第8話
王都の駅からのアヴェイラムのタウンハウスへと向かう途中アルクム通りを通る。
毎年ここに来ると王都に帰ってきたという感じがするが、去年と比べて活気がなく、通りを行く人々もどこか気落ちしているように見える。
夏休み前まで、学校帰りによく通っていたラズダ書房が見えてくる。
入口のドアに何かが引っかけられている。
文字が書いてあるような気がするが、窓が分厚いせいでよく見えない。
ドアの上を見て僕はハッとした。
通りへ突き出すように打ちつけられていた看板がなくなっていたからだ。
魔物被害の影響で経営が悪化したのだろう。
寂しさから目を逸らすように、僕は前を向いた。
王都に戻り、魔法学漬けの毎日を過ごした。
環境が変わり、暇な時間も減ったことで、ベルナッシュでの出来事に思いを巡らすこともすぐになくなった。
2ヶ月を超える長い長い休みはあっという間に過ぎ、外に出れば夏の残滓が消えゆくのを肌で感じ取ることができる。
教室に入ると、ちらほらとデザインの違う制服を着た生徒がいた。
休み明けの一か月は制服の移行期間だが、現時点ではまだそれほど冬服の生徒はいない。
僕はどちらかと言えば寒がりだから、冬服への移行はすでに終えている。
それに『女王の学徒』バッジは冬服である燕尾服の方が映えるし。
なんといっても僕は学年首席の金色の記章だからな!
生徒の模範となるよう、かっこよく着こなす義務がある。
銀の『女王の学徒』であるペルシャも冬服を着ている。
揃えた方がかっこいいからだ。
これも選挙のキャンペーンの一環である。
マッシュとエベレストには特に何も言わなかったが、僕たちとお揃いがいいのか、二人とも次の日から冬服を着てきた。
これから寒くなってだんだんと冬服が増えていけば、学園の雰囲気もガラッと変わり、季節の移ろいを視覚的に感じさせてくれることだろう。
今日も授業を真面目に姿勢よく受けているフリをしながら、魔力循環を練習した。
きっと先生からの覚えも良いだろう。
職員室では毎日僕の名前が話題に上がっているに違いない。
4限目の授業が終わり、ミリア先生が教室に入ってきた。
今日の時間割は5限まである。
いつもなら5限目が始まる前に休み時間を挟むが、今日は少し特殊だ。
ミリア先生が黒板に文字を書いていく。
徒競走、三段跳び、借り物競争、選抜障害物競走……。
今月末に行われる運動会の種目決めがこれから行われる。
全体種目の大綱引きと選抜種目の障害物競走を除けば、全員が一人一種目出場しなければならない。
最初にヴァンが選抜障害物競走以外はくじ引きでいいんじゃないかと発言した。
それに多くの生徒が賛成したため、種目はくじ引きで決めることになった。
僕はその結果、借り物競争に選ばれた。
選抜障害物競走は、各クラスから選ばれし二人が出場する、運動会の最終種目だ。
一人目の選手は満場一致でヴァンに決まった。
それはそうだろうな。
早く二人目も決まってくれ。
早く帰りたいし。
そう油断していたところに、ヴァンが僕を推薦した。
ペルシャの方を見ると、大きく一度だけ頷いた。
マッシュやエベレストは完全に期待の目で僕を見つめていた。
断ることも可能だが、断ることはできないらしい。
いったいどういうことだ?
僕は甘んじて受け入れるしかなかった。
運動会当日。
空は青く晴れ渡り、初秋の過ごしやすい気温も相俟って、絶好のスポーツ日和だった。
一面芝で覆われている運動場が競技スペース。
それを取り囲むように、生徒たちの応援スペースがある。
各学年5クラスが、優勝を目指し競い合う。
種目毎にポイントが割り振られており、より多くのポイントを稼いだクラスが優勝となる。
僕の出場する借り物競争の時間はすぐにやってきた。
借り物競争とは、手に取った紙に書いてある特徴を持つ人を連れてきて一緒にゴールする競技だ。
紙の置き場はスタートラインから50mほどの位置にあり、ゴールラインはその隣にある。
同学年の他クラスの代表と肩を並べてスタートラインに立った。
両隣とやけに距離を感じるのは気のせいだろうか。
「位置について」
審判を務める運営の生徒の声と同時に、僕は脚に魔力を移動させ、滞留させた。
「よーい」
脚がかすかに熱を帯び始める。
「どんっ!」
その瞬間、僕は全力で地面を蹴った。
周りを置き去りにし、またたく間に紙置き場までたどり着いた。
数ある折り畳まれた紙の中から一つを選び、それを広げる。
――ブロンドヘア。
これはラッキーだ。
ペルシャを引っ張ってくればいい。
僕はクラスの応援席がある方へと駆けた。
ペルシャの姿を見つけ、手を引っ張って走り出す。
ゴールに到着し、運営の生徒に紙を渡した。
借り物の正当性が承認され、正式にゴールが認められた。
最初のダッシュで差がついたのか、他を大きく引き離しての1位だった。
たまにはクラスに貢献してやるのも悪くない。
これでしばらくは僕の出番はないな。
休憩しながら適当に見物するとしよう。
個人種目も一通り終わり、運動会も終わりが近づいてきた。
ヴァンは三段跳びに出ていたが、他の生徒とは一線を画す、ものすごい距離を飛んでいた。
身体強化を使うなんて、卑怯な男だな。
現在のクラス順位は5クラス中4位。
あまり運動の得意なクラスではないようだ。
残る競技はふたつ。
クラス全員が出場する大綱引きと、僕とヴァンが出場する選抜障害物競走。
これから始まる大綱引きはトーナメント方式だ。
全体種目だから獲得できる得点は高めに設定されてある。
ここで1位になればまだギリギリ優勝を狙える。
第一回戦。
初めは押され気味――引かれ気味と言ったほうがよいだろうか――だったが、ヴァンが身体強化を使うことにしたようで、逆転勝利。
僕は後ろの方で引っ張るフリをしていた。
第二回戦。
すなわち準決勝。
今度はたぶんヴァンが初めから身体強化を使っていた。
力はほぼ均衡していたが、わずかの差で僕たちのクラスが勝利を収めた。
でもこれ、ほとんどヴァンのおかげだよね。
もう彼一人でいいのでは?
僕は後ろの方で引っ張るフリをしていた。
決勝戦。
現在首位のクラスが相手だ。
平民代表として生徒会選挙に出馬しているジェラール・ヴィンデミア率いるクラスで、2位を大きく引き離してのトップ。
ここで負けると僕らの優勝は厳しい。
今回もヴァンは最初から身体強化を使っているみたいだが、敵もさすが決勝に来るだけはあって、どんどん相手の陣地に引きずり込まれる。
これはさすがに負けるかと思ったそのとき。
「ロイっ!」
前の方から僕を呼ぶ声が聞こえてきた。
僕を呼び捨てで呼ぶのは一人しかいない。
ヴァン・スペルビアだ。
まさか手を抜いていることがバレたのか?
うむ。
後から何か言われるのも面倒だ。
本気を出すことにしよう。
やれやれ、ヒーローは遅れて登場するって知らないのか?
僕は踏ん張りを利かせるために、脚に身体強化を施した。
そして引っ張――。
いたっ、痛い痛い痛い。
手が尋常じゃなく痛い。
これは、無理だ。
脚だけを強化しても手が耐えられない。
ってことは、脚と腕を同時に強化するしかない。
だけど、これまで一度も複数個所の強化を行なったことはなかった。
ぶっつけ本番でやるしかないか。
僕は魔力循環に意識を集中した。
これまで魔力はひとつの塊として動かしていた。
これをふたつに引き離して。
くっ、難しい。
ふたつの魔力の塊を操作するのは難易度が段違いだ。
集中しろ。
まず片方の塊を脚へと持っていく。
よし、この調子だ。
次にもう片方を腕に……。
よし。
魔力のロスは多かったけど、なんとか強化は成功だ。
僕は強化が解除されないように神経を使いながら、思いっきり綱を引いた。
勝負が始まってから引きずられるだけの展開だったが、ここで初めて両クラスの力が均衡した。
そして、徐々に巻き返し始める。
「オーイス! オーイス!」
クラスメイトの声が大きくなる。
僕は前方に見えるヴァンの動きだけに注目し、タイミングを合わせて引く。
「オーイス! オーイス!」
今度は相手のクラスが僕たちの陣地に引きずり込まれる。
完全に立場が逆転した。
「オーイス! オーイス!」
あと少し。
集中力持ってくれ。
「そこまでっ!」
審判が声を張り上げた。
クラスメイト達は綱を放し、飛び跳ねて喜んだ。
僕は浮かれるクラスメイトの輪から離れた。
死ぬほど疲れたから椅子に座りたい。
高学年の大綱引きを見ながら、最後の種目に向けて僕は身体を休ませた。
最後の種目は障害物競走だ。
各クラスから二人ずつ出場する。
この種目はこれまでのものと異なり、1年生から6年生までの全クラスの代表が同時にスタートする。
ゴールが早いほどクラスに入る得点が高くなるのは、他の種目と同じだ。
全学年が出場するレースだから、低学年の生徒が上位に入るのは当然難しい。
そのため、低学年の生徒が上位に入れば同学年の他のクラスと比べて、相対的にかなりの高得点となる。
逆に高学年の生徒がポカをやらかして下位になってしまうと、他クラスに一気に逆転されてしまう恐れがある。
最後の最後にクラス順位が大きく変動するかもしれない。
そんなワクワクドキドキの、非常にエンターテイメント性の高い種目なのである。
よくある「最後の種目は、100万点!」などというエンタメ性をはき違えた興覚めのする得点調整とは違い、理に適ったシステムだ。
フィナーレを飾る競技に相応しい。
障害物競走と言っても、たいした障害物はない。
貴族の子も多いのにどろんこゾーンなんか入れたら、親が怒って寄付金減らすとか言ってきそう。
コースは3つのゾーンに分けられる。
まず初めは、
重い土嚢を持って50mくらい移動する。
重さは学年ごとに異なる。
次は、平均台。
これが結構長くて、15mくらいある。
途中で落ちたら最初からやり直しだから、慎重に行かなければならない。
最後は、シンプルにただ走ってゴールを目指す。
ゴールは200m先くらいにある。
僕のクラスから選ばれたのは、僕とヴァンの二人だ。
さっきの大綱引きで1位を取ったことにより、僕たちのクラスは学年2位にまで浮上した。
1位との差はそこそこあるが、僕とヴァンの結果次第ではまだ優勝の可能性も残されている。
でも僕は優勝なんかに興味はない。
ヴァンに負けなければそれでいいんだ。
ここでヴァンを負かして、さらに高学年の生徒たちよりも優秀な成績を残せば、注目度が上がり今後の選挙活動を有利に進めることができるだろう。
絶対に負けるわけにはいかない。
時間になったから、僕はヴァンと並んでスタート位置へと歩いていく。
「今度こそちゃんとやるんだろうな?」
「ん? さっきも真面目にやっただろう?」
「最後だけだろ」
「どうせ貴様が活躍するのだから、僕はほどほどにやるよ」
「ちゃんとやってくれ」
スタートラインに着いた。
2人×5クラス×6学年で、総勢60人。
横一列に並ぶのは難しいから、6年生から順に10人ずつ並ぶ。
低学年は不利だけど、後ろから体の大きい生徒が追い越してきたら危ないから仕方がない。
僕とヴァンは同じクラスだから隣同士だ。
邪魔するつもりはない。
実力で勝ってこそ名声は得られるのだ。
審判が旗を持って配置についた。
「位置について」
僕は脚を魔力で強化する。
「よーい……どん!」
審判が旗を降ろすと、選手はいっせいにスタートした。
まだみんなが固まっていて動きづらいけど、僕は生徒たちの合間を縫ってなんとか密集地帯を抜けた。
強化された脚力で土嚢エリアまでたどり着く。
3年生用の土嚢を両手に1つずつ持ち、再び走り出す。
僕よりも前にいるのは5人、いや6人か。
おそらく学年ではトップだな。
と思いきや、すぐ横に気配を感じて目を向けると、ヴァンの姿があった。
このストーカー赤頭。
もっと離れて走ればいいだろ!
