第5話
ペルシャがこれまでに稼いできた人気をそのまま僕に移譲する作戦、名付けて『名声ロンダリング作戦』は大成功を収めた。
歴史の勉強とダイエットを頑張ってよかった。
ペルシャの演技も光っていたな。
顔もスタイルも整っているし、舞台役者でもやれば人気が出そうだ。
ペルシャのかっこよさに食いついたミーハーな票を失うのではないかと心配もしたけど、マッシュが言うにはどうやらそうでもないらしい。
マッシュはこれまでの選挙活動を通して、高学年のお姉様方にペット感覚で可愛がられる存在となっていた。
そのマッシュの情報網によると、僕とペルシャの友情に胸を打たれた生徒も多いようで、むしろ増えているとのことだった。
僕個人ではなく、アヴェイラム陣営として応援してくれているのは心強い。
これは嬉しい誤算だった。
「マッシュは良いとして、わたくしには教えてくださっても良かったではありませんか」
2ヶ月もの間、作戦のことをペルシャと二人だけで隠し続けていたことに、エベレストは文句を垂れた。
「ボクはいいとしてってなんだよ! ボクだって知りたかったさ!」
「はあ……。あなたに言ったところで理解できないじゃありませんか」
「なにをっ!」
「まあまあ、お二人とも。もし計画を知っていたとして、自然に振舞えましたか? この2ヶ月間、スペルビアが時折こちらの様子を窺っていました。勘の鋭い彼のことです。あなたたちが不審な言動をとれば、勘づかれる恐れがありました」
秘密を守るには、それを知る人間を少なくするのが良い。
3年生のエベレストやマッシュが心理戦のようなものをこなせるとは思えなかったから、念のためペルシャ以外には作戦のことは黙っていた。
エベレストが僕に度々立候補を勧める姿は、スペルビア陣営へのいい目くらましになったことだろう。
前期も終わり、夏休みに突入した。
宿題はさっさと済ませ、僕は魔法学の勉強に一日の大半を費やした。
今日で夏休みに入って一週間。
僕は魔力による身体強化の習得を目指すことにした。
ヴァンが魔物を倒すときにやっていたであろう魔力強化。
それを見てから、自分もやってみたいと思っていた。
エルサから渡された師匠の本を読んでいたら、身体強化につながりそうな気になる文章を見つけた。
――魔樹は魔素を取り込むことができます。魔樹が光を浴びることで魔素が励起され、魔力に変換されます。その魔力を消費することで魔樹は生命活動を行なっています。
植物や動物の体は、細胞と呼ばれる無数の小さな部屋で構成されていることが、最近の研究によって判明しました。
細胞の中には、魔力を保持するための微小の何かが存在しています。その何かが魔力を消費することで、魔樹は生命活動をするための力を得ているのです。
人間の細胞の中にも魔樹のそれと似たような性質を持つものが存在すると、私は予想しています。
身体強化を先天的に行える人はその細胞を生まれつき多く持っているからではないかと、私は考えています――
あくまで師匠の予想であって、本文中にもさらっと書かれてあるだけだったが、彼が正しいとすれば身体強化は細胞と関係があるらしい。
細胞中の何かが魔力を保持し、それを力に変えることができるということは、魔力をうまいこと特定の細胞に届けることができれば身体強化ができるかもしれない。
魔力循環を応用すればやれそうな気がする。
脚に魔力を移動させて、できるだけ長い間そこに留まるように魔力循環をしてみるか。
僕はふくらはぎから腿にかけて魔力を超低速で動かした。
すると、10秒くらい経ったころだろうか。
じわあ、と脚が温かくなってきた。
この感覚は以前にも経験したことがある。
いつだったか。
……そうか、エリィを助けるために魔物を蹴り飛ばしたときだ。
思ったよりも魔物が転がっていって驚いたんだった。
あのとき、もしかして僕は無意識に身体強化を行なっていたのか?
