第三章
第1話
僕の体は冬を快適に過ごすようにデザインされているらしい。
秋を迎え、これから寒くなっていく段になると、毎年意味もなく胸が高鳴る。
生徒会室へと向かう途中、吹きさらしの寒々しい石畳の廊下を、中庭で走り回る下級生を横目にひとり歩く。
もう生徒会に入ってから一年半も経つのか。よくここまで続けることができたと自分を褒めてやりたい。始まりは周りの圧力に負けて仕方なくではあったが、
ふと、中庭の隅っこの方に目を向けると、四人の生徒が一人の生徒を取り囲んでいるのが見えた。
同級生だ。遊んでいるという雰囲気ではない。たぶん、いじめだろう。
囲んでいる方はスペルビア派閥のそこそこの地位の貴族令息たち。同じ学年にヴァンがいて霞んでしまっているが、別の学年だったらもっと大きな顔ができたであろう子供たちだ。
対して囲まれているのは、ルビィ・リビィ。ちょっと変わった男子生徒だ。いつも何が入っているかわからない布袋を大事そうに持ち歩いている。リビィ家はアヴェイラム派だが、僕個人としては彼と関わりはなかった。
こんなに寒いのに、外に出てまでよくやる。
風がびゅうっと吹き、僕は中庭から顔を背けた。彼らへの興味はすぐに失せ、屋内へ続く道を急いだ。
生徒会室に入ると、五対の目が僕の方を向いた。先輩二人に後輩二人、それからヴァン・スペルビア。
僕が最後らしい。
「遅れてすみませんね」
「ロイ、今日がなんの日が忘れてるんじゃないだろうな」
ヴァンに睨まれ、僕は肩をすくめた。
「ヴァン君、大丈夫だから」
生徒会長がヴァンを宥める。
彼女は歳のわりに大人びている。僕が生徒会に入ったばかりの頃は、もっと子どもっぽかった印象だけど、会長に就任してからだいぶ変わった。責任感が人を大人にするのだろうか。それとも、ヴァンみたいな世話の焼ける後輩がいるせいで、自然と身についたのか。
ヴァンはよく僕につっかかってきて、それを会長が宥めるという図式が今では定着していた。
「なんだよその顔。ロイが遅れてきたのが悪いんだからな?」
まだまだ子どもだな、とヴァンを心の中で嘲笑っていたら、それが顔に出てしまっていたらしい。何か言い足りなそうなヴァンの肩に会長が手を置くと、彼はようやく僕を睨むのをやめた。
「わかりましたよ――それじゃあ、今から六年生のお別れ会を始めます」
パチパチパチ。
ヴァンが開始の言葉を言うと、後輩二人が拍手をし、会長と副会長の引退式が始まった。
お別れ会と言っても、べつに涙ほろほろで会長と副会長を送り出すとか、そういうことはまったくなくて、生徒会室でお菓子を広げて彼女らが引退する前に最後におしゃべりをしましょうってだけの集まりだ。先輩方はこの会が終わってもまだ卒業までの半年くらいは学校にいるし、感傷的になるには涙を誘う要素が足りないと僕は思っていたのだが、後輩の女子二人は同性ということもあって会長にものすごく懐いていたからか、ずっと寂しい寂しいと目に涙を浮かべて会長の両隣をキープしていた。そうなると自然と僕とヴァンが反対側のソファで副会長を挟んで座って喋ることになったけど、僕ら三人は彼女らほど盛り上がることもなく、副会長の卒業後の進路の話とか新聞に載っていた記事のこととかをぽつぽつと語るくらいだった。
と、副会長が急に声を潜める。
ああ、またかと思い、僕は仕方なく彼の声に耳を傾けた。
「これは僕がついこのあいだ聞いた話なんだけど、一部の生徒の間でとある噂が語られているんだ。聞きたいかい?」
副会長は基本的には真面目な人なんだけど、大の怖い話好きで、こんなふうに唐突に声を落としたときは決まって、どこから仕入れたかもわからない噂話を僕らに聞かせてくる。後輩の女子が会長ばかりに構うのは、彼のこの面倒くささが一役買っていると思う。
