第15話


 ボーンと鐘が鳴り、小声で話をしていた子どもたちがいっせいに静まり返ったところで、演台を挟んで僕らとは反対側にいる司会進行役の生徒が開会を宣言した。

 最初に選挙管理委員長が登壇し、挨拶や選挙当日の流れ、そして今日の演説の順番などを話し終えると、彼は下りていった。

 司会が一人目の候補者であるジェラール・ヴィンデミアの名を呼ぶと、ジェラールは立ち上がり、ぎこちない足取りで登壇して演台の前に立った。



「えーと。ぼくに投票しようと思っていた人はヴァン・スペルビア君に投票してください。ヴァン君は平民にもやさしいので、ロイ・アヴェイラムよりも平民が過ごしやすい学校にしてくれると思います。だから、ぼくに投票しようと思っていた人は絶対にヴァン君に投票してください。お願いします。ぼくの演説は以上です」



 まばらな拍手の中、ジェラールは降壇し、もといた席に座った。

 横目でちらとジェラールの様子を見た。

 低い室温にもかかわらず顔や首筋が汗ばんでおり、かなりの緊張状態にあったことが窺えたが、椅子の背もたれに背中を預けて座っているのを見ると、一仕事終えて今はリラックスできているようだ。

 演説の出来は……悪くはなかったと思う。

 自らが持つ票をヴァンへと誘導することが目的なのだろうから、十分役目は果たしたと言える。

 他に彼がやれることと言ったら、ヴァンを褒めちぎるか僕を扱き下ろすかくらいだろうし。



「ジェラール・ヴィンデミアさんの演説でした。それでは次に、二人目の候補者、ヴァン・スペルビアさんの演説に移りたいと思います。スペルビアさん、どうぞ」



 ヴァンは立ち上がり、確かな足取りで舞台中央へと歩いていく。

 演台の前で客席を向いた彼の横顔が、この席からだとよく見える。

 100人の生徒の視線を受けているとは感じさせない、凛々しい表情だった。



 ヴァンは上着のポケットから折り畳まれた紙を取り出し、広げた。



「こんにちは。ヴァン・スペルビアです。歴史あるこの立会演説会に、いち候補者として立てることを光栄に思います。実を言うと、これほど人がいるとは思っていなかったので、少し驚いています。今日は二つの話をしようと思います。一つ目は、これまで私が主張してきた、当選後の方針について。そしてもう一つが、今王都アルティーリアを騒がせている魔物の対策について」



 やはり魔物対策について話すのか。

 演説向きの話題だから、もしかしたらとは思っていた。



「私の掲げてきた公約の一つに、校内の貴族階級と市民階級の生徒間の距離を縮めるというものがあります。それを実現するために、まず最初にカフェテリアの環境改善を行います。カフェテリアは階級制度による格差が最も見えやすい場所です。現在この学校の食堂では、平民では注文することのできない貴族向けのメニューがあります。しかし実は、平民の生徒もそれらのメニューを注文することはできます。学校の規則として禁止されているわけではないのです。では、なぜ貴族の生徒しか食べることができないのでしょうか」



 ヴァンは問いかけるように聴衆を左から右へ順に見た。



「それは、歴史が紡いできた不文律、つまり暗黙のルールが、そこにはあるからです。貴族席と平民席に分けられているのも、学校の制度などではなく、暗黙のルールです。そして、このような見えないルールが気に入らない生徒は、決して平民の生徒だけではありません。貴族の生徒も、自分よりも家格が上の生徒に対して、暗黙のルールに従っているはずです。たとえば、あそこに座っているロイ・アヴェイラム君は、いつも一番奥の窓際の席に座っています」



 ヴァンは左腕全体を真横に伸ばして、僕を指差した。

 生徒たちの視線が一斉にこちらを向き、僕はそれに応えるために、やや大袈裟に両手の平を上に向けて肩をすくめた。



 なるほど、そういう風に劇場型の喧嘩を売ってくるわけか。



「彼とその友人たちのスペースは、他の貴族の生徒でも絶対に座りません。これは暗黙のルールが貴族間にも適用されている一例です。カフェテリアのこのような環境を改善することは、この附属校に数多く存在する、階級的な暗黙のルールを無くしていく足がかりとなるでしょう。私が当選すれば、今後、廊下の真ん中を堂々と歩く高貴な生徒たちに、無意味に道を譲ることは、なくなると保証します」



