第14話
投票日の三日前となった。
授業が終わり、明日の立会演説会の説明を受けるために、僕はペルシャを伴って選挙管理委員会の活動拠点である教室に訪れていた。
立会演説会では、僕とヴァンが有権者に対して公約や抱負などを語り、最後のアピールをする。
逆転するにはもうそこしかない。
「何もなければ、今頃僕たちとスペルビアの票数は逆転していてもおかしくなかった。それを考えるとジェラールと手を組んだのは憎い手だったと認めざるを得ないな」
ジェラールがスペルビア陣営に
どうあがいても勝機が無いと悟ったジェラールが、このまま平民票を奪い合って共倒れするよりは一般市民に妥協的なスペルビア陣営と協力体制を敷く方がマシと考えたのだろう。
「良い手ではありますが、我々に追い詰められた結果の最終手段ともとれます。敵同士で協力し合うとは、いかにも弱者の考えそうなことです」
ペルシャは吐き捨てるように言った。
投票日直前に不利な状況に立たされ、いつもよりも幾分神経質になっているようだ。
予定されていた開始時刻になり、選挙管理委員長を務める上級生の男子生徒が教壇に立った。
少しだけ遅れてヴァンがジェラールを伴って部屋に入ってきた。
彼らはこちらを一瞥し、僕らと少し離れた場所に座った。
「随分と余裕がおありのようで。さすがは英雄様」
ペルシャが毒を含んだ物言いでヴァンを挑発した。
「――ほとんど時間通りだろ」
「ほんの少しの遅れならば遅刻のうちに入らないと……。なるほど、おおらかな方だ」
委員長は二人の争いに戸惑っているように見える。
遅れたヴァンが悪いとはいえ、普段のペルシャならこの程度のことに目くじらを立てることはない。
最終決戦の前で気が立っている。
それとも、余裕がないフリだろうか。
ペルシャならそれくらいやってくれそうではある。
「委員長、そろそろ始めてはどうでしょう」
口論がヒートアップする前に僕は口を挟んだ。
委員長は慌てた様子で手元の紙に目を落とし、口を開いた。
「あ、はい、そうですね。それでは、今から立会演説会の説明会を始めます。――日程は明日の5限の時間、場所は小講堂で行います。候補者のヴァン・スペルビア君、ロイ・アヴェイラム君、ジェラール・ヴィンデミア君に演説を行なってもらいます。順番はこの説明会の最後に決めます。――ヴィンデミア君も演説は行なうということでよろしいですか?」
「大丈夫です」
ジェラールがボソッと答えた。
実のところ、ジェラールは出馬を取りやめたわけではない。
ルール上、選挙を辞退できるのは僕がペルシャと交代で出馬を表明した前期末までで、それ以降は登録を消すことができなくなる。
事実上ヴァンの傘下に降ったジェラールだが、公式には候補者として名前は残っているので、明日の演説会に候補者として参加することには何も問題はない。
「参加者は三年生以上の、参加を希望する生徒のみ。例年、十分の一程度――だいたい40人くらいが参加しますが、今年の注目度を考えるともっと増えるかもしません。全部で96席あるので、参加者が去年の倍に増えてもまだ余裕があります。――ええと、アヴェイラム君」
委員長は手を挙げた僕に気づき、説明を中断した。
「小講堂には行ったことがないのですが、広さはどのくらいでしょうか。全員に声が届くか心配で」
「そうですね……。横はこの教室を2つ並べたくらいで、縦は3つ分くらいだと思います。声が聞こえやすい部屋なので、今の僕の声よりも少しだけ大きく話せば十分聞こえると思いますよ」
それを聞いて僕は安堵した。
声を張り上げるのは得意じゃない。
「わかりました。ありがとうございます」
「説明を続けますね。各候補者のスピーチの内容は先日すでに提出してもらいましたが、演説会に出席しなかった生徒にも内容が伝わるように、翌日に印刷機で複製したものを三年生以上の生徒全員に配ります」
これまでの活動は人気を集めることに主眼を置いていて、当選後の具体的な方針について語ることはあまりしてこなかった。
だから、演説会のスピーチとその内容をまとめたコピーによってはじめて、有権者全員に公約を宣言することができる。
「そして、さらにその翌日が、いよいよ投票日です。今年度最後の登校日でもあります。各教室の投票箱で投票用紙を回収し、僕たちが集計して、終業式にて結果を発表します。――説明はこれで終わりですが、何か質問はありますか?」
委員長は僕とヴァンを交互に見た。
特に質問は思いつかなかったからヴァンたちの方を見る。
向こうも聞くことはないようだった。
「質問はないみたいですね。では、最後に演説の順番を決めます。それぞれ希望はありますか?」
委員長と目が合う。
「僕は最後がいいですね」
僕が答えると、委員長はヴァンたちの方へと視線を移した。
「俺も最後を希望します。ジェラールは最初でいいか?」
「いいよ、なんでも」
