第16話
立会演説会の二日後。
僕は大講堂にて終業式に出席している。
選挙の投票は、今朝登校してすぐに各教室で行われた。
あとはこの式の最後に発表される結果を待つだけだ。
演説の内容や公約などを記したコピーは、昨日、3年生以上の生徒全員に配られた。
備え付けの印刷機があるのは、お金持ち学校ならではの利点だ。
コピーには演説で話した送迎馬車のことがメインで書かれてある。
それらの内容は演説会の前日までに前もって提出する必要があったから、アドリブでヴァンの提案する騎士団を煽ったことは書かれていない。
そのため演説会よりはインパクトに欠けるかもしれない。
でも伝えたい内容を各家庭に知らしめるには十分役立ったはずだ。
子どもたちは昨日、その紙を親に見せ、親は現実的にどちらの方がより我が子にとって安全か、真剣に吟味したことだろう。
見栄えの良い騎士団に釣られてヴァンを選んでしまいそうな子も、親の意見を聞いて票を動かす。
人気ではヴァンに負けているから不安はあるけど、僅かに僕の方が有利だろうと見ている。
演説ではヴァンが提案した騎士団のことを散々貶めたけど、正直なところ、そこまで悪い案だとは思っていない。
あれから考えたのだが、僕の送迎馬車の案と組み合わせて、それぞれの馬車に団員を一人か二人配置するなどすれば、生徒はより安全に登下校できる。
前世には幼稚園の送迎バスというシステムがあったが、そこに引率の先生が何人かついてくるのと同じようなものだ。
送迎馬車の計画は夏休みにベルナッシュの本邸に滞在したときに、お祖父様に提案した。
エベレストのファッションリーダー計画にはあまり乗り気ではなさそうだったのに、こちらの案は真剣に話を聞いてくださった。
僕としては、魔物による被害が選挙当日までに収束するのであれば取りやめる程度の申し出だったけど、お祖父様の方は随分乗り気で、こちらが面食らってしまったほどだ。
これを足がかりに運輸系の事業を広げていく腹案でもあるのではないかと内心僕は疑っている。
お祖父様にここまで支援を受けて、この後の結果発表で僕が当選しなかったらどうなるのだろうか。
そう思うと、不安が少し――いやかなり大きくなってくる。
式は終わりに近づいていた。
生徒の間で厳しいことで有名なやや骨ばった中年の女性教諭が、新学年になるまでの心構えについて、過剰なほど脅すように語っている。
それもほどなく終了し、もうだいぶ顔なじみとなった選挙管理委員長が壇上に上がった。
「票数の集計が終わりました。生徒会役員は二人選出されますが、今回得票数が多かった生徒が六年次に生徒会長、もう一人の生徒が副会長を務めることになります。それでは次期生徒会役員選挙の当選者を発表します」
委員長が胸ポケットから折り畳まれた紙を取り出し、広げた。
「得票数第1位。192票、ロイ・アヴェイラムさん。続いて第2位。167票、ヴァン・スペルビアさん。以上の二名が来年度から生徒会に加わります」
大講堂に拍手が広がっていく。
むすっとした顔で嫌々手を叩く生徒、隣と頷きあって笑顔をこぼす女子生徒たち、それから僕をちらちらと振り返る高学年の男子生徒と十人十色の反応だ。
良かった。
心底安堵した。
これで魔法学の勉強に集中できる。
半年以上もの長い間、選挙のために使用され続けてきた脳の細胞たちが、今ようやく解放されたような、なんとも清々しい気分だ。
自然と口角が上がるのを自覚した。
ペルシャの方を見ると規則正しいリズムで拍手をしているのが見えた。
エベレストはゆっくりと上品に左手の平に右手の平を打ち付け、顔が「当然ですわ」と言っている。
マッシュは……それほど興味がなさそうだ。
放課後、僕とヴァンは生徒会の仕事内容の説明を受けに生徒会室に訪れた。
そのついでにこれからよろしくするメンバーたちとの顔合わせも済ませた。
高学年だから年上であるはずだけど、ペルシャはもちろん、ヴァンと比べても子どものようだった。
何人か萎縮しているようだったのは、僕たち二人がアヴェイラムとスペルビアだからだろうか。
国内の二大政党のトップの子息が二人同時にやってきたのだから、無理もない。
僕が彼らの立場でも緊張してしまっただろう。
派閥別で見ると、僕と一個上の女子生徒以外は全員スペルビア派閥だった。
年によってはスペルビア派閥が二つの枠を独占することもあるから、数に偏りが生まれている。
また、担任のミリア先生が最初に選挙の告知をしたとき、今回は欠員が出ていないから上級生の再選挙は行われない、というようなことを言っていたが、1位がスペルビア派閥で2位がアヴェイラム派閥だと、アヴェイラムの方の生徒は辞退することが多いらしく、それを補うために再選挙が行われる。
今年度、新四年生のみの選挙だったのはそこそこ珍しい。
一個上の先輩二人は、派閥が違っても仲はそれほど険悪ではないのかもしれない。
顔合わせが終わり、教室へ戻る途中、僕とヴァンの間には沈黙が流れ続けていた。
生徒会室を出た直後に並んで歩き始めてしまったせいで、今もそのまま隣り合って歩いている。