 ヴァンは演台に置かれた水の入ったグラスを持ち、中身を一口含んだ。

 ここまでは以前からヴァンが前面に出してきた内容の通りだ。

 しかし、これまでより幾分平民寄りの内容になっているように感じる。

 もうほとんど動きのない貴族票よりも平民票を優先したのかもしれない。

 この僕ですら、今回のスピーチの内容は平民票を狙いにいくためのものだ。



「次に、現在王都で起こっている魔物騒動について、私が考えている策をお話ししようと思います。知っている人もいるかもしれませんが、私は今年度の前期に、この学校の生徒二人が魔物に襲われている場面に遭遇しました。生徒の一人は魔物の突撃を受けて怪我をしました。さらに攻撃を加えようとする魔物に間一髪で私が間に合ったので大事にはなりませんでしたが、もし私がもう少し遅れていたら、二人ともただでは済まなかったはずです。王都では魔物による被害は現在も続いていて、附属校の生徒たちやその親御さんは特に不安を抱えていることでしょう」



 ヴァンは手に持っていた紙を折り畳み、胸ポケットに入れる。

 もう台本は要らないといった感じだ。



 「私はあれから、どうすれば魔物から生徒たちを守れるかをずっと考えていました。そして、魔物から生徒を守った経験から思いついたのが――騎士団の創設です」



 騎士団。

 その言葉で、これまで黙って聞いていた生徒たちの熱量が上がる。

 まだヴァンの意味するところを測りかねている様子だが、目には期待の色が浮かんで、あちらこちらで小さな声が漏れていた。

 憂い事が多い世の中では心の支えとなる頼もしいヒーローが望まれる。

 率直に厄介だと思った。

 このままでは票数の逆転を狙うどころか、さらに引き離される。

 ただでさえジェラールの票がヴァンに加わるというのに。



「騎士団の団員は、私たちの多くがこの附属校を卒業後に通うことになる、アルティーリア学園の生徒の中から募ります。主な仕事内容は放課後の通学圏内の見回りです。附属校の生徒が安心して登下校できるように先輩方には活動していただく予定です――以上が私の伝えたかった二つの話です。格差が無く、安全な学校づくりのため、是非私に清き一票を。ご清聴、ありがとうございました」



 拍手が降り注ぐ。

 ヴァンはそれに笑顔で答えて、僕たちのいる舞台脇まで戻ってきた。

 満足げな表情を浮かべるヴァンと目があった。



「余裕そうだな」



「余裕というより、やれることはやったというだけだ」



 ヴァンは僕の隣に腰を下ろした。

 この男はおそらく、これで勝ったと慢心することはないし、かといって負けるとも思っていないだろう。

 自然体だ。

 他人への敬意というものは、相手の年齢には縛られないんだな。

 たとえ子ども相手でも、その言動に感嘆せずにはいられないことがある。



「――ロイ・アヴェイラムさん」



 自分の名前が呼ばれていることにハッとして、僕は立ち上がり舞台へと歩き出した。

 これからヴァンを倒すために僕は、大人の力を借りる。

 ヴァンを認めているからこそ、少しだけ汚い手を使う。

 悪役のようにヒーローをいじめることを君たちは許してくれるだろうか。

 演台に立ち、会場満員の生徒たちを見渡しながら、僕は口を開いた。



「ヴァン・スペルビア君の素晴らしい演説でしたね。もしかしたら皆さんもご存じかもしれませんが、僕も学校からの帰り道に魔物に襲われたことがあります。あのときは本当に命の危機を感じました。騎士団が誕生すればこれほど心強いことはないでしょう」



 僕はヴァンへ向けて拍手をした。



「先ほどヴァン君は魔物に襲われる生徒を目撃したと言っていましたが、実はそのときに襲われたのが、この僕です。学校や巡察隊の方に僕がお願いして、僕の名前を出さないようにしてもらっていました」



 生徒たちの間に困惑のノイズが生じる。



「では、事件のあらましを語りましょうか。僕が徒歩で帰宅途中、ヴァン君の友人であるエリィ・サルトルさんが魔物に狙われました。そのとき僕は偶然すぐ後ろを歩いていたので、サルトルさんを救うために急いで彼女のもとに駆けつけ、その勢いを利用して思いっきり魔物を蹴り飛ばしました。襲われる直前になんとか彼女を守ることができました。そこまでは良かったのですが、すぐに魔物は立ち上がり、再び僕とサルトルさんのもとに突進してきました。僕は咄嗟に彼女を庇い、馬車数台分は突き飛ばされました。朦朧とする意識の中で、倒れる僕に止めを刺そうと、魔物が迫ってきます」



