第12話
食堂事件から少し経った、ある日の放課後。
附属校からの帰り道、ヴァン・スペルビアは馬車に揺られながら、ロイのことを考える。
馬車の分厚い窓ガラスを通して見える大通りは、以前よりも
王都アルティーリアの中心部を東西に貫くこのアルクム通りは、平時であれば往来が激しい、活気のある通りだ。
ベージュやクリーム色を基調としたレンガ造りの、比較的新しい建物が多く、王都で流行りのブランドや飲食店が店を構え、常に賑わっているはずだった。
しかし、魔物騒動の影響か、今ではその面影もほとんど感じられない。
平民の生徒の多くは、これまで一人で附属校に通っていたが、最近では親などが送迎をすることも増えてきた。
それでも保護者を伴わずに登下校する生徒はまだまだ多い。
ヴァンは街道を歩く人々の中に、見覚えのある後姿を見つけた。
ガラス越しで歪んで見えるが、あの丸みを帯びたフォルムと暗い銀色の髪はロイ・アヴェイラムだ。
ちょうど今彼のことを考えていたところだった。
公爵家のロイが附属校から一人で帰っていることに疑問を抱く。
「ここで降ろしてくれないか? 学校の友人を見つけたんだ」
ヴァンは適当な言い訳を繕って隣に座る護衛に告げた。
以前は使用人が同乗していたが、魔物騒動の事態を重く見た彼の両親が数日前から代わりに護衛を乗せるようにしたのだ。
「ヴァン様を無事家まで送り届けるようにと、侯爵様から仰せつかっておりますので」
「それならお前もついてきて守ってくれればいいだろ? それに俺だってそんなにやわじゃない」
護衛は納得していなかったが、ヴァンが年齢のわりに高い実力を持っていることを知っていたため、渋々といった顔で従った。
ヴァンと護衛の二人は馬車を降りる。
「ヴァン様。それでご友人の方はどちらに?」
馬車を降りたは良いが、その後のことを考えていなかった。
始業式の日に廊下で衝突してから好奇心で始めたロイの観察だったが、今では趣味のレベルにまで達していた。
そんなヴァンにとって、ロイの不審な行動に目を光らせるのは、今はもう条件反射のようなものだ。
「キャーッ!」
ヴァンが答えに窮していると、馬車の進行方向から叫び声が聞こえてきた。
ロイのさらに前方に初等部の女生徒が一人座り込んでおり、その先に魔物がいた。
4足歩行の、尻尾の生えている魔物だった。
目を凝らすと、襲われそうになっている生徒がエリィであることに気づく。
街道は逃げ惑う人々で騒然となった。
誰もエリィに気づいていないのか、助けようとしない。
魔物と戦ったことがなかったから自分に倒せるのか自信はなかったが、ヴァンの体は勝手に動いていた。
護衛の
あまりにも自然で、流れるようなヴァンの動きに、護衛は反応できなかった。
「――っ!? ヴァン様、お待ちくださいっ!」
ヴァンは護衛を置き去りにして走り出した。
驚いたことに、ロイも襲われているエリィのもとに向かっているのが見えた。
魔物が彼女に飛び掛かる。
一瞬先の悲惨な光景を想像してヴァンは顔を歪ませたが、それは杞憂であった。
間一髪でロイが間に合ったのだ。
ロイは走った勢いを利用して魔物の横っ腹を蹴とばした。
蹴る直前、ヴァンには彼が急激に加速したように見えた。
魔物は子どもに蹴飛ばされたとは思えないほどの勢いで転がっていった。
よかった、これで一時的に難は逃れた。
しかし、まだ安心はできないと、ヴァンは気を引き締め直す。
武器も持たずにこれからロイはどうするつもりなのだろう、と思ったのも束の間、次の瞬間ロイはエリィの制服の袖口あたりを引っ張って立たせると、一目散にヴァンのいる方へと走ってきた。なるほど、どうやら何も策は無いらしい。
魔物はいつのまにか態勢を立て直し、二人を追いかけ始める。
自分では間に合わないと悟り、ヴァンは叫んだ。
「ロイっ! 後ろっ!」
ヴァンがあと少しでたどり着くというところで、二人はついに魔物に追いつかれた。
ロイは咄嗟にエリィをかばい、魔物の体当たりをもろに受けてしまう。
彼は突き飛ばされ、馬車3台分くらいの距離を転がった。
そんなロイに追い打ちをかけるように、魔物は再度突進を開始する。
ヴァンはようやくロイが転がっているところまでたどり着き、ロイを
クラスメイトの勇敢な姿を見たからか、初めての魔物との戦闘でもまったく怯むことはなかった。
このときヴァンは、すでに噂や家柄などにとらわれることなく、ロイのことを信用していた。
「後は任せろっ!」
大声で後ろにいるロイにそう伝え、魔物に集中する。
魔物は標的をロイから目の前のヴァンに変更したようだった。
コイツの攻撃パターンは単純だ。
標的に向かって突進し、直前で飛び掛かってくるだけ。
だからそのタイミングを見計らって避ければいい。
ヴァンはそう分析し、ギリギリまで引きつけてそのタイミングを待つ。
――今だっ!
