第17話
「――――――――――無い、無い………!」
暗くなりかけていた公園で、俺はひたすら白杖を探していた。
というのもその数十分ほど前。近所のガラの悪い学生に絡まれて、ぱっと杖を取られて遊ばれてしまったのである。学生たちは杖で散々遊んだ後、そのへんにぽいと捨てた。
夕日は今にも沈みそうで、あかりと言えば心もとない街灯だけだった。
「(―――――――どうしよう)」
純粋に、困っていた。杖が落ちた音は聞こえたけれど、どこに落ちたのか場所がわからない。案外近くで聞こえたから、自分が今いる周辺……だとは思うのだが。きょろきょろとあたりを見回しても、通りかかる者もいない。手探りで探そうにもあまりに広い。
「(母さんに電話して迎えに来て貰うか?)」
そろそろ母の仕事が終わるはずだ。そう思い鞄の中のスマホに触れ――――――ぴたりと動きを止めた。
「(……いや、やめとこう)」
正直。呼んでしまえばすぐ済む話で。そうでなくても、弟や妹を呼んで一緒に探した方が、限りなく速いのだ。
けれど俺はそうしたくなかった。理由は簡単だ。これ以上人に迷惑をかけていない。家族は優しいから、きっと頼んだら喜んでやってくれるのかもしれない。―――――――けれど、これ以上俺はその優しさを使うだけ使いたくない。俺は周囲にいる人間たちに、その優しさを返せる気がしない。
ぎゅ、と拳を握る。馬鹿にされた悔しさや杖が見つからない焦燥感に加えて、これまでの自分のふがいなさがふいに襲い掛かって来た。くそ、と吐き捨てる。
「(………とにかく探さなきゃな。さすがに無しで帰るのは怖いし)」
「ねえ」
後ろから、未発達な声が聞こえた。
振り返れば―――――――――
「―――――――え」
杖を両手で握った子供が立っていた。変声期前であろう声は、暗くて男か女かもわからない。
「ねえ。もしかして、これ探してた?」
子供が俺に杖を手渡す。触って感覚を確かめる。揺らすと、土産物屋で買った小さな鈴の音がした。
「――――――あ、ああ。……うん、これだ、俺のだ、」
間違いない、これだ。でも、どうして。いや、それよりも。
「――――――――これ、きみが探してくれたのか?」
「探したっつーか、なんつーか。コーコーセーが持ってたから奪ってやった」
「は?」
奪ってやった?確か、三人くらいいたぞ。ガラの悪いのが。それを、こんな小さな子供が?
「うん。おれ、喧嘩つよいの」
その喋り方は随分穏やかで、喧嘩なんて出来そうもない声色だった。さすがに一瞬疑ってしまう。………喧嘩をしても、あんなのに勝てるわけがない。
「あいつら、ミーに石投げていじめてたから。だから別に、あんたの杖を取り返そうとか、そういうんじゃねえの。ついでだよ、ついで」
「ミー?」
「のらねこ。名前は勝手につけた」
「……………………」
「ちんこ蹴っ飛ばしたらすぐ逃げたよ」
かかかと笑う子供に、「あ、マジかも」と確信を持つ。やりようによっては自分より大きい相手にも勝てることがある。人間だって蟻に噛まれたら痛いように、目の前にいる子供………小学生が高校生に勝つ、というのも。まあ……無い話ではない、のかもしれない。
そんな風に考えて、礼がまだだったと気づく。俺は小学生に目線を合わせるようにしゃがみこみ、「ありがとう。怪我は無いか?」と言った。
「どーいたしまして。それ、大事なものなの?」
「―――――――ああ、そうだ。これが無いと、不安でな」
「ふうん」
小学生は興味無さそうに相槌を打ち、「じゃあ、おれは帰るから」と踵を返した。おれ。ってことは男の子か。
「あ、待て。なんかお礼させてくれ」
「おれい?」
「ああ。…………ほら、これ」
小銭入れに手を突っ込み、手探りで探す。
「手出して」
小学生は両手を出す。そこにぽんと五百円玉を置いた。
「………わ!大金!」
「大金って」
ようやく安心が思考に染み渡ったのだろう。無垢さにちょっとだけ笑ってしまった。
「好きなジュース買ってきな。おつりはあげるから」
「いいの?でも、おれ」
「いいんだ。きみの目的が違ったとしても、俺は、………これを届けてくれたってだけで、感謝してもし足りない」