僕らの間に空いている若干の距離が気まずさを増大させていた。
次期生徒会役員のこの有様を目にした生徒たちは、この学校の
試合の後に勝者と敗者を同じ空間に閉じ込めているようなものだ。
どちらかがペースを早めるか遅らせるかすれば良いのだが、同じ目的地に向かうのにそれをするのは、居心地の悪さを認めてしまうようで気が引ける。
そもそもヴァンの方はこの沈黙をなんとも思っていないのかもしれないが。
「なあ」
静寂は右側から破られた。
「どうした」
「騎士団の話は演説会の前から知ってたのか?」
「騎士団? 貴様が高らかに結成を宣言していたあれのことなら、聞いたのはあのときが初めてだ」
「それじゃあ、ロイのスピーチは、俺の演説を聞きながらあの場で考えたのか?」
「そうだな。君が舞台で喧嘩を売ってきたから、少しだけ過剰に踏み台にしてやったのさ。もともとは送迎馬車の発表をもう少し詳しく説明するだけで終わる予定だった」
「俺は用意してきた原稿を、その通りに読んだだけだった。スピーチの内容は俺がほとんど考えたけど、大人っぽく聞こえるように言い方を直してくれたのは俺の父さんだ。ロイの演説を聞いて、自分の言葉だけでうまく伝えられなくて、なんか、がっかりした」
そうか。
スピーチの原稿を親に手直ししてもらうのはありなんだな。
親との関係がドライすぎて、その発想すらなかった。
親でも先生でも、添削してもらうのは悪いことじゃない。
確固たる己の考えがあったとしても、それを主張するために必要な大人顔負けの語彙力があるわけじゃないんだ。
しかし、ということは僕を煽るようなセリフはヴァンの父親の考えた演出なのか?
だとしたら、まんまと乗せられて煽り返してしまったのは、少し恥ずかしい。
「僕らくらいの歳なら自分以外のことで意見があるというのは珍しいと思う。大人でもそれができない輩は掃いて捨てるほどいるだろう。人なんて、誰も自分のことしか考えていない。あれがしたい、これは嫌だ、などといった自身に直接関わる欲求を主張することはできても、自分以外のこと――つまり今回で言えば、学校のより良い未来のことに考えを巡らせることはしない。言葉を多く知っていることよりも遥かに重要なことだ。語彙力など、成長するにつれて勝手についてくる」
僕が説教くさく考えを述べると、ヴァンは考え込むように押し黙った。
そして、少しの間の後、口を開いた。
「わかった、ような気がする」
「ああ、そういえば、君の演説で一つ気になったんだが、やけに平民に偏った内容じゃなかったか? 前までは貴族間の格差に焦点を当てていた気がしたが」
「あれはジェラールに協力し合うことにしたときに、平民の立場をもっと良くしてくれって言われたんだ。反対するほどじゃなかった。少しやりすぎたけど」
傘下に加わるのに条件を付けられたというわけか。
結果は最終的に30票以上の差となったけど、それを聞いたとき意外と差がついたなと思った。
平民票の他に、もしかしたらヴァンを支持していた中立派の貴族票が流れてきたのかもしれない。
「残念だが、僕が勝ったからには君の言う『暗黙のルール』とかいうやつを壊していくつもりはない。平民だけにとどまらず、これまで通り階級思想は残っていくだろう。その方が都合がいい大人は多いだろうしな。大人の事情というやつだ」
「大人の事情か。なんとなくわかる気がする……けど、なんでロイは大人目線なんだよ。同級生なのに」
「……確かに。ときどき自分が周りより年上に感じることがあるんだ。大人ぶりたい年頃なのかもしれない」
「かもしれないって、自分のことだろ?」
同級生に上から目線で説教されるのは鬱陶しいなんてものじゃない。
気をつけよう。
でも、そもそも僕が根っからの気取り屋で嫌味な奴だから、改善は厳しいかもしれない。
アヴェイラムの血だろうか。
「なにはともあれ、これからは同じ生徒会役員なんだ。僕に負けたことなんて忘れて、ほどほどに仲良くしつつ、しっかりと従ってくれよ」
「負けたことは絶対に忘れない。だけどちゃんと従うよ。ほどほどに。俺たちが六年になるまでは上級生もいるしさ。いなくなってからも、まあ、わざわざ反抗しようとは思ってない」
つい数日前までバチバチとやりあっていたにしては、ヴァンの態度は友好的で、こういう常にフラットな姿勢を保てるのはすごいと思う。
きっと、あの程度の負けで向上心を失うようなことはないんだろうな。
教室に着くと、いつもの三人が僕の机の周りに集まって話をしていた。
僕はヴァンと別れて彼らのもとへと歩いていった。
僕が近づくと三人は顔を上げ、誇らしげな笑顔で僕を出迎えた。
生徒会に入っても、この三人との関係は変わらない予感がある。
良い友人たちだ。
彼らが僕を自慢できる友人と思ってくれるだけでも、選挙に勝った価値はあるのかもしれない。
- 第二章 終 -
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