魔物がヴァンに飛び掛かるために地面を蹴った瞬間、ヴァンはさっと右に避ける。
その動きを利用して素早く剣を構える。
そして、地面と水平に、両腕で思いっきり振り切った。
銀色の刃は魔物の大きく開けた口に吸い込まれ、そのまま上あごと下あごを分断し、血飛沫と共に後頭部から飛び出す。
直前まで生き物だったその物体は、空中で二つに分かれ、ヴァンの後方に落ちた。
ヴァンは後ろを振り返り、魔物の残骸を確認する。
魔物の血や内容物が飛び散り、灰色の石造りの通路を赤黒く汚している。
ヴァンは、これほどうまくやれたことに自分でも内心驚いていた。
稽古でも今ほど集中力を発揮したことは一度もなかった。
この日ヴァンは、初めての実戦を通してひとつ壁を越えたのである。
魔物の死を確認すると、ヴァンは倒れているロイのもとへと向かった。
僕はクラスメートのヴァン・スペルビアが魔物を瞬殺する姿に心を奪われていた。
いつものように学校からの帰り道を一人で歩いていた。
しかし途中で非常事態が発生した。
前方の曲がり角から魔物が現れたのだ。
僕一人なら逃げ切れただろうが、僕の前にはもう一人生徒がいた。
最近エベレストがご執心のエリィという少女だ。
彼女と魔物との距離は近く、おそらく逃げ切れないだろうと思った。
僕が助けに行っても二人とも死んでしまうかもしれなかったが、僕は彼女の叫び声を聞いた瞬間、魔物に向かって走り出していた。
なんとか間に合い、魔物を蹴り飛ばした――魔物が思った以上に飛んでいって驚いた――ところまでは良かったが、まったくの策なしで飛び込んでしまったために選択肢は逃げる以外になかった。
彼女の制服の袖を引っ張って来た道を引き返した。
こんなことならもっと早く魔法の練習を始めておくんだったと後悔した。
必死に走っていると、前方から、「ロイっ! 後ろっ!」と、叫び声が飛んできた。
指示通りに後ろを振り向くと魔物がすぐ後ろに迫ってきていた。
エリィを連れて走っていたからすぐに追いつかれてしまったのだ。
もう間に合わないと思い、エリィだけでも助けようと軽く彼女の体を突き飛ばし、ひとりで魔物の体当たりを受ける。
自分が走っていた勢いも合わさってかなりの距離を転がった。
ぶつかられたわき腹が痛み、息ができない。
倒れ込み、石畳に頬をくっつけた状態で、視線だけ魔物がいる方に向けると、止めを刺すといわんばかりにこちらへ向かって走り出していた。
なんとか助かる方法を模索するが、時間が足りない。
身体を起き上がらせようと腕に力を入れたとき、さっき僕に忠告をした子どもの声が耳に届く。
「後は任せろ!」
ヴァン・スペルビアだった。
彼が僕を守るように魔物の前に立ちふさがったのだ。
そこからは一瞬だった。
まるで映画のワンシーンでも見ているようだった。
彼が魔物の体を切り裂く瞬間の美しさに、僕は目を奪われた。
宙に飛び散る魔物の赤黒い血がヴァンの燃えるような赤髪を際立たせ、顔にかかる返り血すらもヴァンの野性的な魅力を引き出していた。
技術で言えばヴァンはまだまだ発展途上だろう。
まだ子どものヴァンよりも強い奴なんて、この世界にはたくさんいるはずだ。
だけど僕は、理屈抜きにヴァンの剣術に魅せられたのだった。
ヴァンが魔物の死を確認し、僕のもとへ歩いてくる。
「大丈夫か?」
そう聞かれるまで僕は体の痛みなど忘れていた。
彼の戦いはそれほどまでに鮮烈だった。
体に意識を向けると急に全身が痛み始める。
「――くっ、だい……じょう……ぶだ」
本当は大丈夫じゃないレベルの痛みがある。
肋骨にひびでも入っているのだろうか。
僕は魔力循環を始めた。
魔力循環には少しだけ自然治癒力を促進する効果もあるらしいから。
「あ、あのっ、大丈夫ですか?」
エリィも僕のところへ駆け寄ってきた。
しゃべるのはまだ辛かったから頷いて大丈夫だと伝えておく。
「ホントか? ふつうあれだけ吹っ飛んだら大丈夫じゃないと思うんだが」
ヴァンが心配そうに僕の顔を覗き込む。
それは自分でも驚いていた。
もしかしたら魔力循環のおかげで多少体が丈夫になっているのかもしれない。
それとも脂肪のおかげか。
「大丈夫だ。僕は普通ではないからな」
ホントはまだまだ痛いんだけど、二人を心配させてあれこれ言われるのも面倒だと思い、僕は強がりを言う。
「貴様は大丈夫だったのか?」
エリィに尋ねる。
「はい、あたしは大丈夫です。あなたに助けてもらったから。ありがとうございました」
「いや、助けたのはスペルビアだろう。礼なら彼に言うんだな」
「ヴァンでいい。俺もさっき咄嗟にロイって呼んだからな。ロイがいなかったらエリィはただじゃすまなかったんだ。礼くらい受け取ってもいいだろ?」
呼び捨てか。
もともとヴァンとは仲良くなろうと思っていたんだ。
食堂の件でその道も途絶えたかと思ったが、まだ挽回が利きそうだ。
「それじゃあ、ヴァン。僕をロイと呼ぶことを許そう。礼も受け取る。わざわざ平民ごときのために痛い思いをしたのだからな」
「あ、あの、アヴェイラム様。お礼のことなんですけど、今度うちの系列の店に来てくださったときは、たくさんサービスしますね!」
エリィは人気ブランドサルトルの一人娘だ。
サルトルは紳士服・婦人服を中心に、主に貴族向けのファッションアイテムで有名だし、僕はまだサルトルの製品は持っていないから、流行に乗るならば仲良くなっておいて損はない。
それにしてもこの娘、商魂たくましい。
お礼と言いつつ、アヴェイラムという
ウィンウィンだからいいんだけど。
「サルトルか……。そうだな、気が向いたら行ってやる」
「やった! さすがアヴェイラム様です。ありがたき幸せ」
エリィはガッツポーズをした。
感情を表に出しすぎだろ。
商売人なんだから、もっと心の中で喜ぶとかした方がいいんじゃないか。
「貴様はもう少し貴族に対するマナーを学んだ方がいい。これから下級地主になるんだろ?」
「あー、はい。アルトチェッロ様にもいつも言われてます」
そうかエリィは毎日エベレストに噛みつかれているんだったな。
エベレストがエリィの平民丸出しな部分を注意しないわけがないか。
「直す気があるならいいが」
「あ、あはは……」
エリィは困ったように笑った。
僕が気にすることでもないか。
エベレストがこれからもマウント取りつつ指摘していってくれるだろう。
「少しよろしいでしょうか」
気づくと、僕らの周りには人が何人か集まっていた。
彼らはみな同じ制服を着用している。
「なんだ?」
「我々は近頃の魔物被害に対応するために新たに組織されたアルクム巡察隊です。到着が遅れ、申し訳ありません」
「それで?」
「はい。今回の事件の詳細についてお聞きしたいのですが……」
事情聴取のようなものか。
ヴァンに目を向けると、彼は無言で頷いた。
「いいだろう」
僕らは事の
あまり家の人間にトラブルを起こしたことを知られたくなかったから、できればこのことについて僕の名前は伏せてもらうように釘を刺しておいた。
巡察隊は魔物騒動の原因について調べているようだったが、未だに手掛かりはつかめていないらしい。
僕たちが襲われたのは王都のメインストリートであるアルクム通りだ。
そんな街中に魔物が唐突に出現することは普通ならばあり得ない。
以前新聞でも読んだ通り、巡察隊が組織されたのは既存の治安維持部隊では対応しきれない事態だから、と若い隊員が言っていた。
魔物騒動が人為的なものであるという疑念は僕の中でどんどん大きくなる。
ペルシャの言っていたことをもう少し深く考える必要があるかもしれない。
母の研究について、調べる必要がある。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます