第4話


 学校からの帰り道、馬車の窓から通りを眺めていると、『ラズダ書房』の看板が上がっているのを見つけた。魔物被害の煽りを受け、ここアルクム通りの店も何軒か閉店したが『ラズダ書房』もそのうちのひとつだった。

 もう二年も前のことになる。行きつけの書店だったから、看板が下がっているのを見て寂しく思ったのを覚えている。

 僕はすぐに馬車を止めさせ、久しぶりにその店のドアを開けた。



 中には若い婦人と女学生が二人いた。閉店する前は僕がいつ行っても人気ひとけがなかったから、人がいるというだけでちょっとした驚きだった。

 彼女らは二人とも真ん中の本棚の同じコーナーを真剣に物色している。女学生――附属校卒業後に僕が行くことになる学園の制服を着ている――が本を一冊手に取り、納得したように一度頷くと、カウンターの方へ歩いていった。

 入口から右手側にあるカウンターには、大きめの黒縁の眼鏡をかけた青年が座っている。

 彼がいつもしているあの眼鏡は、レンズが青みがかっていて目元がよく見えない。そのせいか、彼からは影のある雰囲気が漂っていて、本屋という空間とよく調和していた。静かに座っている姿は陰気というよりは浮世離れした感じで、見ていると吸い込まれそうになる不思議な引力があった。

 久しぶりだからぐるっと店内を見て回ろうと思い立ち、僕はカウンターとは反対側の通路に入った。



「こ、これ借ります!」



 カウンターの方から声が聞こえてくる。





「カードは持っていますか?」



 店主の声だ。



「あ、す、すみません……。これ、お願いします」



 筆記具で何かを書く音が聞こえてくる。



「貸し出し期間は二週間です」



 店主が淡々と言った。



「わかりました――あ、あの! 明日また来てもいいですか?」



「二週間以内にまたお越しください」



「あ、そ、そうですよね……。失礼します……」



 女学生は慌てた様子で店を出ていった。

 順に本を見ていき、カウンターの近くまで来ると、ちょうどもう一人の客が本をカウンターに持っていくところだった。

 女性は小物いれレティキュールからカードを取り出し、本と一緒に店主に手渡した。本の背に『皇太子のまなざし』と書かれているのが見えた。

 店主は紙に何かを書き記すと、本とカードを女性に渡した。



「貸し出し期間は二週間です」



「ありがとう。またすぐに来るわ」



 女性は店主にウィンクをしてから店を出ていった。

 ドアが閉まり、僕はカウンターに近づいて店主に声をかけた。



「やあ店主。久しぶりだな」



「そうだな」



「店が再開していたなんて気づかなかったよ。いつからだ?」



「二か月前からだな」



「今は女性客が多いのか?」



「ああ。少し前から王都の女性の間でロマンス小説が流行っているからな。貸本業とは相性がいい」



「ロマンス小説ねぇ。文章が軽いからサクッと読めるのだろうか。一度に何冊か借りられるようにしたらどうだ?」



「いや、今も最大で三冊まで借りられるようになっている」

「ふぅん? じゃあなんであの二人は一冊ずつ借りていくんだ?」



「さあな」



 本屋に来ること自体が目的になっているのだろうか。日常と切り離された静かな空間で、素敵な本との出会いを期待する。

 少しわかる気がする。



「店主は流行には聡いのか?」



「流行? ロマンス小説のことなら、知人から聞いただけだ」



「そのこともそうだが、その首の――」



 店主はギョッとしたように右手で自身の首元に触れた。

 急な動きだったから、僕は驚いて言葉を止める。



「これのことか?」



 店主は首に巻かれたスカーフを指でつまんだ。



「あ、ああ。最近首に巻くスカーフが流行ってると聞いたんだ。サルトルで買ったものだろう、それ」



「これは――知人が勝手に買ってきたから巻いているだけだ」



「ふうん? まあいいや。なにはともあれ、お気に入りの店が繁盛しているようで、常連客の僕としては嬉しいよ」



「常連を自称するなら、あなたも少しくらいは店に貢献してくれ」



「おっしゃる通りだ。それじゃあ『日刊ファサード』を一部」



 制服のポケットに入っていた布袋から硬貨を取り出し、カウンターに置いた。



「今日のところはこれで失礼するよ。外に馬車を待たせているんでね。この二年間大変だったと思うが、店主が変わりなくて安心したよ。それじゃあ」



 カウンターに積まれている新聞の中から今日の『日刊ファサード』を一部手に取り、店主に背を向けた。



「俺もあなたが変わっていなくて安心したよ」



 後ろから店主の声が静かに届いた。

 店を出てドアを閉める直前、店主の方を見た。彼はじっと、僕の方を見ていた。

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