第二章

第1話


 今日からいよいよ魔法を習得していこう。



 僕はラズダ書房で購入した『魔法学入門』を開く。

 学園の行き帰りに関しては解決したが、魔物がうろつくようになった王都ではこれからも危険に遭遇することがあるだろう。

 防衛手段を身につけるのは早い方がいい。



 えーと、なになに?



 ――魔法を行使するためにはまず、杖が必要です。



 えっ!?

 杖って必ず要るものなのか?

 聞いてないんだけど。

 杖なんて持ってないし、どうしようか。

 とりあえず続きを読むか。






 ――杖は体内の魔力を引き寄せるための道具です。魔力と親和性の高い木材が使用されています。杖を持つと、体の中心から何かが動き出す感覚があると思います。それが魔力です。また、魔力が溜まっている場所を魔臓と呼びます。

 何もしなければ魔力はせき止められて魔臓から出てくることはありません。ですので魔臓から外に出してやる必要があります。いったん魔力が魔臓の外に出れば、後は自動的に杖に引き寄せられ、杖の先から魔法が放出されます。

 魔臓から魔力を押し出す感覚は非常に説明が難しく、一概に言えるものではありません。

 比較的よく使われる表現を紹介しますと、「蓋を開ける」、「絞り出す」などといったものがあります。あまり教育向けの表現ではありませんが、「踏ん張る」というものもあります。

 当然それらのイメージではやりにくい方もいます。その場合は各々おのおのが自分に合った感覚を見つけ出すと良いでしょう――






 杖については、イライジャ師匠の本『40歳から始める健康魔法』に考察が書かれてあった。

 魔力と親和性の高い木は種類がいくつかあり、それらは魔樹まじゅと呼ばれている。

 魔樹は魔力を消費して生命活動を行なっている、という考えを師匠は展開していた。



 魔樹は人間でいうところの血管のようなもの――魔力管というらしい――があり、魔素を帯びることができる。

 魔力管が一定量以上の魔素を帯びると、魔力に対する伝導性が上がる。

 葉っぱが太陽光を利用して魔素を魔力に変換し、魔力管を経由して体全体に魔力を行き渡らせている。



 通常の植物は、光合成によって光エネルギーを化学エネルギーに変換するが、魔樹は化学エネルギーの代わりに魔力に変換している、というのが僕の理解だ。



 魔法の杖は魔樹の魔力管の部分を素材にして作られている。

 杖は体内の魔力を引き寄せ、空気中に放出する。

 僕は杖無しでも魔力を動かせるけど、体外に出す感覚は全くと言ってよいほど掴めていない。

 一度どうにか空気中に魔力を押し出そうとしてみたけど、壁に当たったように阻まれて上手くいかなかった。

 杖を使えばそれが簡単にできるようになるみたいだ。

 水の入ったペットボトルの側面にストローを突き刺すと、ストローを通ってペットボトルの外に水が流れていくが、杖の役割は大体そんな感じだと認識している。






 ――杖が一般的になる前、魔法はごく一部の人間だけが使うことのできる特権でした。

 彼らはその力を利用し、地域的な支配権を持つようになりました。我が国を含む多くの国の貴族、またはそれに類するような特権的な階級は、彼らが源流であると言われています。

 現在でも先天的に魔法を行使できる人は、稀にいます。その多くは、身体能力を向上させるといったものですが、中には放出系の魔法を杖無しで使える人もいます。

 杖を使わない魔法を自然魔法と言いますが、後天的に自然魔法を覚えることも不可能ではありません。

 魔法教育が体系化されたことで、自然魔法の習得は以前よりも難しくなくなりました。

 今この本を読んでいるあなたも、自然魔法の使い手になれるかもしれませんね――






 自然魔法の代表例は身体強化なのか。

 それができる人間に一人心当たりがある。

 ヴァン・スペルビアだ。

 アルクム通りで魔物に襲われたとき、突進してきた魔物を避け、切り裂いた彼の速さは異常と言えるほどだった。

 あのとき二つに別れた魔物の断面は綺麗なもので、普通の人間が真似できるレベルではなかったと思う。

 ヴァンの家は剣術の家系で、彼は英雄の子孫でもあるから、血筋的にも自然魔法を使えるだけの素質は十分にある。

 逆に、あれが身体強化でもなんでもなく、ヴァンの素の身体能力だったとしたら怖すぎる。






 ――杖にはそれぞれ、固有の魔力容量キャパシティが存在します。魔臓の蓋を開けると、自動的に魔力容量キャパシティ分の魔力が抜き取られ、魔法が行使されます。したがって、初めて魔法を使う方は魔力容量キャパシティの小さい杖を選択する必要があります。訓練すれば魔臓の蓋を閉じて、使用する魔力の量を任意に調節することもできるようになりますが、それまでは初心者用の杖で我慢しましょう。