一度魔力を魔臓に戻す。
まずその場でジャンプをしてみる。
何もしないとジャンプ力はこんなもんか。
次に、先ほどと同じように足に魔力を留めるように循環させた。
少ししたら足が温かくなってきたから、僕は再びジャンプをした。
すると、通常のジャンプよりも高く跳ぶことができた。
劇的に身体能力が向上したわけじゃないし、熱を感じるまでにもだいぶラグがあるけど、一応成功と言っても良さそうだ。
これでテストの点だけじゃなく、運動でもヴァンに勝てるようになったかも。
……いや、現実そんなに甘くないか。
ヴァンが魔物を斬り伏せる姿なんか、明らかに人間の動きじゃなかったし。
彼に追いつくためにも、夏休み中は身体強化の練習に励もうかな。
夏休みの恒例イベントと言えば、帰省である。
僕が今暮らしている住まいは貴族が王都で暮らすためのタウンハウスだ。
多くの貴族は地方に広大な土地を所有しており、タウンハウスとは別にカントリーハウスという本邸を持つ。
アヴェイラム公爵家の本邸は、王都アルティーリアから西に馬車で丸一日かかる、ベルナッシュという街にある。
毎年この時期は、僕たち家族は駅馬車を利用して帰省している。
駅馬車とは、馬車を用いた公共の都市間輸送システムのことで、一般市民が利用することもあるが、貴族が何台かを借り切って利用することも多い。
長いこと馬車に揺られ、ベルナッシュに到着した。
明け方に出発したが、目的の駅に到着するころにはもうすっかり昼下がりであった。
車内で会話はほとんどなかった。
親は二人とも早々に目を閉じてコミュニケーションを放棄したから、ときどき僕とエドワードが会話をするくらいだった。
僕は途中で寝てしまったようで、駅に着いたときに兄のエドワードに起こされた。
駅には本邸からの馬車が2台、僕たちを迎えに来ていた。
僕とエルサ、エドワードとルーカスに分かれてそれぞれ馬車に乗り込んだ。
「エルサさんは、父上とは、その……仲が良くないのですか?」
僕はずっと聞きたかったことを母に尋ねた。
「……どうしてそう思うの?」
「会話をする姿をあまり見たことがないので」
駅馬車内でも何時間も同じ空間にいて、一言もしゃべってなかったし。
少なくとも僕が起きている間は。
「結婚としては成功だったんじゃないかしら。特にアヴェイラムにとっては」
貴族の世界には、結婚の自由などほとんど存在しない。
相手は多くの場合、あらかじめ決められている。
恋愛の末に結婚するパターンもあるけど、それもお互いの家にとってウィンウィンであることが前提だ。
たとえば僕が仮に恋愛結婚を目指す場合、結婚したときにお互いの家に利益が生まれる相手の中から選択する必要がある。
ただ、家の都合で突然どこどこのお嬢さんと結婚しろと命令されることも少なくないから、燃えるような恋とかしてる場合じゃない。
他に結婚相手が決まったのに、「君とは離れたくない!」などと頭のおかしいことを言っていたら、父親あたりに殺されるんじゃないかな。
「アヴェイラムにとっては、というのはどういう意味でしょう」
「アヴェイラムはとっても優秀な私を手に入れられて、すっごく得したってことよ」
本気なのか冗談なのか、よくわからないな。
「エルサさんの実家にとってはそれほど良い条件ではなかったのですか?」
「さあ、どうでしょうね。私は歓迎されてない養子だったし、アッシュレーゲンとしても厄介払いできた上に懐も潤ってよかったのかも」
養子だったのか。
貴族同士の結婚は魔法の遺伝的な意味で血が目的であることも多いんだけど、エルサがアッシュレーゲンの実子ではないのだとしたら、アヴェイラムが彼女を求めた理由は別にあるということだ。
無難にパイプ作りだろうか。
でもアッシュレーゲンはそれほど大きな家ではないし、アヴェイラムにとってなんの得があるのか思いつかない。
エルサの言っていた彼女自身の優秀さが理由っていうのも、あながち間違いではないのかもしれない。
大穴狙いでルーカスがエルサに一目ぼれをしたとか。
それは無いな。
ふいに馬車が停止した。
屋敷に到着したのかと思い、窓の外を見るが、道の真ん中だ。
「何かあったのでしょうか、エル――」
僕が母の名前を言い切る前に、前方から高く硬質な音が聞こえてきた。
金属同士がぶつかり合うような音だ。
御者台と箱を仕切るブラインドが上がった。
御者は焦燥感を滲ませ、言った。
「前方の馬車が何者かに襲われています!」
御者越しに、ルーカスがフードを被った襲撃者と対峙しているのが見えた。
エドワードも馬車から降りていた。
「ナンバーファイブ……」
エルサが小さく呟いたのを僕は聞いた。
ナンバーファイブ?
