第2話


 図書室を出る。

 こちらをまるで気にかけずにどんどん進んでいくエルサに、僕は早歩きでついていく。



「どこへ向かっているのですか?」



 僕は斜め後ろからエルサの横顔を窺いながら尋ねた。



「私の書斎。魔法研究関連の本や書類はだいたいそこにあるよ。図書室にあるのは学園の教科書レベルのものだけ」



「母上の研究分野は魔法学なのですか?」



 エルサが王立研究所で働く研究員であることは知っていたが、その研究分野までは知らない。

 魔法学であるなら、彼女の書斎は僕にとって理想的な学習場所になるだろう。



「……あのさ。その母上って言うのやめて」



 どういうことだ?

 母上がダメなら、それ以外に何と呼べばいいんだ?



「では、なんとお呼びすれば……。お母さまはどうで――」



「名前で呼んで」



 なんなんだこの人。

 生物学上の母親だろ?

 僕を息子と思いたくないのだろうか。

 そういえば、兄がこの人のことを『エルサさん』と呼んでいたことを思い出す。



「それでは、エルサさん、でよろしいでしょうか」



「いいよそれで――私の研究分野だけど、魔法学でも間違ってないかな。でも、もう少し詳しく言うなら魔力に関する研究」



「魔力……イライジャ・ゴールドシュタインの書籍を持っていると言ってましたが、もしかしてそれと関係があるのですか?」



 『40歳から始める健康魔法』では魔法学に関する多くの知識が語られていたが、中でも魔力に関するものが多かった。



「ロイはあの本の内容理解してるんだ?」



 エルサは立ち止まり、僕の方を振り向いた。



「理解するにはまだ足りない知識が多すぎますが、魔力に関してより踏み込んだ理論を展開していることくらいはわかりました」



「ふーん。ロイってもしかして頭いいの?」



「どうでしょう。自分ではよくわかりません」






 書斎に到着し、エルサがドアを開けて入っていく。

 それに続いて僕も中に入る。

 床には書類が散乱し、机にも本や紙が乱雑に積み上げられていた。

 まるで空き巣にでも遭ったかのようだ。



「散らかってるけど気にしないで」



 いや、気にしてくれ。



「片づけなどはしないのですか?」



 今の散らかった状態が完璧な配置だと言い出しそうだな。



「これからロイもここを使うなら、勝手に片づけてもいいよ」



「エルサさんがいないときも、ここの資料を勝手に見ても良いのですか?」



「いいよ。イライジャ・ゴールドシュタインの本をいくつか貸して様子を見るつもりだったけど、気が変わった」



 やったぞ!

 本を貸してくれるだけかと思っていたから、思ってもない収穫だ。

 最先端の研究はさすがに研究所から持ち出していないだろうけど、それでも専門性の高い論文などはたくさんありそうだ。



「ありがとうございます」



「でも、もしかしたらルーカスが何か言ってくるかもしれないから、あまり目立たない方がいいかも」



 父上が?



「それは、何故でしょうか?」



「まあ、いろいろあるってわけ」



 答えてくれる気はなさそうだな。

 信用されていないのか、子どもに言っても無駄だと思われたのか。

 エルサの研究が魔物騒動と関係あるという噂について探りを入れてみようかと考えていたんだけど、そっちもはぐらかされそうだし、今日はやめておくか。

 この短時間でエルサが気まぐれな人らしいことは、なんとなくわかった。

 へそを曲げてやっぱり本を貸さないなんて言われたら悲しすぎる。



「はい、これ」



 イライジャ先生の著作をいくつか渡された僕は、今日のところは自室に戻ることにした。

 今日話した印象だと、エルサは僕を拒絶しているというわけではなさそうだった。

 受け入れているとも言えないけど。



 僕自身もエルサに対する疑念が晴れないうちは、積極的に関わる必要はないと思っている。

 でもこの部屋には通い詰めたい。

 ジレンマだ。



 噂については、しばらく接してみて頃合いを見計らって聞いてみることにしよう。





















 今日はエベレストの家で『また同じクラスになれてよかったね会』が開かれる。

 エベレストの家は料理やデザートが美味しいと、散々彼女から聞かされていたから楽しみだ。



 すべての授業が終わって、ミリア先生が教室に入ってきた。

 彼女はいつものように、機械的に帰りの会を進めていく。



 早く終わらないかなあと思いながら、ぼうっとしていると、ミリア先生が普段より声のボリュームを上げた。

 意識が先生に向かう。



「最後に大事な連絡があります。本日より生徒会役員の募集を開始します。生徒会は4年生から6年生の各学年2人ずつ、計6人で構成されます。5、6年生は現在の4、5年生のメンバーがそのまま繰り上がります。欠員も出ていないので、今回は新4年生のみの選挙となります。現在3年生のあなたたちの中から選ばれますので、立候補者は今学期末までに届け出てください。届出が受理されれば、その瞬間から選挙活動を始めることが可能です。選挙は年度末にあり、得票数の多い順に2人選ばれます。一番得票数の多かった候補者は6年次に生徒会長となり、二番目の候補者は副会長となります。詳しくは掲示板をご確認ください」







 帰りの会が終わると、いつものようにペルシャ、エベレスト、マッシュが僕の席に集まってくる。



「選挙かあ。ボクあんまりよくわかんないなあ。なんかめんどくさそう」



 マッシュがぼやく。

 小学3年生ならそれが普通だ。

 べつにこの歳で選挙なんかに詳しくなくたって全然困らないよ。

 なんなら知らなくていいくらいだ。

 前世でも小学校高学年になると生徒会選挙はあったけど、立候補する人たちのことを僕は何か熱心にやってるなあ、くらいにしか思わなかった。

 この学校は半年も選挙活動をしなければいけないみたいだから、出馬する人は余計大変だな。

 前世では一、二か月くらいだったような。



「スペルビア派閥からはヴァン・スペルビアが出るのは確定でしょうね」



 自分に関係のない話だと思っていたから、ペルシャの発言にハッとする。



 あれ、そういう感じ?

 もしかして両派閥から一人出馬するのが当たり前みたいな?

 だとしたら順当に考えたらアヴェイラム派閥からはアヴェイラム家の僕が出ることになるんだけど。

 なんとなく3人から無言の圧力を感じる。

 話題を変えよう。



「今日はエベレストの家に招待されているんだったな」



 そう言うとエベレストは目を輝かせた。



「楽しみですわね! うちの料理人の作るとっても美味しいディナーをみなさまにふるまって差し上げますわ! その後はもちろん、うちのぱてぃしえの作る最高のデザートですの!」



「そうだな、楽しみだ」











 家に帰り、『また同じクラスになれてよかったね会』に参加するための準備を始めた。

 下は細身のパンツで、上は燕尾服テイルコート

 上下黒で統一している。

 夜会に燕尾服を着ていくのが最近の王都の流行りだと、現在僕を着せ替え人形にしているメイドが教えてくれた。



 彼女の名前はイザベル・ローリング。

 最近僕の世話をしているメイドだ。

 前まで僕に付いていたメイドよりも仕事が丁寧で、僕は気に入っている。



「燕尾服と言えばサルトルなのですが、今日はアルトチェッロ様主催ですので、他のブランドで代用しますね」



 サルトルはエリィの父、ヘロン・サルトルが展開するブランドだ。

 エリィが助けてくれたお礼にサービスをすると言っていたから、この前一式をオーダーメイドで購入した。

 僕のお気に入りなんだけど、アルトチェッロ侯爵家に行く今日は控えた方がいいだろう。






 馬車がアルトチェッロ侯爵家のタウンハウスに到着した。

 エベレストと彼女の両親と思われる男女が僕を出迎える。



「ロイ君、よく来たね。ルーシィの父、カルロだ。よろしく」



「こんばんは、ロイ・アヴェイラムです。今日はお招きいただきありがとうございます、カルロさん。それから……」



 僕はカルロさんの隣に立つ女性に顔を向けた。



「ルーシィの母、エレナですわ。ロイさん、少しお痩せになられたのではなくて? 昨年見かけたときよりも引き締まって見えますわ」



「わかりますか、エレナさん。実はこのごろ運動をしていまして。自分でも痩せてきたと思っていたところなんですよ」



 エレナさん、すごくいい人だな。

 エベレストのお母さまがこんな素敵なレディだったなんて。



「ロイさま、早く中に入りましょう。ペルシャとマッシュは先に来て中で待っていますわ」



 カルロさんたちと歓談していると、エベレストが僕を急かした。



「ロイ君、こんなところで話し込んですまなかったね。さあ、中へ入って。ようこそ、アルトチェッロ侯爵家へ」



 僕はエベレストと並んで、カルロさんに続いて家の中に足を踏み入れた。



「いいご両親だな」



「当然ですわ。わたくしのお父さまとお母さまなのですから」







 案内された客間には、ペルシャとマッシュの姿があった。

 そこに僕とエベレストも加わり4人でおしゃべりをしていると、ほどなくしてディナーの準備が整ったようで、食堂に呼ばれた。



 全員が席に着くと、お皿が運ばれてきた。

 学園での出来事などを話の種に、僕たちは食事を進めた。

 料理が本当に美味しい。

 エベレストが絶賛していたのも頷ける。

 皿の運ばれてくるタイミングも完璧で、非常に満足のいくディナーとなった。



「そういえば、今日生徒会の募集があったそうじゃないか」



 食事が一段落したころに、カルロさんがそう切り出した。

 エベレストが伝えたのだろう。



「そうですね。スペルビア派閥からは当然ヴァン・スペルビアが立候補するでしょう」



 ペルシャが言った。

 その言葉、さっきも聞いたぞ。

 話の流れが読める。



「ふむ、当然そうだろうね。……それでロイ君はどうするつもりなんだい?」



 カルロさんが僕に目線をよこした。

 やっぱそうなるよな。

 ペルシャが出ればいいのに。

 能力も高いし、容姿だって人気が出そうだ。

 それに、アヴェイラム派閥の中でもペルシャの家、チェントルム公爵家はアヴェイラム公爵家に並ぶ重要な役割を担っていて、家柄も完璧だ。



「ペルシャはどうなんだ?」



 僕はなんとか流れを変えようと、ペルシャに受け流す。



「私の祖父は、アヴェイラム公爵家のロイ様のご活躍を期待しております」



「君自身は出たいとは思わないのか?」



「私は祖父の意向に従いますので、個人的な考えは持っておりません」



 だめだ。

 ペルシャに受け流すのは失敗した。

 チェントルム公爵的には、僕以外は認めない感じだ。

 孫を差し置いてアヴェイラム公爵家の僕を立てるとは、なんて献身的な人なんだ。



「そうかそうか。ここのところアヴェイラム派閥からは一位当選が出ていないんだ。貴族票を分けあったとしても市民階級に圧倒的人気のあるスペルビア派閥の候補が平民票を根こそぎ持っていってしまうから、どの年も勝つのは非常に難しい。だが今年はアヴェイラム本家からロイ君が出るのだから、私も本当に期待しているよ。私だけじゃなく、アルトチェッロ家として、アヴェイラム公爵様のお孫さんを応援しようじゃないか」



 いや、勝てる勝てない以前に、まだ立候補するとは言ってないんだけど。

 アヴェイラムの孫である僕が出馬するのは例年よりアドバンテージになるかもしれないけど、相手側もスペルビアの孫が出るんだから結局プラマイゼロなんだよ。

 むしろ、ヴァン君の生徒人気と僕の不人気具合を加味したら例年よりも絶望的だ。

 逃げたい。



「エベレストとマッシュはいいのか?」



「ボクはよくわかんないからいいや」



 マッシュ!

 小学3年生だろ!

 選挙のことくらいちゃんと知っておいてくれ!



「わたくしはあの食堂でスペルビア派閥のみなさんを黙らせたロイ様なら、きっと勝てると確信しておりますわ!」



 エベレスト!

 君のマウント力はそんなものなのか?

 学園くらい掌握してみせてくれよ!



「そうですね。前向きに検討します」



 やむを得ず政治家のような回答をしてしまった。

 ……ハッ!?

 まさか、政治家らしく選挙活動をしろという暗示……?

 なんならまだ、前向きに検討する計画を立てるための旅に出ようか議論するくらいの段階なのに。



 そうして、不穏な空気を残しながら『また同じクラスになれてよかったね会』は終了した。

 最後に運ばれてきたデザートが絶品だったので、ささくれ立った僕の心は少しだけ回復した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る