 杖から放たれる魔法は炎を帯びていたり氷のように冷たかったりと、人により様々です。

 それではいよいよ魔法を使用してみましょう。ただし、必ず熟練者の監督のもと、行なうようにしてください――






 この世界では、詠唱をしていろいろな種類の魔法を使えるといった感じではないみたいだ。

 各人が固有の属性を持っていて、杖で属性付きの魔法を発射するのが主流らしい。

 自然魔法だともう少し自由度は上がるけど、ゲームのように融通が利くものではない。

 たとえば、『空を飛ぶ』だったり『敵の能力を奪う』みたいなことはおそらくできない。

 これまで師匠やこの本から学んだことからも、無茶苦茶な法則で魔法が顕現するわけではないことはなんとなく気づいていた。



 これはいいことだ。

 法則がなければ、研究もなにもないからな。

 何らかのルールに従っているこの世界の魔法は、研究のし甲斐があるということだ。

 そのことに僕は感謝した。











 『魔法学入門』を読み終えた僕は、次の参考書探しに屋敷内の図書室に来ていた。

 イライジャ師匠の『40歳から始める健康魔法』は僕のバイブルだから部屋に置いてきた。

 今のところ返却するつもりはない。



 杖を所持していない問題はいったん保留。

 『魔法学入門』によれば、自然魔法はとても難しいという話だったが、魔力循環を応用すればできそうな気配はある。

 イライジャ・ゴールドシュタイン師匠なら難なくできたはずだと、僕は勝手な信頼を寄せている。

 附属校の卒業間際、つまり学園に入る直前に魔法の適性検査があるから、できればそれまでに杖の感覚も予習しておきたいところではあるけど、無いものは仕方がない。

 屋敷のどこかに落ちてたりしないかな。



 次に読むのに手頃そうな魔法学の本を探す。

 師匠の他の本があれば喜んで飛びつくのだが、生憎あいにくと見つからなかった。

 彼が学会追放前に執筆したものでもいいんだけど……一冊もなさそうだな。



「――君の歳じゃあまだ早いんじゃない?」



 魔法学コーナーを物色していると、不意に後ろから声がかけられる。

 振り向くと、さらさらと真っすぐな黒髪を持つ、猫目の女性が僕を見下ろしていた。



 びっくりした。

 誰かが部屋に入ってきたことに全く気付かなかった。

 それともこの人、僕よりも先にいたのか?



 僕は心を落ち着かせ、突然現れた人物を観察する。

 肩周りの袖が膨らんだ白いドレスを着ている。

 歳は二十代半ばあたりに見えるが、僕の記憶では、確かもう四十近かったはずだ。

 エルサ・アヴェイラム。

 僕の母親だ。



「母上、お久しぶりです。本当に」



 最後に嫌味を付け足すと、母親はそれに気づいたのか表情を歪ませた。

 しかしそれも一瞬のことで、すぐに元の表情に戻る。



「久しぶり。元気にしてた?」



「はい。おかげ様で」



「あはは、ほんとに元気そう。それで、こんなところで何してるの?」



 魔物騒動と母の研究は関係があるかもしれない。

 少し前にペルシャがそんなことを言っていた。

 この人に気を許して良いのかわからず、僕は警戒する。



「本を探してたんですよ」



「魔法学コーナーで? ロイはまだ6年生じゃないよね?」



 どう言い訳をしようか。

 エルサがいつから見ていたかわからないから、たまたま通りかかったとだけと言っても信じてもらえない可能性がある。

 学校の宿題とごまかすにも3年生の僕では不自然だ。



 そもそもの話、この人は僕の年齢を知っているのか?

 見た目で6年生じゃなさそうだと判断しただけかな。



「今年度から3年生になりました。6年生の魔力検査まで待ちきれなくて、つい」



 子どもらしく魔法に憧れたということにしておこう。

 この歳で魔法に興味を持つのは自然なことだからね。



「そうなんだ。気持ちはわかるけど、危ないから学校で教わるまで待った方がいいよ」



「そうですね。残念ですが、我慢することにします。それでは僕はこれで」



 今は大人しく引き下がって、また後でここに来ることにしよう。

 僕はエルサに背を向けた。

 図書室を出ようと歩き出すと、エルサは言った。



「そういえば、魔法学の入門コーナーにあったはずの『40歳から始める健康魔法』が無くなってるなー。あれ私が置いたんだけど、いったいどこに行ったんだろう。彼の書籍はいくつか持ってるけど、その中でもお気に入りの一冊だったんだけどなあ」



 な、なんだと!

 師匠の本を他にも持っていると言うのか。

 僕は思わず足を止めて振り向く。

 視線の先には、エルサのしたり顔があった。



「あの本持っていったの、やっぱりロイだったんだ」



「あ、いえ。なんのことでしょう」



「まだ惚ける気? せっかく他の本も貸してあげようと思ったのに」



 くっ。

 イライジャ先生の本を盾にするなんて。

 人質を解放しろ!

 我々はテロには屈しない。



「見せて、ください……」



 これは敗北ではない。

 僕にとっては、人質の命の方が大切だったというだけのことだった。

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