第9話


 運動会が終わると、秋もいよいよ深まり、運動の授業で外に出るのも億劫になる。

 我先にと教室を飛び出して、今も元気よく運動場で走り回っているクラスメイトたちを見て、少しだけ混ざりたいとも思うが、気恥ずかしさが勝る。



 選抜障害物競走で三年生の僕とヴァンが大活躍をしたことにより、今年の生徒会選挙は例年よりも盛り上がりを見せていた。

 アヴェイラムとスペルビアの直接対決という事実も注目を集める大きな要因だ。



 ヴァンが高学年の生徒を抑えて1位を取ったことは、票数にそれなりの影響を与えた。

 平民の立候補者であるジェラール・ヴィンデミアが持っていた票がヴァンに流れ、これまでなんとか食らいついていた僕も、今はスペルビア陣営に少々差を開けられている。



 運動の授業の時間は、僕たちアヴェイラム陣営の首脳陣にとって絶好の作戦会議タイムとなっていた。



「皆さん、何か案はございますか?」



 ペルシャが僕、エベレスト、マッシュを順に見回した。

 僕たちは彼と目が合わないようにそっぽを向いた。



「困りましたね」



 ペルシャは肩をすくめる。



「そういうぎちょーは何かあるんですかあ?」



 ペルシャの呆れる姿を見て、マッシュが鼻息を荒くする。



「私はただの進行役です。意見を言うことは越権行為ですので」



「またわけわかんないこと言って! ペルシャのそういうとこ嫌いだ!」



 ペルシャは困ったように眉尻を下げ、僕の方を見た。

 この子らに好き勝手意見を言わせると収拾つかなくなりそうだったから、僕がペルシャを議長に任命したんだけど、失敗だったか。



「わかった。議長という役職を廃止する。これからは全員が対等に意見を出し合うことにしよう。ペルシャは会議の進行や意見のまとめも、なんかいい感じにやってくれ。それでペルシャ、まずは君の意見が聞きたい」



 会議の体裁なんてどうでもいいか。

 難しいことはペルシャに任せとけば、だいたいなんとかなる。

 な、なんだその目は、ペルシャ!

 金の『女王の学徒』である僕に、銀の『女王の学徒』の君が、何か文句でもあるというのか!



「……わかりました。そうですね、以前より進めていたあの計画について詳細を詰めていくというのはどうでしょうか」



「あの計画、というと『ファッションリーダーエベレスト』作戦のことか?」



「ええと、そうですね。作戦名は今初めて聞きましたが、おそらくそれのことでございます、ロイ様」



 作戦名は伝えていなかったか。



 自分の名を冠する作戦名に反応し、エベレストが僕の方を見た。



「たしか、わたくしがファッションリーダーというものになって、女子生徒票をたくさんいただく、という話でしたわね?」



「その通りだ。ファッションリーダーとは文字通り、流行の最先端、つまり流行を生み出す人のことだ」



「わたくしに相応しい役目だと思いますわ。オシャレな服を着るのは大好きですもの」



「そう、これは君にしかできない。ペルシャとマッシュも賛成ということでいいか?」



「六年生のお姉さんたちもオシャレは大好きみたいだったから、いいと思う」



「私はロイ様の決定に従いますので」



 反対と言われても、すでにお祖父様に約束を取り付けてしまった後だから、今さら作戦を中止にするつもりはない。

 しかし、以前ペルシャと二人で『名声ロンダリング作戦』を進めたときに、マッシュとエベレストに怒られてしまったから、しっかりと意見を聞いているというポーズは大事だ。



「女子生徒にターゲットを絞るのは有効な戦略だと思います。しかし、エリィ・サルトルに真似をされる可能性はありませんか? 認めたくはありませんが、彼女の家は紳士服・婦人服ともに王都一のブランドです」



「その可能性はあるだろうな。だがファッションとは、誰が作るか、と同じかそれ以上に、誰が着るか、が重要だ。背が高く、手足の長い者は映える。女子生徒はエベレストのような女性に憧れを持つものだ」



 エリィは親しみを持たれることはあるだろうが、憧れられるタイプとは少し違う。



「ふふん、当然ですわ。エリィさんごときにわたくしが負けるはずありませんもの」



「それに、平民は上流階級の噂を好む。きらびやかで物語の中の世界かのように、卑しくも想像を膨らませて語り合う……とメイドから聞いたことがある。アルトチェッロ侯爵家の女性というだけでも求心力は大きい」



「なるほど。確かに、いつの時代もファッションを牽引してきたのは由緒正しき家柄の方々です。サルトルは上流階級の仲間入りをしたばかり。アルトチェッロの名前には勝てないでしょう」



