第10話
エベレストの誕生日会は一か月かけて大々的に宣伝をした。
招待状を送ったのは、三年生以上の貴族または資本家階級の平民の生徒たち。
そのほとんどは女子生徒で占められる。
彼女らが『ファッションリーダーエベレスト作戦』のターゲットとなる。
今回招待した平民の生徒は、附属校への金銭的な貢献度が貴族に匹敵する――下手すれば凌ぐほどの資産家のお嬢様方だ。
附属校は国内有数のお金持ち小学校というだけあって、平民と言えど、少なくとも中産階級以上の子女しか通うことはできない。
そんなお金持ちの平民たちの中でも最上位に位置する彼女らは、貴族との付き合いも多く、決して無視できない存在だ。
他の平民の生徒たちへの影響力も測り知れない。
なぜなら、附属校における平民の待遇が比較的良いのは、資産家階級の貢献のおかげと言っても良いからだ。
貴族の生徒はアヴェイラム派閥に絞らず、中立派やスペルビア派閥も招待してある。
敵対派閥だからといって僕に投票しないとは限らない。
この誕生日会に選挙キャンペーンの意味合いがあることは公言していないが、暗黙の了解だ。
それゆえに、スペルビア陣営の皆さんにも招待状を送ってやった。
会場はアヴェイラム公爵家の所有する、大きな社交広間のある建物。
数十人の生徒たちが立食の
もちろん父に使用許可はもらってある。
選挙活動を絡めれば、たぶんだいたいのことは許してくれる。
もしかしたらお祖父様から何か言われているのかもしれない。
ルーカスは父親としてはアレだけど、上司としては付き合いやすいと思う今日この頃。
僕、ペルシャ、エベレスト、マッシュの四人は、今日の流れの最終確認をするため、ゲストよりも早く会場入りした。
会場は吹き抜けになっていて、天井が高い。
左奥にゆるく弧を描きながら2階へと続く階段があり、その階段の中央に赤いカーペットが流れていて、とてもゴージャスだ。
あの階段は、エベレストがパーティの最初にみんなの前に姿を見せるときに利用する。
僕たちは別の階段を上り、二階の一室に入った。
部屋の中には、人好きのする四十代くらいの男と、同じような笑みを浮かべた女が立っていた。
彼らは、僕らが今日着る服を仕立ててくれたアロン夫妻だ。
試着はすでに済んでいるが、今日はわざわざ来て、着こなしの監修までしてくれるという。
お祖父様から頼まれたからと、サービス満点だ。
ありがたい。
「今日はよろしく頼む」
「はい、ロイ様。ルーシィ様のお着替えは妻が承ります」
エベレストだけ別室へと移動し、僕たちは服を着替えた。
今日は男はメインではないから、あまり派手な色の服は着ない。
といっても、そもそも燕尾服は黒系統が基本で、遊び心を入れる余地は少ないが。
西側の窓から差し込んだ太陽の光が眩しく、僕は目を細めた。
ドア越しに聞こえる階下からの話し声が大きくなってきて、招待客が次々に到着するのがわかる。
そろそろ時間だな。
部屋を出て、ペルシャとマッシュだけ先に階段を下りていった。
僕はエスコート役として、エベレストと共に階段を下りる手筈となっている。
彼女がいる部屋のドアを僕はノックした。
少し待つとドアが開き、エベレストの母親のエレナさんが顔を出した。
「まあロイさん。さあさあ、早く中へ入って」
エレナさんは上機嫌に僕の手を取り、彼女に引っ張られるまま僕は部屋の中へ足を踏み入れた。触られた手がむず痒い。
部屋の中央には、気品のある深い青色のドレスを着た少女が立っていた。
ウエストからふんわりと広がったドーム状のスカートが絢爛さを演出している。
エレナさんが期待のまなざしを僕に向けている。
誉め言葉を言えということか。
「――君の瞳と同じく、深く上品な青だ。夜の闇のように美しいその黒髪に、とてもよく似合っているよ。誕生日おめでとう、エベレスト」
こ、こんな感じか?