なんのことだ?
「エルサさん、僕たちはどうしますか?」
僕は内心焦っていた。
襲撃者の男の動きが目で追えないほどに素早かったからだ。
あんなのに襲われたら一瞬で首が飛んでいく未来が容易に想像できる。
「ルーカスに任せましょう。彼以上に強い人間はこの国にはいないのだから」
それを聞いて、僕は少しだけ落ち着いた。
男が高速で動き回って攻撃をするのに対して、ルーカスはほとんど動かない。
二人とも身体強化を使いこなしていることはわかるが、僕程度では推し量れない強さを持っていた。
素人目線ではルーカスの方が余裕があるように見える。
「父上が押しているのでしょうか」
「ルーカスは敵のパターンを学習して隙を探っている。襲撃者の方は、攻め手を欠いているように見える」
それを嫌ってか男がルーカスから距離を取った。
ここで一呼吸置くかに見えたが、次の瞬間、ルーカスと男の位置が入れ替わっていた。
男の首か肩のあたりから血が噴き出す。
倒した、と思った。
が、男は首元を手で押さえると、僕の乗る馬車の方へと矢のような速さで向かってきた。
こちらに標的を移したのかと焦る。
しかし、男は馬車を通り過ぎ、そのまま走り去っていった。
錯覚かもしれないが、一瞬、金色の爬虫類のような目が僕を捉えた気がした。
男は駅の方へ逃げていった。
ルーカスが追いかけたが、捕まえることはできなかったようで、すぐに戻ってきた。
「あの傷であれほど動けるとは……。父上の剣で胸から肩にかけて致命傷を負ったはず」
エドワードが唖然とした様子で言った。
「治癒能力を持っているのだろう。奴は傷口に手を当てていた。あれほどの回復力の治癒能力を見たのは初めてだが」
ルーカスが淡々と告げる。
「父上、あれはもしや……」
「ああ、クインタスだろうな。私かエルサを狙ったのだろう」
さっきエルサはナンバーファイブと言っていたが、また新たな呼称が出てきた。
クインタス?
有名な男なのか?
「そのクインタスとやらは何者なのでしょうか」
僕は尋ねた。
エドワードがそれに答える。
「――王立研究所の研究員一人とアヴェイラム派の貴族二人が襲われる事件が、ここ最近、立て続けに三件起こっている。研究員は首を斬られて殺されていた。貴族は二人とも四肢を切断され、動けないところを発見された」
首?
四肢を切断?
僕が想像していた以上の危険人物だった。
奴との遭遇時にこのことを知っていたら、震えあがっていたに違いない。
「その貴族たちは、四肢を切断されて生きていたのですか?」
「ああ。発見されたときには治癒済みで、出血もなく、すでに古傷のようになっていたらしい。意図はわからないが、クインタスが治したのだと推定されていた。奴が今しがた見せた強力な治癒能力……。やはり奴の仕業で間違いないようだな」
四肢を切断して治療して生かすってどんな思考回路してるんだ?
サイコすぎてちょっと頭が追い付かない。
特定の身体部位に偏執的な拘りがある類のシリアルキラーだろうか。
収集癖なんかあったり……。
「切断された手足はどうなったのですか……?」
「手足? 被害者の近くに、真っ黒に焦げたものがまとめて置いてあったそうだ。炎系統の魔力を持っていると予想される」
燃やすのか。
コレクションにするよりはマシだな?
……いやいや、何言ってるんだ。
十分ヤバいやつだろ。
「それは、恐ろしいですね」
「ああ、ほんとにな。父上との戦いで並外れた戦闘能力を持つことはわかった。俺じゃあ勝てないだろう。脅威度は大きく上方修正されるだろうな」
エドワードは名門アルティーリア学園でも有数の強さを誇る。
そんな彼に勝てないと言わしめるクインタスの実力は、今の僕では到底推し量ることができなかった。
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