第4話


 ヴァン・スペルビアは、スタニスラフ・チェントルムが立候補したと聞いたとき、己の耳を疑った。

 アヴェイラム派閥からはロイが出馬するものとばかり思っていたからだ。

 チェントルム公爵家は、アヴェイラム派閥においてアヴェイラム公爵家に次ぐ影響力を持つ。

 ゆえに、ロイが立候補しないのであればチェントルムであるのは不自然ではないが、そもそも何故ロイが出ないのかヴァンには理解できなかった。

 ヴァンは前の席に座る友人にその疑問をこぼしたが、「チェントルムの方が優秀で代表に相応しいからじゃない?」と返されるだけだった。



 それからヴァンはロイの動向を気にかけていたが、彼は選挙活動に参加してすらいなかった。

 放課後に残って活動するアヴェイラムの選挙陣営を置いて、ロイはさっさと教室からいなくなってしまうのだった。

 そんなに急いで帰って何をしているのだろうと気にはなったが、学校を出ればヴァンとロイはいっさい関わり合いがないため、何も情報は得られなかった。

 唯一わかることといえば、ロイの外見の変化くらいだった。

 ヴァンは以前から彼の外見上の変化には気づいていたが、最近ではもう誰もが認めるほど細くなっていた。

 彼の兄エドワードも眉目秀麗だが、痩せたロイも整った顔立ちをしている。

 ロイの目つきはエドワードよりも鋭く、見る者に冷淡な印象を与える。

 ヴァンは彼の父であるルーカス・アヴェイラムを見たことがあるが、目の色以外はルーカスから受け継いだのだろうと思った。



 結局何事もないまま2ヶ月が経った。

 期末テストも終わり、今学期も残すところ僅かとなった。

 立候補者は学期最終日までに届出を提出する必要があるが、ロイからはその意志が感じられない。

 チェントルムが立候補した当時はアヴェイラムの代表がロイではないことに首を傾げていた生徒たちもいたが、今ではもう誰も疑問に思っていなかった。





















 ペルシャが僕の代わりにアヴェイラム派閥の代表として生徒会選挙に立候補してから2ヶ月が経過した。

 アヴェイラムの選挙陣営は中立派との交流を通して票の獲得を進めているところだ。

 中立派と言えど彼らも貴族の子であるため、貴族贔屓のアヴェイラムの方がその点僅かに有利ではある。

 一方ヴァンは正攻法で着々と平民の生徒たちからの信用を勝ち取っている。



 立候補者にはあともう一人、ジェラール・ヴィンデミアという平民の男子生徒がいる。

 有名な酒屋の息子で、附属校への寄付金も多いとか。

 国内有数のお金持ち小学校であるこの附属校に通うことのできる生徒は、少なくとも中産階級以上であり、そんなお金持ちの平民の中でも最上位に位置するジェラールのような生徒は、下手な貴族よりも校内の序列が上だ。

 ビジネスに成功し力をつけた資本家階級の市民からの援助は、今や附属校の運営に欠かせないものとなっている。

 彼らの寄付金が平民の生徒たちの待遇を良くしている部分もあるから、ジェラールは平民の生徒からの票を集めるポテンシャルは持っている。

 油断ならない存在だ。

 ただ、ペルシャから聞く話によれば、今のところアヴェイラムがスペルビアを追う形となっていて、平民代表のジェラールが大きく出遅れているという話だ。

 もともと平民票の比率が小さい上に、ヴァンが平民票を集めているせいで、ジェラールが割を食っているようだ。



 ペルシャたちが選挙活動に励む間、僕は魔力循環やランニングをしてダイエットに励んでいた。

 そしてついに、最近になってようやく標準的な体型を手に入れることに成功したのだ!

 やったね!