「どうせ聞きたくないと言っても話すのでしょう?」
僕は目を細めて副会長を見た。
「これは、この学校の3年生の男子生徒が言い出したことだ。その生徒が言うには、学校から帰る途中、突然眠くなって、起きたら外が真っ暗だったらしい」
「はぁ、なるほど? それだけ?」
「そう、それだけ。彼に関してはね」
副会長の目が輝いた気がした。まるでここからが肝心なところだと言いたげだ。
「あの、その話、つい最近俺も聞きました。内容は少し違うんですけど」
ヴァンが言った。
「へえ。ヴァン君が聞いたのはどんな話なんだい?」
副会長が楽しそうにヴァンに問いかける。
「隣のクラスの女子の話です。彼女もその男子生徒と同じように、帰る途中に突然眠くなったらしくて、気づいたらずいぶん時間が経っていたそうです。場所も眠る前のところから少し移動していたらしい」
「いやいや、登場人物すら変わってるじゃないか」
僕は呆れて苦言を呈した。話に尾ひれをつけるにしても、もっと少しずつやってほしい。
「俺に言われても困る。俺が考えたわけじゃないからな」
「ふっ、甘いね。まさにそこがこの噂のおもしろいところなんだよ」
副会長が興奮気味に言った。
「おもしろいところ?」
僕は首を傾げた。
話がころころ変わるようでは噂に信憑生がなくなって怖さが薄れるのではないだろうか?
「実はこの噂、他にもバリエーションがあるんだ。僕が知っている限りではあと二つ。不思議なのは、体験した人物が特定できること。ふつうこういう都市伝説って、だれの話か特定できないだろう? たとえば、隣町の誰それの話だとか、十年前に知り合いに起きた出来事だとか言って、詳細を濁すんだ。そういうのはだいたいニセモノと決まっている。でも今回の噂は、登場人物の情報が具体的すぎるんだよ。なんせ本人の話だからね」
「まあ、言われてみれば」
「だろう?」
副会長が我が意を得たりと、嬉しそうだ。
「単に僕らの学校でそういう遊びが流行ってるだけじゃないですか? 噂の原形は『下校中に突然眠くなり、気づけば時間が経過していた』というところ。そこに面白半分で自分を当てはめて、友人に広めるという遊びが流行っているだけでしょう」
「もちろんそういうことも考えられるよ。でもその場合、今校内で起きているみたいに短期間でいくつもの変形が生まれることは少ないんだ」
「なぜですか?」
「ただの遊びなら体験者の学年がバラバラなことの説明がつかない。ふつう流行の広がり方というのは、そんな飛び飛びにはならないだろう?」
たしかにそうだ。言い出しっぺの三年生の男子を中心とすると、まず広まるのは三年生の間だろう。副会長やヴァンの話では、登場人物の学年がやや散発的ではある。
「それもそうですね。兄弟がいたとか?」
あらを探そうとする僕に副会長が苦笑する。
「アヴェイラム君は疑り深いね……。もう一つの根拠は、学年だけじゃなく、話の内容もひとりひとりに違いが見られることだ。ただの遊びであれば、オリジナルの話をそのまま使うことが多い。登場人物の名前を自分に置き換えるだけ、とかね。アレンジするにしても短期間でこれほど多くの変形は生まれないはずなんだ。もし生まれるんだとしたらそれは――」
「噂がホンモノ」
「その通り!」
僕のつぶやきに副会長がパチンと指を鳴らした。普段の大人しい副会長はどこへ行ったのか、もう完全に別人だ。
「ふぅん」
「まだ信じてくれないのかい?」
気のない返事をした僕に副会長が寂しそうに眉尻を下げた。
「そういったものは信じないので。下校中というところも腑に落ちませんし。今は平民だって送迎馬車に乗る時代だ」
僕のおかげでね、と心の中で自画自賛する。
選挙時の公約としていた送迎馬車だが、もう一年以上も無事に稼働している。魔物対策等の防犯面だけでなく、時間やお金の節約にもなって嬉しいと、生徒の親御さんからも大変好評である
