第7話
本邸での生活は、王都でのそれとはだいぶ勝手が違う。
まず、食事の回数が違う。
王都では1日2食だったが、こちらでは3食だ。
他人と食事を一緒に取ることにも慣れない。
でもそんなことはたいした問題じゃない。
僕が許せないのは、魔法学の勉強ができないことだ。
最初の数日は、魔力循環や身体強化の練習で時間を潰したけど、同じことばかりやっていれば飽きる。
昼食を終えた後、やることがなくなった僕は裏庭を探検することにした。
緑が青々と茂っていて、夏の盛りを感じさせる。
小鳥の鳴き声は生命力に溢れ、探検をするには絶好の日和だと、僕に教えてくれているようだ。
屋敷の近くは芝生も綺麗に刈り揃えられていたが、歩みを進めれば、草が腰のあたりをくすぐり始めた。
この先は丘になっている。
脚を魔力で強化して登っていこう。
僕の背丈をゆうに超える木々が増えてきた。
そういえば森ってどこからが森なんだろう。
森じゃない場所から歩いていって最初に見つけた木からかな。
それとも、面積当たりの木の本数が一定以上になった地点からとかだろうか。
この辺りはまだ日の光が十分に差し込むから、森とは呼べないかもしれない。
どうでもいいことを考えながら、強化された脚でぐんぐんと斜面を登っていく。
後ろを振り返ると、屋敷は木の隙間から辛うじて見える程度となっていた。
身体強化が使えることを家族にはなんとなく知られたくなかったから、王都では部屋の中で練習するだけにとどめていた。
ここならば、誰にも見られずに走り回ることができる。
木が邪魔だけど、障害物があることは何かしらのトレーニングになるだろう。
そういう修行シーンが前世の創作物の中で描かれていた気がする。
実際に役立つかは知らない。
木々の間を走り回り、程よい疲れを感じた僕は、具合の良さそうな一本の大きな木に背を預けて休むことにした。
立派な幹が描き出す影が長くなり、日の傾きを感じる。
なんだ?
視界の端で何かが動いた。
そちらに注意を向ければ、丸みを帯びた、子どもの膝丈にも満たないほどの小動物が飛び跳ねているのが見えた。
兎のようにも見えるけど、それにしては丸い。
ボールがひとりでに跳ねているみたいだ。
僕は立ち上がり、音を立てないようにそれのいる方へと近づいていく。
踏んだ小枝が、パキッと音を立てて折れた。
小動物が飛び跳ねるのをやめ、僕を見る。
正面から見ると、それには角が生えているのがわかった。
魔物だ。
アルクム通りで突進され突き飛ばされたときの痛みを思い出し、身体が強張る。
そんな僕をしり目に、白い魔物は移動を始める。
こちらへ来る気配はない。
あの物体、歩けたんだ。
飛び跳ねるしか能の無い生物かと思った。
危険性はあまりなさそうだし、もう少し近づいてみるか。
とことこ歩く白玉の後ろを僕は付いていく。
小動物を追いかける行為は物語の始まりを予感させる。
それにしても、蹴り飛ばすのにちょうど良さそうな大きさと形をしている。
気づけば、僕は魔力で強化させた脚を振り抜いていた。
想像よりも重みを感じたが、魔物は勢いよく飛んでいき、木に激突して、ぼとりと地面に落ちた。
身体強化をすれば僕の小さな体でも大人並みの力が引き出せるな。
これを人に向けたら危ないな。
十分注意することにしよう。
……いや待て。
動物を蹴ってはいけない。
人間だけでなく動物も蹴ってはいけないんだ。
僕の知る倫理に反する。
なのにどうして、僕はそのことを歯牙にもかけなかったんだ?
慌てて蹴り飛ばした魔物に駆け寄った。
ぐったりとしている。
その白い体に手で触れると、かすかに鼓動を感じた。
よかった、まだ生きてる。
でもこのままだと死んでしまうんじゃないか?