 その他にも母エルサの書斎に通いつめて魔法学の書物を何冊か読破したり、弱点だった歴史の勉強をしたりと非常に充実した2ヶ月間だった。



 先週期末試験も終わり、今学期もあと少し。

 今日は、昼休みに試験の成績上位者の発表がある。

 掲示板に、各学年上位5人ずつ名前が載る。

 掲示板は食堂の近くにあり、ランチの前に見にいく人が多いだろう。






 昼休憩前の国語の授業が終わると、生徒たちは続々と席を立つ。

 上位5人には『女王の学徒』と呼ばれるバッジが与えられるため、成績発表はちょっとしたイベントだ。

 もしかしたら自分が『女王の学徒』になれるかもしれないと確かめにいく生徒もいれば、野次馬根性で見にいく生徒もいる。



「ボクたちも見にいく? でもどうせ今回もペルシャが一番なんだろうなあ」



 マッシュはペルシャの制服の左胸に輝く金色の『女王の学徒』の記章を見て言った。



「だと良いのですが……。それでは私たちも行きましょうか」



 ペルシャは僕の方を見ながらそう答えた。



「そうだな。君たちは先に行っててくれ。僕は用事を済ませてから向かう」



 僕はペルシャの目を見て言った。

 ペルシャは頷く。

 そして僕以外の3人は教室を出ていった。

 あと教室に残っているのは、成績上位者に興味がない生徒と――



「ロイは行かないのか?」



 ヴァン・スペルビアくらいだろう。



「それは僕のセリフだな。いつも一緒にいる取り巻きたちはもういないようだが?」



「彼らは取り巻きじゃない。友達だ。さっき言っていた用事とはなんのことだ?」



「盗み聞きか? 君も趣味が悪いな。用事というのは、貴様のことだ。ヴァン・スペルビア」



「……俺に?」



「ああ。始まる前にヴァンには伝えておこうと思ってね」



「始まる……? なんのことだ?」



「僕は貴様に勝たなければならなくなった。僕がアヴェイラムで貴様がスペルビアである以上、仕方のないことなのかもしれないな。……不本意ではあるが」



「まさか、ロイ。お前――」



「僕の用事は済んだから、掲示板でも見にいくことにするよ」



 ヴァンに背を向け、僕は教室を出た。






 掲示板の周りには人だかりができていた。

 そこへ向かってゆっくりと歩く。

 僕に気づいた生徒たちが、口々に何かを唱えながら道を空ける。

 できた道の先に、ペルシャが掲示板を見て固まっていた。

 僕はペルシャの近くまでたどり着くと、並んでそれを見た。



  首席 ロイ・アヴェイラム

  次席 スタニスラフ・チェントルム



 もっと下まで見ると、5位にヴァンの名前もあった。



「ロイ様。私の完敗でございます」



 ペルシャは普段より声を大きくして言った。

 その声はこの場に集まる野次馬たちに届いているだろう。



「そのようだな」



「入学してからこの3年間、私は一位の座を譲ったことはありませんでした。それ故、ロイ様に敗れてしまったこと、非常に無念でございます。しかし、それと同時に、私を上回るロイ様の存在を有難く感じております」



「ふむ――それは何故だ? 君の不敗記録を破った僕が憎くはないのか?」



「私自身驚いたことに、そのようなことは露ほども思いませんでした。きっと私は心のどこかで、私と対等な相手を探していたのかもしれません」



「なるほど。僕もお前の優秀さは以前から知っていた。同じアヴェイラム派閥で同じ身分。そして歳も変わらぬお前とは、幼少の頃より比べられてきた。実のところ――僕は優秀なお前に嫉妬していたのだ。それゆえに、今回お前に勝利したことは、何にも勝る喜び。そうだな――今日このときより、スタニスラフ・チェントルム、君を僕のライバル、そして、かけがえのない友と認めよう!」



「ロイ様……! 身に余る光栄……!」



 ペルシャは地面に片膝をついた。

 そして、左胸の『女王の学徒』の記章を外した。



「この記章はこれよりロイ様のものです」



 ひざまずくペルシャから僕は金色の記章を受け取り、制服の左胸につけた。



「たしかに受け取った」



 僕は立ち上がった。

 続いてペルシャも立ち上がる。



「ロイ様。私はこの結果をしかと受け止め、生徒会選挙への立候補を取り下げようと思います。アヴェイラム派閥の代表にはロイ様が相応しい。どうかロイ様、友である私の頼みを聞き入れてはいただけないでしょうか?」



「ほう。それはまた思いがけぬ頼みであるな。だが、我が最優の友の最初の願い、聞き入れぬわけにはゆくまい――このロイ・アヴェイラム、生徒会選挙に立候補すると、ここに約束しよう!」



 僕は高らかに宣言した。

 それまで僕たちの会話に聴き入っていた生徒たちが大きな歓声を上げた。

 僕たちのやり取りを近くで見ていたエベレストとマッシュが駆け寄ってくる。

 四人一列に並び、僕たちは食堂へと歩き出した。



 視界の端に、ヴァン・スペルビアの姿をとらえる。

 そういえば、ヴァンは五位だったか。

 僕は口の端を上げた。

 ヴァンは悔しがるかと思えば、意外にも好戦的な笑みを浮かべた。

 さすがは英雄の末裔まつえいといったところか。



 僕たちは食堂の中へ入っていく。

 席に着いてからも僕らの周りは興奮する生徒たちでしばしの間、騒然としていた。

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