「ちゃんとやってるな」
何が、ちゃんとやってるな、だ。
君は僕の母親か?
「僕とヴァンがこの位置ならば、優勝できるだろう。君はこの順位を維持してくれ」
「いいや、俺は全学年で1位を狙うよ。ロイの方こそ、ここで満足していればいい」
志が高すぎる。
もっと気楽に生きてくれ。
これだから英雄の末裔は困るんだ。
そうこうしているうちに、土嚢エリアは終わり、平均台までたどり着いた。
知らないうちに三人追い越していたようで、前にいるのは残り二人。
だけど、一番警戒するべきなのは横にいるこの男。
平均台は身体強化を使わない方がいいな。
今の僕の実力じゃあ、あまり繊細な動きができないからバランスを崩してしまう。
僕が強化を解いて平均台を渡り始めると、隣の平均台をものすごい速さでヴァンが走り抜けていった。
な、なんだよあれ。
どんなバランス感覚してるんだ!?
半分を渡ったところで、ヴァンはすでに平均台を渡り終えていた。
僕は脚に魔力を集める。
しかし、途中バランスを崩してしまう。
このままだと落ちるっ!
僕は思いっきり台を蹴って残りの距離をジャンプで飛び越えた。
なんとか平均台を終えたが、ヴァンはすでに10mほど先を走っていた。
平均台でまた一人抜いたようで、前にいるのはヴァンとトップを走る高学年の生徒だけとなった。
太ももからふくらはぎにかけて魔力量多めに強化をかける。
ヴァンとの距離は少しずつ縮まる。
残り100mくらいか。
だめだ。
このままだと追いつく前にヴァンはゴールする。
僕は一か八か、複数の部位の強化を試みることにした。
さっき綱引きのときに覚えたばかりだから上手くいく保証はないけど、やらなきゃ勝てない。
強化するのは肩から背中にかけて。
短距離に必要なのは下半身だけじゃない。
なんとか成功する。
すると、みるみるうちにヴァンに追いついた。
そして、ヴァンを置き去りにする。
残り30mを切ったあたりで、最後の一人を追い抜く。
よし、僕がトップだ!
そう思ったのもつかの間、すぐ後ろから足音が聞こえてきた。
見なくてもわかる。
ヴァン・スペルビアだ。
くっ、全力で走ってるのに引き離せない。
それどころか、だんだんと足音は近づいてきているっ!
そしてついに、ヴァンは僕に追いつき、あっさりと追い越していった。
僕はなすすべなく、ゴールテープを切るヴァンの後姿を眺めることしかできなかった。
飛ぶようにゴールしたヴァンの肩甲骨あたりに、彼の髪色に似た赤く光る翼を幻視する。
途中まで手を抜いていたのか?
いや、あの男がそんなことをするとは思えない。
ということは、僕が編み出した複数個所の身体強化を、戦いの中で即座に真似されたのだろうか。
才能の塊め。
これだけやってダメなら今回は完敗としか言いようがない。
僕がゴール脇で立ち尽くしていると、ヴァンが近づいてきた。
「ロイ。俺はお前といるときが一番成長できる。いい勝負だった」
ヴァンが手を差し出す。
観客席から多くの生徒に注目されているのを意識しながら、僕はその手を払った。
「今日のところは負けを認めるが、最後に勝つのは僕だ」
僕はヴァンに背を向け、クラスの応援席へと歩いた。
僕とヴァンの活躍のおかげで、僕たちのクラスは学年優勝を飾った。
三年生が六年生も混ざる選抜レースでワンツーフィニッシュをしたのだ。
終えてみれば、他クラスを大きく引き離していた優勝だった。
ヴァンはクラスメイトたちに英雄のように持て囃された。
僕の方はちらちらと様子を窺うだけで、近寄ってはこなかった。
それを見かねたのか、いつもの三人が集まってくる。
この子らに慰めてもらおう……。
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