「いや、ロイ。それが意外とそうでもないらしいぞ。馬車で来てる平民のクラスメイトに聞いたんだけど、家の場所によっては馬車から降りてからそれなりに歩くんだってさ」
ヴァンが言った。
平民の友人が多いと平民の事情にも詳しくなるようだ。詳しくなりたいとも思わないが。
「ふぅん」
僕はまた適当に返事をして、テーブルの上のお菓子に手を伸ばす。
あれ、もうなくなってる。食いしん坊は誰だ、と言いたいところだが、友人に聞くところによるとだいたいこういうときは僕がひとりで半分以上を食べているらしい。
素知らぬ顔で僕の方に寄っていたお菓子の入れ物をテーブルの中央にそっと戻すが、副会長越しにヴァンと目が合う。何か言われるかと身構えたが、ヴァンは部屋の奥の時計のある方を見て立ち上がった。
「盛り上がっているところ悪いですが、そろそろ時間です」
終了を告げるヴァンの言葉に、後輩二人が不満そうに「えー」と声を上げ、会長の腕に抱きついた。
彼女らに拘束された会長は困ったような顔をする。
「えー、じゃない。会長も困ってるじゃないか。これから先輩方にプレゼントを渡すんだろ?」
ヴァンが注意すると、二人は渋々といった様子で会長から離れた。
僕たち後輩は会長と副会長へのプレゼントを各自用意してくることになっていた。
女子たちはお菓子、ヴァンは部屋の隅っこの方に隠していた花束を渡している。
僕は制服の上着の内ポケットから細長い箱を取り出し、会長たちに手渡した。
「開けてもいいかな?」
会長が僕に尋ねる。
「どうぞ」
会長が箱を開けると、中から金属製の細長い棒が出てくる。
「えっと、これは何に使うものなの? ロイ君」
「鉛筆という筆記具です。中に入っている黒鉛を先端から少しずつ出して使うそうです」
「へぇ! 私、初めて見たよ。便利そうだね。手も汚れないし」
「アルクム通りにある文房具屋の新商品です。先輩方はこれから学園の入学試験も控えてますからね。少しでも力になれればと」
「ロイ君……! 私、あなたのこと冷たい子なんだって誤解してた。こんなことならもっと話せば良かったね。君にこのまま生徒会長を任せてもいいのか少し不安だったけど、これだけ人のことを考えられるんだから、きっと大丈夫だね!」
会長が涙ぐみながら両手を広げて近づいてきた。
どうやらハグをご所望らしいが、僕はそういう触れ合いが好きではないから、右手を前に差し出した。会長は僕の前で立ち止まると、少し不服そうにしながらも、僕の手を握った。それでは足りなかったのか、さらにもう片方の手を重ねてきたから、背中がぞわぞわとしてくる。耐えきれず右手を引くと、会長は名残惜しそうにゆっくりと握る力を弱め、手を離した。
彼女から解放されると、副会長が僕の肩を叩き、笑顔でお礼を言ってきた。
最後だから僕も精一杯笑顔を振りまいておいた。進学先もたぶん一緒だろうから媚を売っておいて損はないだろう。
お別れ会が終わり、先輩たちが去った後、四人で簡単に今後のことを話し、今日のところは解散とした。
これからは僕がリーダーだ。めんどくさいが、この学校の生徒の中で一番偉いと思えば気分もいい。
帰り際、ヴァンに話しかけられる。
「いいプレゼントだった。みんなロイのこと見直してたよ」
「ああ。他人に好意的に思われるのに重要なのは、何よりもまずタイミングだからな。いつもいい子ぶってるより、こういうときに一気に印象を稼いだ方が効率がいいのさ」
ヴァンは僕を見てため息をつく。
「そんなことだろうと思ったよ」
呆れるヴァンに向かってニヤリと口角を上げた。
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