第20話

兎谷は戻って来た。正直、そのまま後を追いかねない勢いだったので少しだけ安心する。最上は安堵のため息を付いて、「車、戻るぞ」と言った。

「―――――――――はい」

「………満足、したか?」

「………………まだ、わかりません。ただ、俺は」

「ん?」

「………………送ってやれて、良かったとは思っています。……多分、じわじわ効いてくると思うんですよね、……………」

最上は吸っていた煙草を携帯灰皿に押し付け、「行くぞ」と言った。

「…………どこに?」

「いいから、乗れ」

走って、走って。数時間ほど経っただろうか。

「付いたよ」

兎谷は最上の声で目覚めた。少しだけ眠っていたらしい。久しぶりに眠ったな、なんて思いながら窓の外を見た。

「――――――――――」

「ほら、車降りろ」

言われた通りに、降りる。そうして兎谷はようやく、空を見上げた。


「――――――あ、…………………」

登る朝陽が二人を照らす。

その黒い瞳の中に橙と赤の混じったような陽が差し込む。瞳の中の夜が圧倒的な光によって明けていく。最上はようやく朝陽を見た。暗闇はまだまだ広がっているが、あと三十分もすれば完全に夜が明けるだろう。そうして、翌日がやってくる。何があっても、どれだけ朝を恐れても、日は容赦なく登ってくるのだ。だから最上は、わりと朝陽を見届けるのが好きだった。


「……………………………………」


兎谷はなおも、登りゆく光を見つめていた。

「―――――――――夜、明けたんだな………………………」

明けたよ、と心の中で最上は言った。

「…………………はは、…………ひどいな、ほんと…………………」

どうあれ、どんなものであれ、平等に朝が来る。

「………………明けない夜は、無いんだな……………、……………」

兎谷恭介という男は、静かに涙を流していた。

「―――――――朔、………………」

もうそこに、月の姿は無かった。

「―――――――お前、これからどうすんの?」

「……………………」

「鼻、真っ赤になってるぞ。泣いちゃってもう」

「……………うるさいですよ」

目を雑に拭ってから、兎谷は「…………さあ」と言った。

「おいおい、無計画かよ。本当になんも考えずにやったんだな」

「まあ。………正直そのまま死んでもいいか、って思ってたんで。ただ」

「ただ?」

「俺が死んだところで、多分なんにもならないと思うんですよ。どうせ世界は続いて行くんだし、あの世で一之瀬が喜ぶわけじゃない。むしろ怒られそうだ」

「何死んでんだ、って?」

「いや。何俺のために手汚してんの、って言います。多分。」

「ええ、そっち?」

「そっちです。―――――――――それに、俺が今死んだら。一之瀬の事を好きだった人間がこの世にいなくなっちゃうじゃないですか。それは、嫌なんです」

「好きだったの?」

「好きですよ。好きの種類はわからないままですけど」

「ふうん」


「………………いつか、罰を受ける日まで。俺は生きますよ、今のところはね」


やっぱ死にたくないんじゃん、と最上が言う。それもあります、と兎谷が返す。

「でも実際、死んだらそれまでで。生きていくのが一番、苦しいと思うんですよ。だからきっと、それが俺の罰なのかもしれない」


「―――――――」

最上はそれを聞きながら、ごそ、と煙草を取り出す。かちりとライターを鳴らし、火を付けた。

「……………うえ。今吸います?」

「兎谷くんさあ。この後どこ行きたい?」

どこにでも連れてってあげるよ、と最上が言うと、兎谷は目を丸くしてその様子を見た。

「………………………放置、していかないんですか?」

「しないっつってんだろ。一回巻き込まれたんだ、付き合ってやるよ」

顔になんで?と書いてある。最上は笑いながら「そりゃお前、惚れた弱みってやつよ」と揶揄うように言った。

「冗談が過ぎますよ」

「冗談じゃねえっての。逃避行してもいいんだぜ?」

「…………………あいにく、俺はもう誰かに迷惑かけたくないんですよ。それに」

煙草吸ってる人は論外です、と悪戯っぽく笑う。

「あー、そりゃ駄目だわ。すみません、今のは聴かなかったことに」

「してあげます。………………………」


夜を超えた彼女は語り続けて生き続け、ようやく朝を手に入れた。


彼は、語るだけ語って、夜の中に閉じ込められた。

けれど朝が来るように、夜もまた訪れる。


「……………またな」


夜に別れを告げて、兎谷恭介はその朝陽に背を向け、歩き始めたのだった。

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