第18話
「―――――――普通こういうのってさ、ひとりでやるもんじゃないの?」
「――――――――――そう、ですよね。でも、俺。浸りたいんじゃなくて、確実にやりたかったんですよ。最上さん、こういうの初めてじゃないでしょう?」
「まあ、そうだけど。兎谷くん、いきなり連絡してくるんだもんなー。びっくりした」
最上昌のスマホに連絡が入ったのは、しんと冷えるような深夜帯だった。ぼんやりテレビを見ている最中に、液晶画面に「兎谷恭介」と映った瞬間、すぐに「もしもし?」と耳に当てていた。正直仕事絡みの電話なんぞろくなものじゃない――――――最上はそう思っていたが、相手は普段自分から連絡してこないような男である。好奇心と若干の優越感が手を動かした。
いま、それを後悔しているかと言われたら。若干後悔している、と応えるだろう。
「――――――――仕事でやるのとプライベートでやるのはこう、さ。違うじゃん。大体これマイカーだしね。どうしてくれんの」
「それはまあ、どっかで考えます」
後部座席に座る男はやっと笑った。車に乗せてからというもの、すっかり憔悴しきった表情だったので―――――少し、怖かったのである。
最上自身、いつも怖い仕事してるのになんでだろうな、と思っていた。けれど言葉に出してやっとわかった。確かに仕事とプライベートでやるのは意味が全然違う。すぐ後ろに犯罪というものがあるのは、場数を踏んだ身でもいい気分ではない。
最上はミラーから目を逸らし、顎に軽く触る。そうしてようやく、聞きたかったことを聞いた。
「――――――――で、『それ』。どっち?」
後部座席の兎谷の横には、人がひとり収まっていそうな袋があった。当たり前だが座らせることができないので、頭だか足だかが兎谷の膝の上に乗り上げてしまっている。頭だったら膝枕になるな、なんてしょうもないことを思いながら、返答を待った。
「………………どっち、とは?」
「うん、あー。言い方変えるわ。その死体、誰?」
「…………驚いた。最上さん、てっきりわかってるものかと」
「千里眼ってわけじゃないですからねえ。おじさんにはわかりませんよ」
「おじさんって年でもないでしょ、最上さん」
兎谷はその言葉の後、たっぷり数秒逡巡して、ようやく言った。
「一之瀬です」
「―――――――――」
なんとなく、やっぱりか、という感情が胸中に広がった。
「……………………………よく盗んできたな…………」
「まあ、大変でしたね」
兎谷はしれっと言う。兎谷恭介は目が見えない。本人曰くちょっとは見える、とのことだったが―――――――正直、死体を盗むなんてことは目が見えたって容易なことじゃない。
「今頃大騒ぎになってんじゃないの?嫌だよ~?おじさん県外脱出なんて」
「まさか。用事が終わったら最上さんは帰って大丈夫ですよ」
「―――――――――」
赤信号。ブレーキをかける。ミラー越しに最上は兎谷と目が合う。
「…………兎谷くんさあ。もしかして、このまま死ぬ気?」
「…………………いいや?まさか。」
車は兎谷に指定された場所に向かって走り続ける。それきり二人の会話は途切れて、窓の外では景色がひたすら過ぎ去っていった。そのうちに口を開いたのは、兎谷だった。
「………………一之瀬の死体を、誰にも渡したくなかったんですよ」
最上はどう返事していいか迷い、黙る。兎谷は構わず、淡々と話し続けた。
「………一之瀬の両親に、渡したくなかった。かといって、他の人間と一緒くたにしてほしくも無かったんですよね。………通り魔に殺された被害者男性Aとして、扱ってほしくない。………一之瀬の死が、何かに利用されるのが嫌だ」
「ないないだらけだ。兎谷くんは我儘だな」
「我儘です。初めて知りましたよ、自分のこんな部分」
「…………で?本当にそこでいいの?食べたりとかしなくていいの?」
「そのあたりの感覚は普通なんで。………」
兎谷は静かな声で呟く。
「……………あいつを、誰の目も届かない場所で送ってやりたいだけなんです」
―――――――そんな、ささやかにも聞こえるエゴで大それたことをしたのだ。
最上は息を吐く。物静かで、この業界にしては珍しく家族がいて、なおかつ「普通」なイメージがあった彼だったが――――――意外な面を持っているものだ。
「俺、その死体が犯人だと思ったんだよね、ちょっとだけ」
「ああ。死体の隠蔽だと。いや、これだってそうか。違いますよ。大体捕まってるじゃないですか。さすがに檻の中にいる人間をどうこうする度胸はありませんよ」
「そうかなあ?兎谷くんの行動力なら、やりそうだなって思ったんだけど」
「やりません。多分、出てきてもやりません。…………罪を犯したら、どうあれ還ってくるんで。そいつにも、還ってくるでしょう。それはきっと、俺がそいつを殺すよりも重くて、苦しいかもしれない。………だから、復讐はしません」
「…………じゃあ、いつか兎谷くんにも還ってくるかもね」
「案外すぐに還ってくるかもしれませんね」
「怖くないのかい?」
「自分に還ってくるなら、いいです。他人は駄目ですが」
「………………兎谷くんが罪を犯した時点で、君の周囲の人にはすでに『還って』来てるんじゃないかい。それとも、バレなきゃいいとでも思ってる?」
「思ってないことも無いです」
「いい性格してるねえ」
「……………そうですね。俺、最後の最後に一番家族に迷惑かけてますね、これ………」
兎谷は深いため息を付いた。最上は、無自覚にハンドルを強く握りしめていた。
「――――――今ならやめられるけど?」
「まさか。盗んだ時点でもう、辞める選択肢はありません」
最上の位置からでは、兎谷の顔は暗くて表情が見えない。最上はそれを惜しいと思った。
「―――――――本当に、いいんだな。」
「いいんです」
「暗いから足、取られるなよ」
「大丈夫ですよ。なんだったらそこに置いて行ってくれても全然、構いません」
「置いていくかよ」
「―――――――――――ありがとう、ございます」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます