第5話


 部屋に戻り、『40歳から始める健康魔法』を開く。






 1.はじめに

 年を取るにつれ体が言うことを聞かなくなってくるのは人間ならば当然です。私もそのことを経験したうちの一人です。

 しかし私はある方法によって体の若さを取り戻すことができました。大げさだと思うかもしれません。そんなの嘘だと思い、ここで本を閉じてしまう方もいるでしょう。

 ですが、少しだけ待って、考えてみてください。魔法学研究者である私が健康に関する本を出すことに何のメリットがあるでしょうか。研究者からは俗な研究だとバカにされるでしょう。魔法使いからは、魔法をそんなことに使うなんて魔法使いの風上にも置けないと言われるだけです。

 しかし、それでも私はこの本を世に送り出したいと思ったのです。この本を出版したことに後悔はありません。

 どうか信じてください。私はただ、みなさまにも私と同じように、もう一度若き頃の体を取り戻していただきたいと思っているだけなのです。どうか最後までお付き合いください。

 みなさまの健康を心より望むイライジャ・ゴールドシュタインより。






 うーん、なんかあやしいな。

 こんな感じの記事が前世ではインターネット上に無数に存在していた。

 僕たちの健康を人質にして、たいした効果もない商品を売りつけ、お金を稼ぐ汚い大人たち。

 我々はそんなものには屈しない。

 ゴールドシュタインさん、あんた喧嘩を売る相手を間違えたかもしれないね。



 いや、まだ詐欺だと決まったわけではない。

 地球で育った前世が、情報を簡単に信じることをできなくさせている。

 イライジャ・ゴールドシュタインさんは本当にただのいい人なだけかもしれないのに。

 でもまだ完全に信じることはできないんだ。

 ごめんなさい、イライジャ・ゴールドシュタインさん。

 もう少し読み進めて判断します。






 2.魔力を感じる

 魔法を使ったことがある方はこの章を読み飛ばしても構いません。

 まずは魔力を感じましょう。

 リラックスするために横になり目を閉じてください。

 次に、おなかの少し上に意識を集中してみてください。何か感じますか? 感じたのならそれが魔力です。

 魔力を持っている方ならばすぐに感じることができます。

 ここで魔力を感じることができない方は、残念ながら魔法の素養がないということですので諦めましょう。






 存外に辛辣だな。

 もし僕に魔力がなかったらショックで死んでしまうかもしれない。

 このシチュエーション、アルコールパッチテストに似ている。

 一生を左右するというほどではないが、お酒を飲めるか飲めないかで結構人生は変わると思う。

 ドキドキするけど、やれと言われたらやるしかない、なんて思うわけないだろう、詐欺師ゴールドシュタインさんよお。

 だが、試しにやってやるくらいはいいだろう。



 僕はベッドに横になり、目を閉じた。

 おなかに意識を集中してみる。

 すると、確かに何か感じるものがあった。

 しかし特に感動はない。

 なぜなら、この感覚はすでに知っていたからだ。

 普段は意識することがなかったが、なんだこれが魔力だったのか、という感覚だ。

 ということは、この章に書いてあることは本当のことっぽいので、少しだけ信用しました。

 イライジャ・ゴールドシュタインさん。

 よし次。






 3.健康魔法

 この章が一番大切な章です。私の健康魔法のすべてと言ってもいいでしょう。

 魔力は第2章で説明したように、普段はおなかの上らへんにあります。そして、魔法を使うときに体の外に出ると同時に魔法に変わると言われています。ここで何故、言われているという表現を使ったかというと、魔力が魔法に変わるときのメカニズムはまだ完全には解明されていないからです。

 話を戻します。

 さっそく私の健康魔法の真髄しんずいをお教えしましょう。

 それは、魔力を体中に巡らせることです。血液が体を巡る感覚で体中に魔力を巡らすのです。

 このとき、おなかから出発した魔力が体の各部位を経由し、再びおなかに戻ってくるようにしてください。循環が大事なのです。

 いきなりこんなことを言われてもやり方が全然わからないと思いますので、これから具体的な練習方法を説明していきます。



 まず初めに魔力をおなかから動かしてみてください。

 初めのうちは魔力を動かすことも困難でしょう。循環ができるようになるまでは無駄に魔力を消費するだけですので、すぐに疲れてしまいます。しかし焦ってはいけません。疲れたらすぐに休憩しましょう。魔力を使いすぎると動けなくなってしまいます。場合によっては死んでしまうこともあります。



 魔力を動かすことに慣れてきたら次はどんな経路でも良いので、最終的におなかに戻ってくるようにしましょう。

 それができるようになったら、次はいろいろな経路を試してみてください。

 ここまでできれば上出来です。



 でももしまだ余裕があり、さらに上を目指したいと思うのなら、今度は意識せずに常に魔力が体を巡っている状態を保てるようにしましょう。

 呼吸をするのと同じように、無意識に。

 これができればかなりの上級者です。

 できなくてもおかしくはありませんので、挑戦してみて、もしできなくても安心してください。



 具体的な練習方法は以上です。

 ここで、何故魔力循環が健康に良いかを簡単に説明しますと、魔力を循環させることは体中のさまざまな器官の働きを促進し、体の悪いところを元気にすることができるのです。

 体の疲れ、肩こり、腰痛などにとてもよく効きます。お酒を飲みすぎた次の日の二日酔いに悩まされることももうありません。女性の方ならば、魔力循環は美容にも効果絶大ですので、ぜひ頑張ってみてください。

 みなさん、私の健康魔法をマスターし、すばらしい健康ライフを送りましょう。

 次の章では、魔素理論に基づき、魔力循環によって身体の各器官が活性化する理由を、論理立てて説明していきます。







 これ以降のページは専門的なことが書いてあって、魔力循環について詳しく説明されていた。

 魔法初心者の僕では追いきれない部分も多々あり、もう少し詳しくなってから読み直そうと思った。

 ただ、イライジャ・ゴールドシュタイン様の解説は、前世で見た数々の論文たち、その中でも特に完成されたトップティアの論文を彷彿とさせる、素晴らしい内容だった。

 論文の書き方だけじゃない。

 内容自体は僕にはまだほとんど理解できていないが、発想の鋭さを垣間見ることはできる。

 メインは魔力循環だが、魔法に関する重要であろう情報が本全体に渡って書かれてあった。



 初めは少し怪しいと思ってしまったが、読者が理解さえできれば納得するであろう理路整然とした説明は、僕を痺れさせた。

 読み進めていくうちにいつのまにかイライジャ・ゴールドシュタイン様、いやイライジャ師匠を尊敬するまでに至っていた。

 小説でもないのに名作映画を一本見終わったかのような読後感で、余韻に浸りながら目を閉じてそのまま眠りにつきたいほどだ。

 読んでいる途中泣いてしまったときは、自分でも驚いた。

 涙を流したのは、師匠の魔法に対する愛が文章の端々から伝わってきたからだ。

 ところどころに師匠の体験した小話などもあり、人としての偉大さも伝わってくる。

 疑ってしまって、本当にすみませんでした。



 前世で死ぬときは大学生だったが、「この教授の講義をどうしても受けたい!」と思えるような方には出会えなかった。

 しかし、もし師匠の講義を受けることができるなら、迷わず全て受けるだろう。

 あの誰も座りたがらない最前列で。



 しかし、悲しいことに師匠は30年前にすでに亡くなっている。

 こんなに会いたいのに会えないなんてまるで織姫と彦星のようだ。

 だが1年に1回会うことのできる彼らにはまだ救いがあるだろう。

 できれば師匠と同じ時代に生まれたかった。



 尊敬の念がとどまるところを知らないほど膨れ上がってしまった僕は、当然この本に書かれている練習方法を全てやっていくと決めた。



 夕食をメイドが運んできてくれたので、先に食事を済ませ、さっそく取りかかってみた。

 ご飯を家族で囲んで一緒に食べることなどほとんどない。

 僕の扱いなんてこんなものだ。

 メイドも夕食を運び終わったらすぐに部屋を出ていく。

 まあいい、魔法の練習だ。



 しかし、めちゃくちゃ難しい。

 まずは魔力をおなかの上らへん――専門的には魔臓とか言うらしい――から移動させるのだが、1時間くらいかかってようやく少しだけ動かし方がわかった。

 血液が体を巡る感覚で、と書いてあるが、常人には血液が体を巡る感覚など理解できない。

 心臓君が命令もしてないのに勝手に24時間休まずに働いてくれているだけだ。

 これを簡単にできてしまう師匠はやはり偉大だ。

 しかし師匠といえども初めからできたわけではない。

 千里の道も一歩から。

 塵も積もれば山となる。

 地道にやっていこう。






 その後もずっと魔力を動かす練習をしていたが、循環する前に途中で魔力が消え去ってしまう。

 魔臓から離れると、物質が液体から気体に変わるように、魔力は元の大きさを保てなくなり、体外に放出されてしまう。

 魔法に変わることなく放出された魔力は空気中に広がり、一瞬で魔力の準位が下がって霧散するらしい。

 これらの理論は師匠の受け売りで、初心者の僕では完全な理解には遠く及ばないが、要は魔臓から離れた後も魔力が広がらないように形を留めながら巡らせないとロスが酷くてヤバイですよ、ということだ。

 そして僕はそのヤバイ段階から抜け出せる気配がない。

 まだまだ先は長いな。



 その後もかなり夢中になって長い時間やっていたので、気づいた時には全身がだるく、軽い頭痛や吐き気がした。

 少し休むつもりでベッドで横になると、すぐに眠気が襲ってきた。

 それに逆らわず、僕はゆっくりと目を閉じた。

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