ふと、『40歳から始める健康魔法』のとあるエピソードを思い出した。
あれは、弱った動物を魔力循環で回復させたという話だった。
やってみるしかないか。
失敗して殺してしまうかもしれない。
怖い。
蹴り飛ばして殺すよりは、助けようとして死なせる方がましだと、自分を納得させる。
そして僕は魔臓から魔力を移動させ、手のひらに集めた。
しかし、魔力は魔物に伝わっていかない。
体の境界が壁になって移動を阻んでいる。
一度僕は魔物から手を離した。
祈るように両の手の指を絡み合わせる。
これで右手から左手に魔力が移動するか試してみよう。
すると、少しの抵抗を感じたが、魔力は右手から左手へと伝わった。
今僅かに感じた抵抗がおそらく境界の壁だ。
僕の右手から僕の左手への移動だと壁は低く、越えるのは簡単。
僕からこの魔物への移動は、それとは比べ物にならないくらい壁が高くなって、越えるのが難しい。
そう僕は考察した。
魔力の移動のスピードを上げてみる、のはなんとなく違う気がするな。
魔力量を増やす方が理に適っている。
氾濫する水のイメージだ。
僕はもう一度魔物の背にそっと両手のひらを乗せた。
魔臓から魔力を移動させていく。
右手に魔力が溜まっていくが、すぐに身体強化のエネルギーへと変換されてしまう。
これじゃあだめだ。
僕の細胞が身体強化を始めてしまう前に、一気に大量の魔力を移動させないと。
今度は量と早さの両方を意識して魔力を移動させた。
壁を越えた魔力が魔物へと流れ込んでいく。
よし。
後は魔物を経由して左手に戻すだけ。
しかし、魔物へと注ぎ込まれた魔力はコントロールを失い、霧散してしまった。
身体を離れた後も自分の魔力は操作できるみたいだが、距離に従って操作は難しくなる。
今の僕の技術では魔物を介した魔力循環は手に負えなかった。
体表付近の怪我ならば、なんとかできるかもしれないと思い、目に付いた傷に対して片っ端から魔力循環をしていった。
治癒は成功し、見える範囲の傷は無くなった。
イライジャ師匠の話はやっぱり本当だったんだな。
ちゃんと傷が治ってる。
僕にもっと技術があれば、こいつもきっと救えたんだろう。
魔物は内臓にダメージを負ってしまったようで、表面的な治療だけでは助けることができなかった。
手のひらが心地良いのか、治療中ずっと魔物は体をぴたりと擦り寄せてきた。
蹴り飛ばしたのは僕なのに。
魔物はもう動かない。
僕が殺したんだ。
それが悲しいことなのか、よくわからなかった。
穴を掘って簡易的な墓を作り、殺した魔物を埋めた。
僕が屋敷に着いたのは、日の暮れる少し前だった。
本邸での生活も二週間が経過し、いよいよ明日王都へと戻る。
裏庭の探検から一週間が経つが、あれ以降あそこへは行っていない。
後ろめたい気がするし後悔している気もする。
悲しいと感じているとも思う。
その一方で、本当のところは何も感じていないんじゃないかとも思う。
気持ちの整理をつけようと、いろいろと考えてみても、思考はループして抜け出せない。
あの日の行動は、少なくとも前世の知識にある倫理観からのものではない。
となると、やはりこの僕自身の思考が良くないのだろうか。
思えば平民を自然と下に見てしまうのもそうだ。
エリィ・サルトルを食堂で追い出そうとするエベレストに加勢してしまったのも、僕自身の意思だ。
ただ、前世の記憶を思い出す前とは明らかに異なる考え方をする自分も確かに存在する。
考え始めると止まらなかった。
僕は頭を振って、堂々巡りする思考を追い出した。
早く起きすぎちゃったな。
この頃、眠りが浅い。
朝食まで、まだ時間がある。
頭の中をリフレッシュするため、僕は目を瞑って魔力循環を始めた。
朝食の後、僕はお祖父様に選挙の件について話をする時間を作ってもらった。
滞在中、もっと早くに話し合うべきだったが、考えがまとまらず先延ばしにしていた。
明日の朝出発するから、話をするなら今日しかなかった。
お祖父様の部屋は綺麗に整頓されていて、父の部屋に似ていると思った。
物がそこらじゅうに転がっているエルサの書斎とは大違いだ。
もし僕が整理整頓のできない大人に育ったら、エルサの血筋のせいだと責めることにしよう。
お祖父様は、装飾が控えめなソファに座っていて、僕に着席を促した。
僕が正面のソファに腰を下ろすと、お祖父様は口を開いた。
「もう来ないかと思っていたが……。それで、お前の望みはなんだ?」
前置き無しに本題に入るところも父のルーカスに似ている。
ルーカスがお祖父様に似ていると言ったほうが正しいか。
「まだ3ヶ月先の話ですが、学友の誕生日パーティを盛大に執り行いたいと考えております」
「……それが選挙とどう関係があるんだ? 参加者にお前を支持するよう、頼んで回るつもりか?」
お祖父様の顔に失望の色が浮かぶ。
「そこで支持者を増やそうと考えております」
「そうか。勝手にすればよいだろう。それでお前は俺に何を求めているんだ?」
「腕の良い仕立て屋を紹介していただけないでしょうか」
「仕立て屋? 着飾って票を集めるつもりか?」
「まさにその通りにございます」
「好きにしろ。紹介状ぐらい書いてやる。――話はそれだけか?」
途中からお祖父様の関心が薄れていくのを感じたが、とりあえず目的を達成したことに僕は安堵した。
「そうですね、他にも今後の選挙の方針についてお伝えしておこうかと思います。どちらかといえばこちらが本題で――」
一つ目の要望が通り調子に乗った僕は、まだ構想の段階であることを前置きし、誕生日パーティの後に考えていることを話した。
明日ここを発てば、来年の夏まで戻ってくることはないだろう。
久しぶりに会った孫へのお小遣い感覚で、少しくらいは甘やかしてくれるだろうという打算をもとに、僕はいろいろと交渉をした。
そのうちのいくつかには、お祖父様も興味を示してくれた。
これで勝利へと一歩近づいた、のであればいいのだが。
翌日、朝食を取ってすぐに僕たちは出発した。
クインタスの襲撃を心配していたが、何事もなく駅に到着した。
駅馬車に乗り、二週間過ごしたベルナッシュの街を出た。
今年の帰省は、街に到着した一番最初から、縁起は良くなかった。
初日にあの恐ろしいクインタスに、もしかしたら殺されていたかもしれない。
ルーカスの馬車ではなく僕の乗っている方が標的にされていたらと考えると、背筋にひやりと冷たいものが走った。
そして、裏庭から続く丘の上の森。
そのどこかに、小さな墓がある。
王都に着けば、このモヤモヤは消えるだろうか。
このままベルナッシュを離れるにつれ、心に巣食う鬱屈とした塊がきれいさっぱり無くなってくれればいいのに。
僕は、だんだんと自然が少なくなっていく窓の外の景色を、ぼんやりと眺め続けた。
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