「………大げさじゃない?」
「大げさじゃないよ」
それは本当にそうで。先程まで胸の中に溜まっていた淀みのようなものがすっと引いて行った気がしたのだ。俺は、俺の英雄の頭を撫でた。
「うわ」
「…………ありがとう。本当に…………」
小学生はしばらく黙っていたが、俺からすっと離れると「ちょっと待ってて」と言った。
「そこ、ベンチ。座ってて」
「?あ、ああ………」
俺は言われた通り座る。小学生は俺の隣にランドセルを投げ捨てていくと、ぴゅうと走って行ってしまった。
「…………………?」
背中を見守りながら杖に触れる。安心のあまりため息が出た。
「(――――――――助けられた…………)」
同情じゃない、「ついで」で。その気軽さが、今の自分には救いだった。
そんなことを考えていると、遠くの方からスニーカーの足音がした。そちらの方を見ると、小学生が手に飲み物を――――――ふたつ持って、参上した。
「え、あ、もしかしてそれ、俺のか…………?」
そんな。いいのに、と言おうとしたら、有無を言わせず小学生は「ん」とそのうちの一本を渡してきた。……温かい。
「あんた、大人っぽいからコーヒーね」
小学生は横にすとんと座り、自分の飲み物を開ける。ぷしゅ、と音がした。炭酸だろうか。
「大人って。俺はまだ中学生だぞ」
「おれから見りゃ大人だよ」
「きみは?」
「サイダー」
「大人でもサイダーは好きだぞ」
「まじで?大人ってみんなコーヒー飲んでるもんだと」
「はは。人によりけりだろ」
ありがとな、と本日三回目の礼を言って蓋を開ける。一口飲めば、それはコーヒー牛乳と言ってもいいような味で。たっぷりのミルクと砂糖が、冷えていた体によく沁みた。息を吐く。そろそろ吐く息も白くなってくるだろうか。
隣でのんびりサイダーを飲んでいる小学生をちらりと見ると、足をぶらつかせていた。
「………そういえば、もう暗くなったけど。ちゃんとおうち、帰れるか?」
「帰れるよ。バカにすんな」
「馬鹿にしちゃいないけど。遅いと心配するだろ」
「べつに。とうさんもかあさんもお仕事終わるのおそいし。ほら」
小学生は襟に手を突っ込み、なにかを見せる。それは、首から下げられた鍵であった。
「鍵っ子か」
「うん。家帰ってもひとりだし、別にいいんだ」
「…………送ってこうか?」
「なんでさ」
「………いや、純粋に心配というか。危な…………」
「だいじょーぶ。言ったろ、おれ強いんだよ?それに、家すぐそこだし」
指さす方向を見る。近いのなら………いいのか?いいのかな。
「そっか。でも、気を付けるんだぞ」
「……………ん」
小学生は小さく頷き、ベンチからひょいと立ち上がる。ランドセルを背負って、「サイダーごちそうさま」と言った。
「ばいばい、にーちゃん。気を付けてね」
「きみもな」
小さな手を控えめに振って、彼はベンチから離れていった。それを見送って、なんとなく空を見上げる。夜のとばりが下りて、きっと星が瞬いているのだろう。
「―――――――――俺も、帰るか」
さっきよりも、よっぽど家族と顔を合わせやすい。そう思った。
「………結局、その子とはそれきりでな。どこで何やってんだか」
大きくなって、彼は何をしているだろう。案外腕っぷしが磨かれて、それを生かした仕事をしているかもしれない。
どうあれ、それが一回でも。俺にとってはあれが、人に話したい出来事なのだ。
「…………って、寝てる……………」
ふと横を見れば、一之瀬はとっくに夢の世界に行っていた。朝まで起きてろまでは言わないが、最後まで聞いてほしい話ではあった。
「………ま、いいか」
布団を掛けなおしてやり、その背中をぽん、ぽん、と軽く叩く。すると一之瀬は丸まって、「ぷう」と声が漏れた。…………今日、一日中歩いてたからな。まあ熟睡しても仕方が無いか。
「(いい夢、見てるといいな)」
その寝顔を見て、安心して。俺もまた、眠りの世界へと足を踏み入れたのであった。
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