ質問をされたからだろう。何か物音や悲鳴のようなものは聞かなかったか、ってね。何度も繰り返し聞かれているうちに、いつしか悲鳴を聞いたはずだと思い込んだんじゃないか?」



「思い込むって、なんでそんなことが……」



「彼女が誘拐犯につながる手がかりを証言できていれば、アンジェリカは殺される前に救い出せたかもしれない。だから悪いのは全部リーゼだ」



「そんなわけないだろ! リーゼにはどうすることもできなかった!」



「僕もそう思うさ。でも本人はどう思っているか。責任感か罪悪感か知らないが、悲鳴を聞いていたのに何もしなかった自分という歪んだ記憶を作り出してしまっても、僕はおかしくないと思うね」



「くそっ。悪いのは犯人なのに。アンジェリカを殺した犯人を今すぐ見つけ出して殺してやりたいよ」



 ヴァンは固く拳を握り込み、声に怒気を含ませて言った。

 その凄みに気圧される。彼がここほど怒りの感情をあらわにしたのを見たのは初めてだった。

 当然か。関わりのあった後輩が殺されたのだから。

 ヴァンは拳を緩めると、こちらを向いた。



「ロイ、そろそろ『裁き』について話し合おう。生徒会が俺たちの代に変わって一番初めの大仕事だ。アンジェリカのためにも、絶対に犯人に報いを受けさせるぞ」



 ヴァンが瞳に炎を灯し、力強く言った。



「――え?」



 『アンジーに救済を』というスローガンは、僕の想像を遥かに超える規模で街に浸透していった。

 まず附属校の生徒たちを介して親へと伝わった。すると、それを聞いた親からアンジェリカの両親まで話が伝わり、彼らは住まいであるタウンハウスに『アンジーに救済を』と描かれた大弾幕を張った。さらにそれが新聞の記事で取り上げられ、救済運動と呼ばれながら、どんどんと大きくなっていったのだ。



 救済運動がここまで広まったのは、殺されたアンジェリカがこの国有数の大地主の令嬢であったことも大きい。

 オーベルト家は、北方の広大な領土を所有する、由緒ある家柄だ。グラニカ王国はもともと、当時グラニカ島に存在していたいくつかの国が初代女王となったラズダ姫によって統一されて誕生した国だから、中には統一前から存続する、国の歴史よりも古い家があったりする。オーベルトもそんな貴族のうちのひとつで、まだ幼いながらも、その洗練された立ち居振る舞いと、高家の生まれらしい泰然自若とした雰囲気を身に纏っていたアンジェリカは、学校での人気もさることながら、社交界でも大変衆目を集める存在だったらしい。

 ゆえに、アンジェリカの死は、人々の目にあまりにも悲劇的に映り、犯人への怒りは巨大に膨れ上がっていた。そして、救済運動がその怒りの向ける格好の的となったのである。



 もともとのスローガンの『悪に裁きを』の部分は、運動が広まっていく過程でいつしか削ぎ落とされていったが、『アンジーに救済を』の文言の中にそのニュアンスは組み込まれ、今では、悪を裁くことによる魂の救済を目的とした運動となっている。

 それが災いしたのか、僕にとっては大変困ったことになった。まったく意図していなかった方向に話が進んでいるのだ。

 ヴァンが『裁き』について話し合いをしようとか言い出したときは、何をわけのわからないことをと思ったものだが、詳しく話を聞いていくうちに自身の置かれている状況を理解し、戦慄した。

 いつの間にやら、アンジェリカを殺した犯人を僕たち生徒会がきっと懲らしめてくれる、などと期待する声が校内で多数上がっているらしい。

 どうやって僕たちが犯人を懲らしめるんだ? そういうのは大人に任せておけばいいんだ。

 とは思うものの、どうしてこうなったのだと嘆いても、僕が不注意だったとしか言えなかった。

 調子に乗って『悪に裁きを』だとか『アンジーに救済を』だとか、生徒たちを煽るために思ってもいないことを並べ立てたツケが回ってきた。僕はべつに、裁きを僕自身の手で下すなんてことは一言も言ってないし、まったくそのつもりもなかったのだが、生徒会長の就任式の挨拶で言ってしまったのがまずかった。

 過去に生徒会選挙の演説会で送迎馬車システムを提案し、生徒会に入ってから実際に導入したという実績が僕にはある。それが裏目に出て、今回のも実現可能な公約の類だと思われたのかもしれなかった。



「犯人を懲らしめる前に、まずは正体を突き止めないとな。クインタスが犯人だという話もあるけど、ロイはどう思う?」



 ヴァンが僕に問う。本当に僕たちで犯人をどうこうするつもりらしい。



「冗談はやめてくれよ」



 馬鹿馬鹿しくて鼻で笑ってしまう。どう考えても子供の僕らが出る幕じゃないだろ。



「冗談? 何がだよ」



「本気で僕たちが犯人を捕まえるべきだと思っているのか?」



「当たり前だろ! アンジェリカは俺たちの仲間だったんだぞ。ロイだって同じ気持ちだろ?」



「やりたいなら一人で勝手に救済運動にでも参加してこればいい。今ならアルクム通りで民衆が毎日飽きもせずやってるだろうよ」



「なっ――全部ロイが始めたことだろ! 今更投げ出すのかよ!」



「まさか貴様まで真に受けていたとはな。あんなのはただの政治的なパフォーマンスさ。あのときはアンジェリカの首に『アヴェイラム』の文字が刻まれていたというだけで僕に非難の目が向いていたからな。実際あのスピーチのおかげで、今じゃあ誰もが救済運動にご執心だろ? その結果僕に向いていた疑いの目は消え、生徒会会長として最高のスタートを切ることができた。事件のことはもう、大人にでも任せて、僕たちは学校のことを――」



「ロイ」



 ヴァンが低い声で僕の話を遮った。

 ヴァンと目が合い、ヒッと声が漏れそうになる。彼は、さっき犯人を殺してやりたいと言ったときと同じくらい鋭い目で、僕を睨んでいた。

 ヴァンが何かを言おうと口を開け、僕は唾を飲み込んだ。

 そのとき、部屋のドアが押し開けられる音が聞こえ、僕とヴァンは同時にそちらへと顔を向けた。



「ロイ先輩……」



 リーゼが立っていた。



「や、やあリーゼ。今、ちょうどヴァンと会議を始めるところだったんだ。君も参加――」



「アンジーのこと、利用したんですね」



 彼女のくらい瞳が僕を射抜いた。

 部屋の空気が重い。

 ヴァンを見ると、彼もまた僕を責めるように睨んでいた。



「な、なんなんだ、二人とも……。生徒たちは喜んでる。生徒会の印象も良くなった。だれも損をしていないじゃないか」



「ひどい……。さ、最低ですっ。ロイ先輩は人の心がわからない! だから平気で私の手を振り解けるんです。なんで私、信じてたんだろう――先輩とはもう一生話さない。絶対に許さないからっ」



 リーゼは一頻り叫ぶと、すぐに部屋から出ていった。

 僕が呆然としていると、ヴァンが立ち上がり、彼女の後を追いかける。部屋を出ていくとき、ヴァンはこちらを振り向いて言った。



「やっぱりそういうやつなんだな」


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