ちらとエレナさんを見ると、満足げに頷いている。
なるほど、合格のようだ。
エベレストは、友人の僕が普段言わないような痒くなるセリフを言ったからだろうか、恥じらうように曖昧に笑い、綺麗なカーテシーをしてみせた。
「ありがとうございますわ、ロイさま」
「それでは、参りましょうか。レディ」
僕は少し大げさな動きで、恭しく左手を差し出した。
僕とエベレストは階段を一段一段ゆっくりと下りていく。
今日の主役にゲストの意識が向かうように、僕は肩幅分右端に寄った。
広間でめいめいに話をしている子どもたちの一人が、こちらに気づいて指をさす。
人々の視線が僕たち、いや、エベレストに集中していく。
残り五段のところで立ち止まり、彼女は僕の手を離し、僕はすっと端に寄る。手が強張っていたことに気づき、閉じて開いてを数度繰り返した。
生徒たちの発する雑音が消え、隣でエベレストが息を吸い込む音が聞こえた。
「本日は、わたくしのために、これほどたくさんの方に集まっていただき、本当に光栄ですわ。
エベレストが台本通りのセリフを言うと、パチパチパチと、会場の中ほどからペルシャとマッシュの手を叩く音が響いた。
拍手はすぐに会場中に伝播していく。
僕は再び左手を差し出し、エベレストがその上から右手を重ねた。
広間に響く音に吸い込まれるように、僕たちは残りの階段を下りた。
階段を下りるとすぐに多くの女子生徒たちに囲まれてしまったから、僕はいくらか当たり障りなく言葉を交わし、さっとエベレストのもとを離れた。
僕がいなくなったのを皮切りに「すてきです、アルトチェッロ様」「とてもお似合いです」「私の母はエレナ様に憧れていて、私はルーシィ様に憧れてるんです! これからずっと追いかけます!」などと、エベレストを褒め称える声が口々からあふれ出てくる。
それを背中で聞きながら、僕は作戦の成功を予感した。
エベレストに群がる一団から抜け出してペルシャとマッシュがいるところへ歩いていく途中、高学年の女子生徒たちが彼らを取り囲んでいるのが見えたから、僕は咄嗟に方向転換をした。
すると、ちょうど正面にヴァン・スペルビアとその友人が話をしているのを見つけ、近づいて話しかける。
「楽しんでいるか? ヴァン・スペルビア」
「ロイ……。そうだな。男子生徒が少ないからか、少し心細いと思っていたところだ。ロイが来てくれて安心したよ」
「少し、バルコニーで話さないか?」
「……構わないけど」
ヴァンは持っていたグラスを近くにいた給仕に渡した。
僕はそれを確認して、バルコニーに続く階段へと歩き出した。
階段を上り終え、バルコニーに出ると、冬の気配を感じさせる風が頬をなぞった。
今日の夜は冷えるかもしれない。
「で、なんの用だ?」
ヴァンが怪訝そうに問う。
「特に話があるというわけではないんだが……」
「それじゃあなんでこんなところまで呼びだしたんだよ」
「貴様の選挙に対する考えでも聞いてやろうと思っただけだ」
「考え? ロイに勝つだけだ。そっちこそ俺に勝つつもりなんだろ? それ以外に何がある」
僕は欄干に寄りかかり、オレンジ色の夕日を眺めた。
「……実を言うと、僕は選挙に出るつもりなんてなかった。だけど、僕はロイ・アヴェイラムだからな。流されるように立候補して、仕方なくやっているのさ。君とだって、心の底から敵対しているわけじゃない。いつかの魔物に立ち向かう君を見てからは特にそうだ。今はただ、周りに求められるからそう演じているだけ。それで、似たような立場の君はどう思っているのかと、ふと気になってね」
パーティの
抜け出して休むのにちょうど良い場所だ。
背後でヴァンが動く気配がした。
彼は、僕から二人分ほど離れて欄干に背中を預けた。
「俺は、考えたことがない。選挙に出るのは当たり前だと思ってたし、それをやるのは俺以外にいないと思ってた。スペルビア派閥だけの話じゃなくて、アヴェイラムをあわせても、俺が一番上手くやれると思ってたんだ。でも今は……どうかな。ロイの方が票を多く集めてもおかしくない気がしてる」
「……今のところ君の方が優勢のはずだが?」
「それはそうさ。平民の生徒が昔より増えてるんだから。もともとロイに勝ち目なんてなかったはずなんだ。そんな中で、差があんまり開いてないのは……おかしいんだ。ロイも、それとチェントルムも、俺が考えるよりずっと頭がいいんだろうな」
随分弱気な発言だ、と僕は横目でヴァンを盗み見た。
「ヴァン」
「ん?」
「貴様は、僕やペルシャ――いやチェントルムと違って、直感的な思考に特化しているのだろう。運動会のとき、僕は君に勝つために様々な策を巡らせていた。それなのに、君はそのすべてを、その場の即興で越えていったんだ。理不尽だと思ったね」
「それは……。だけど俺だって毎日鍛錬をしてるんだ。運動なら負けない。俺が言ってるのは頭の良さのことだ」
頭の良さにもいろいろあるということを伝えたかったのだが、上手く伝わらなかったようだ。
教えるまでもないか。
ヴァンなら感覚的に理解しているだろう。
「チェントルムの頭の良さは気にする必要はない。僕も彼と話していると大人を相手にしているのでは、と思うことがある。それどころか、半端な大人よりもよっぽど思慮深さを感じさせるからな。彼は例外と考えてもいいだろう」
エベレストや今こうやって話しているヴァンも年齢の割に大人びているとは感じるけど、やはり子どもなのだと思う瞬間が多々ある。
しかし、ペルシャにはそれがない。
実はテストで僕が勝てたのも、ペルシャが手を抜いたからではないかと少し疑っている。
「君は? 君の頭の良さも例外なのか?」
「ん? いや僕は……そうだな、例外といえば例外か」
「どういう意味だよ」
ヴァンが体ごと僕の方に向いたのが、視界の端に見えた。
「さあ、どういう意味だろうな」
「おい、ロイ」
僕は欄干から体を離し、ヴァンと正面から向き合った。
「そろそろ戻らないか? 貴様の友人も、今頃一人で寂しがっているに違いない」
僕はヴァンの返事を待たず歩き出す。
「――ロイ」
建物の中へ入る直前、ヴァンが僕を呼んだ。
よそよそしさを感じさせる控えめな声だった。
「なんだ?」
僕は振り向いてヴァンを見る。
「ぶつかって悪かった。ごめん」
急に、なんだ?
ぶつかったのなんて半年以上も前のことだ。
「僕の記憶では、謝罪はすでに受け取ったはずだが」
「俺、そのときさ、ちゃんと謝ってなかった。計算してたっていうかさ。だから、ごめん」
「よくわからないが、今度こそちゃんと受け取った」
「ならよかった――あ、俺、寒いから先に行くよ。それじゃあな」
ヴァンは僕を追い抜き、ざわめきの中へと戻っていった。
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