 一度話を止め、水を飲む。

 聴衆が聴き入っていることが見て取れた。



「体中に痛みが走り、動くことができませんでした。もうダメかと思いましたね。しかし、そのとき救世主が現れたのです。彼は僕を守るように立つと、次の瞬間、襲い掛かる魔物を見事な剣技で一刀のもとに倒してしまいました」



 僕はヴァンの方に顔を向けた。

 僕の意図するところに気づいた生徒たちがざわつき始める。



「そう――その人物こそ、先ほど演説をしていた、ヴァン・スペルビア君その人だったのです!」



 会場のどこからか、歓声が上がった。

 僕は生徒が落ち着くまで待つ。



「あのときは本当に助かりました。彼は僕の命の恩人です。この場を借りて、改めて礼を言いたい。ありがとう」



 身体をヴァンの座る舞台脇へと向け、胸に右手を当てる。

 運動会や中間結果の発表のときなど、人前でことあるごとにヴァンとの敵対関係を強調してきた僕だ。

 生徒たちにこいつ意外といい奴なんじゃないかと少しでも思わせられれば、勝ちみたいなところはある。



 僕は前に向き直る。



「――そんな勇敢な彼が提案する騎士団ならば、生徒たちの通学の安全性はきっと向上することでしょう。……しかし、それで全員を守れるのでしょうか?」



 声のトーンを下げ、不安を煽る。

 一転した僕の雰囲気に聴衆が戸惑うのがわかった。



「今の話を思い出してみてください。僕は間一髪で命は助かりましたが、怪我を負ったのも事実。そして、エリィ・サルトルさんにいたっては、もし僕が近くにいなかったらどうなっていたことでしょう。現在王都では魔物被害のために結成された巡察隊の練度も上がり、警備網は非常に強化されていると聞きます。そんな彼らですら取り逃がす神出鬼没の魔物たちを相手に、先輩とは言え、知識も経験も浅い生徒が数人加わったところで、いったい何ができると言うのでしょうか」



 僕は切羽詰まった声でみなに訴えかける。



 人の数は有限だから、網を細かくするのには限界がある。

 どれだけ取り締まっても、そこを掻い潜ってくる魔物は現れるだろう。

 だから別のアプローチが必要なんだ。



「平民の皆さんの中には、経済的に馬車を持つのが大変な方もいるかと思います。いくら騎士団が守ってくれると約束してくれても、やはり徒歩で学校に通うのは不安なことでしょう。そこで、僕が提案するのは――生徒送迎用の馬車です」



 何人かが隣と顔を見合わせているのが見えた。

 地味に聞こえるかもしれないが、それを切望している生徒は必ずいる。



 弱点が分散していれば、そのどこかを突かれるのは必然。

 ならば、弱点を数か所にまとめて、管理しやすくしてしまおうという発想だ。



「具体的な方法としては、送迎を希望する生徒のみなさんを区域ごとに分け、何人かにまとめて送り迎えをしていくことを考えています。夏休みに僕の祖父であるニコラス・アヴェイラムとも話し合い、送迎馬車の計画はすでに進んでおります」



 一呼吸置く。

 真剣に僕の声を聞き、興味を抱いていそうな生徒がなんとなくわかる。



「僕が当選すれば、その導入も秒読みとなるでしょう。実現可能な安全がすぐそこまで来ているということです。もう一度考えてみてください。みなさんが本当に望んでいるのは、キラキラと輝く、飾りのような騎士団ですか? それとも、生徒一人一人を着実に守ることのできる、洗練されたシステムですか?」



 最後に演説らしく、激情的に煽っておくことを忘れない。



「これが実現すれば皆さんの安全は守られます!」



 ざわめきは大きくなっている。

 僕はおもむろに右手を顔の高さまで挙げた。

 手のひらを生徒たちに向け、宣誓のポーズを取る。

 息を深く吸い込んだ。



「僕が選ばれた暁には! 生徒全員が毎日無事に登下校のできる! 世界一安全な学校を作ることを! ここに宣言しますっ!」



 一瞬の間が開き、そして会場は弾けた。

 上級生の座る一画で、誰かが指笛を鳴らしている。



 演台から一歩横にずれ、パフォーマンスの後の大道芸人のように、大袈裟にお辞儀をする。

 耳に心地よい歓声を聞きながら、僕は壇上を降りた。

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