 ファッションモデルという職業など無いから、いつだってファッションリーダーは王族や貴族などの偉い人だ。

 ファッションは王族や貴族が見栄を張ったり権力を示したりする手段だというイメージが強く、多くの仕立て屋は貴族たちからの注文を受け、オーダーメイドで作る。

 出来上がった服は注文した貴族自身が着るため、わざわざモデルを雇って流行を作るという発想にならない。

 サルトルに代表されるような最先端のブランドにもなれば、自らデザインを行なうこともあるけど、僕の知る限りではモデルを用意して服を宣伝するような場は存在しない。

 それを今回、時代を先取って僕たちでやっちゃおうというわけだ。



「夏休み中、本邸に滞在していたときに、祖父に頼んでアロンという仕立て屋に話を通してもらった。エベレストが着る服はそこに作らせる」



「アロンというと、この学園の制服をデザインしているブランドですね?」



「そうだ。サルトルのように革新的ではないが、伝統に倣った上でアレンジを加えるのが得意だ。いいドレスを作ってくれるだろう」



「それをわたくしが誕生会で着ればよい、ということですわね?」



「ああ、問題ないか?」



「そうですわね……」



 エベレストは何かを考えこむように、僕から視線を外した。



「エベレスト?」



「……何も、問題ありませんわ」



 言葉とは裏腹に、彼女の顔には迷いがあるように見えた。

 ペルシャとマッシュも不思議そうにしている。

 僕たちはお互いに顔を見合わせ、首を傾げた。





















 ルーシィ・アルトチェッロは元来、平民を嫌ってなどいなかった。

 アヴェイラム派閥の貴族の中では珍しく、ルーシィの両親は平民に対しても気さくに話しかける、穏やかな人物だった。

 ルーシィが母親に連れられて訪れた仕立て屋で、その店の子どもと仲良くなれたのも、両親が咎めなかったからだった。



 一人娘で、父母や祖父母に存分に甘やかされたルーシィは、少しばかりわがままな性格に育つ。

 しかし、それは相手の身分によって変わるようなものではなく、貴族の子どもに対しても新しくできた友達のエリィに対しても、変わらない性質のものだった。

 エリィは貴族の子のように礼儀作法を学んではいなかったし、ルーシィのわがままに対しても嫌なら嫌だと言える気の強い少女であったから、ルーシィにはそれが新鮮で、特別に思えた。

 名前の発音が難しかったのか、エリィはルーシィのことをルカちゃんと呼ぶようになり、その初めてのあだ名もルーシィはとても気に入った。



 ルカちゃんはかわいいふくが、だいすきなんだね。

 あたしのうちはふくやさんだから、いつかルカちゃんに、きれいなドレスつくってあげるね。



 いつものように二人で遊んでいたとき、エリィは何の気なしにルーシィに約束をした。

 ルーシィはおしゃれに着飾るのが大好きで、サルトルの作る服はその中でも特にお気に入りだった。

 その店の娘で、一番の仲良しでもあるエリィが自分のために服を作ってくれるというのは、ルーシィにとって大変魅力的な提案だった。



 わかりました。

 エリィさんがさいしょにつくるドレスは、わたくしがきてあげますわ。

 でも、エリィさんにふくをつくるなんてむずかしいことができるのかしら。



 できるよ!

 パパもあたしのこときよーだって、いつもいってくれるもん。



 ルーシィは内心の喜びを憎まれ口で覆い隠しながらも、嬉しさは顔に浮き上がっていた。

 そのことにエリィが気づいているかはわからなかったが。



 ルーシィとエリィは同い年であり、エリィの家は市民階級の中でも有数の資産家であったため、アルティーリア学園附属の初等学校に同時に入学することとなった。

 クラスは違ったが、頻繁にお互いの教室を訪れては、おしゃべりに興じた。



 それは、附属校一年の夏休みが明けて間もない頃のこと。

 夕食の時間、父と母が真剣な表情でルーシィを見ている。

 仕事の話をするときの顔に似ていて、なんでそんな顔をするんだろうと、ルーシィは怖くなった。

 母は言った。



 これからはサルトルの娘と関わってはいけないわ。



 ルーシィは言われた意味を理解し、呆然とした。

 そして、理不尽なことを言う母親に対して、怒りが込み上げてきた。



 エリィさんはわたくしの友だちですわ!

 どうしてそんなひどいことを言うの?



 感情が昂って泣きじゃくるルーシィを、両親は必死に宥めようとするが、いっこうに泣きやまない。

 ルーシィは甘えん坊で、ちょっとばかりわがままでもあったが、癇癪かんしゃくを起こすようなことはめったになかった。

 しかし、そのときばかりは、両親が事情を説明しようとしてもルーシィは聞く耳を持たなかった。

 そのまま泣き疲れて眠ってしまったルーシィを、父はベッドに運んだ。



 翌朝、口数少なくも、いつも通りに朝食の席に着くルーシィに、両親は戸惑った。

 父が恐る恐る昨日の続きを話し始めると、ルーシィは彼の言葉を遮った。



 エリィさんとはもうかかわりません。



 それだけ言って、ルーシィは黙ってしまった。

 父と母は顔を見合わせた。

 どういった心境の変化かはわからなかったが、今この場でこれ以上蒸し返すことは止そう、と二人は頷き合った。



 両親からすれば、事情もわからないまま何故か言うことを聞き入れたように見えたルーシィだったが、実のところ、幼いながらもなんとなくの事情は理解していた。

 昔から、関わってよい貴族と関わってはいけない貴族がいることを、ルーシィは知っていた。

 親に直接言われたわけではなくとも、なんとなく話をしてはいけない相手というのは、大人たちの醸し出す空気から感じ取ることができた。

 附属校に上がるころには、自分たちがアヴェイラムで、関わってはいけない貴族の子どもはスペルビア。

 そのことをルーシィはすでに理解していた。



 昨日の夜、泣き叫びながらも、父と母の話す言葉は耳に入っていた。

 エリィの家がスペルビアに加わる。

 ルーシィはそれが意味することをわかった上で、彼らに怒りをぶつけていたのだ。

 何もわからないふりをすれば事実にはならないのではないかと期待して。



 両親の行きつけの店だったサルトルの本店には、その日以降一度も行かなくなった。

 ルーシィとエリィは服でつながっていた。

 しかしそのつながりは消え、学校でも話さなくなり、縁は完全に切れてしまった。



 ルーシィとエリィが次に話をするのは、二年後。

 学校の食堂にて、二人の縁は再び結ばれた。

 アヴェイラムとスペルビアという、強い因縁だ。



 エリィはルーシィのことを、アルトチェッロ様と呼んだ。

 仲の良い友人たちはエベレストやイヴと呼ぶ。

 ルカちゃんと呼ぶ者は、もういない。

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