ヴァンの問いにジェラールは不愛想に返す。
急造のチームは良好な関係ではなさそうだ。
ジェラールの順番は一番目に決定したけど、まだ僕とヴァンは被ったままだ。
「ヴァン、一応聞くが譲る気はないか?」
「当たり前だろ」
「現状貴様の方が優勢なのだから、少しは心にゆとりを持ったらどうだ?」
「ロイ相手に油断するつもりはない」
「そうか。それじゃあ他の方法で決めるしかないな。――ペルシャ、今コインは持っているか」
「クオーターでよろしいでしょうか」
ペルシャはテイルコートの内ポケットに右手を滑り込ませ、小銭入れを引っ張り出した。
その中から一枚クオーターコインを取り出し、僕に寄越す。
「コイントスで決めよう」
僕はヴァンのいる方向に親指でコインをはじいた。
彼は難なく片手でそれをキャッチした。
「俺が投げるのか?」
「ああ。後でズルをしたと言われては、かなわないからな。表、つまりラズダ女王の面が出れば、僕が立会演説会の最後を飾る、ということにしよう」
「わかった」
ヴァンは右手の親指でコインを真上に高くはじき、落ちてきたそれを右手で掴み、左手の甲の上に乗せた。
そして、コインを覆っている右手をゆっくりと持ち上げた。
「――表だ」
ヴァンが落胆した様を見せる。
「決まりだな」
自分自身、どれほど当選したいと思っているか、この期に及んでもまだわからない。
初めは流されるまま選挙に立候補し、どうせ圧倒的不利なのだから記念に出馬するくらいの気持ちで臨んだ。
立会演説会当日の今日、雌雄が決すると言っても過言ではないにもかかわらず、ほとんど緊張していないのは、周りに勝手に担ぎ上げられただけという思いが未だにあるからか。
もしかしたら、選挙といえど所詮小学生のやることだと、心の奥底では真剣に取り組んでいないのかもしれない。
ただ、そんな消極的な姿勢の中にも、いつからか勝ちを意識する心が芽生えたのも事実だ。
前世では集団行動を軽視し、好き勝手に行動するような人間だったが、こうしてリーダーとして集団を動かすのも、意外と気分が良い。
20年ほど生きた別の人間の記憶を得たことで、ほんの少しくらいは僕の精神年齢は上がり、アヴェイラム家の子として周りを導く立場であることを自覚しはじめた。
周りに無様は見せられないし、大人しく負けるよりは勝ってペルシャたちに良い思いをしてもらうのも悪くない。
候補者である僕は、他の生徒に先んじて演説会場である小講堂に脚を踏み入れた。
放課後になって真っすぐ来たからか、一番乗りのようだ。
中はチャペルに似た構造になっていて、中央の通路に沿って、その両側に4人掛けの長椅子がずらっと並んでいる。
床に敷かれた暖色系の
部屋の音の響きを確かめるため、試しに一度両手を打ち合わせると、乾いた音が空間に広がり、すぐに消えていった。
反響音や残響音が少ない部屋は声が明瞭に聞こえるからスピーチなどには適している。
終業式のような通常の式典が行われるのは、ここよりも遥かに広い大講堂だが、あそこは音の輪郭がぼやけやすく、壇上からそれなりに近い位置でないと話者の言っていることを理解するのが難しい。
対してこの小講堂は、壁の素材や絨毯のおかげか、音が響きすぎず、演説には向いていると言えそうだ。
前から数列目の適当な長椅子に腰掛け、目を閉じていると、ややあって他の候補者や選挙管理委員会の面々が入室した。
委員の一人が僕のところまでやってきて、演壇の脇へと案内される。
そこにはビロードの椅子が3脚、横向きに並べられてあり、奥からジェラールとヴァンがすでに座っていた。
座る場所は演説の順番に従っているらしい。
僕は最後に残った一番手前の席に腰を下ろした。
一般の生徒も続々と入場を始め、会場は騒然としている。
講堂の後ろの方へと慌ただし気に移動する委員の姿を目で追っていくと、もうほとんど満席なことに僕は気がついた。
席に座れずにあぶれてしまう生徒たちが部屋を取り囲むように案内されているのを見ると、どうやら彼らは壁に沿って立ち見をすることになるようだ。
昨日の説明会で、例年なら席は半分も埋まらないと聞いたが、そう考えると今年の注目度は相当なものだ。
ふと視界の右下の方に引っかかるものを認識して顔を向けると、ジェラールが脚を小刻みに揺らしていた。
大勢の前で話すのは緊張するよな。
わかるぞ。
僕は彼に共感を示しつつ、その一方で僕のすぐ右隣りに堂々と胸を張って座るヴァンに対して、疑惑の視線を送った。
この男は常人と精神構造が違うのだろうか。
見られていると気づいたヴァンが怪訝そうな表情をしたから、僕は肩をすくめて前を向いた。
やれやれ、これだから生まれながらのスターは。
時計を見る。
そろそろ始まる時間だ。
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