第16話
「―――――――多分、おれはさ。大野と一緒なんだよ」
「―――――――――…………」
「過去と向き合いたい、だっけ?あいつはさ、文章でそうしようって思ったんだろ。自分なりの過去とさ。―――――――おれは、過去を捨てたくて、恭さんに話した。自分の過去をすっきりさせたくて、言葉にした時点で、きっとあいつとおれは一緒だ」
「………一緒じゃない」
「いっしょだよ。どっちも反省の無ぇクズだ」
「………それでも、お前とあいつは違う。お前がどれだけ言っても、俺は否定するぞ」
「……………―――――――優しいなあ」
一之瀬はサングラスを自分から取った。「目痛ぇ」と言いながら袖口で擦る。
「………ああ、あと。面白い話したげる」
取ったからわかる。近いからわかる。彼は遠い目をしていた。
「――――――――地元戻った時。家、見に行ったんだよ。売りに出されてた。」
「…………そうだろうな」
「……で、戻る途中。たまたまさ、向かいのホームにいたんだよ、父さんと母さんが。」
弟と妹がいたよ、と。一之瀬は静かな声で言った。
「おれのちっちゃい頃にそっくりだった。………けっこういい年なのにね。それだけ、やりなおしたかったんだね」
頭の中で激しく音が鳴っている。どこもかしこも、罪だらけで、傷だらけだ。一之瀬の両親の事を考えると、そりゃやり直したくもなると思う。けれど、だからって、それは――――――ひどいんじゃないか。
世界中が彼らに同情しようが、俺だけは、目の前にいる子供を受け入れたかった。
俺はなんだか、泣きそうになっていた。
「――――――大野も、いま奥さんと子供いるらしいよ。やばくない?兎殺していじめやってたヤツが家庭持ってるの。………子供が知ったらどう思うんだろうな」
「………知ることは無いんだろうよ」
「そうだよねえ」
横並びで座っていた一之瀬は、膝を抱えて俺を見た。
「恭さん、セックスってしたことある?」
「―――――――――なんだ、急に」
「いいから。ある?ない?」
「―――――ある、けど」
「気持ちよかった?」
なんでそんなことを聞くのだろう。俺が言葉に困っていると、一之瀬の眉が八の字になった。
「じゃあ、なんでみんな子供産むの?」
「それは、」
愛する人と血を繋ぎたいから。
将来困るから。
子供が好きだから。
そういう理由はある。あるには、あるが。
「――――――――どうせみんな、セックスが気持ちよかったから生んだだけだろ」
「みんな、じゃない。と、思う。………けど、」
「すげーよな、すればさ、どんだけカスでもクズでも親になれるんだよ?笑える」
一之瀬はせせら笑った。さすがに妹夫婦にこれは聴かせられないなと思う。俺自身、これをすべて受け入れろと言われたら少しだけ逡巡する。
それでも一之瀬朔という男はきっと、生じたいを呪っているのだ。
「―――――――で、さあ。おれ、気になったのよ。おれにも好きな人ができて、気持ちよくなったらさ。ガキ作ろうって思うのかなーって」
してきた、と。彼はこともなげに言った。
「―――――――――は?」
「ああ、女とじゃないよ。男と。本当は女とするのがわかりやすいんだろうけど、間違いがあったら嫌だから」
「………お前、コンドームって知ってるか」
「知ってる。けど、避妊具が信じられないんじゃなくて、おれ自身が信じられないっつーか。だって、もしちょっとでもさ。好きになって、作りたくなったら―――――――おれは、ひとつの命を、ちゃんと育てられる気がしない。………でかすぎるだろ、命をひとつ産むって。それができる責任も甲斐性もおれにはない。だからさ、気になってはいたけど、それ以上に怖かったんだよ。そっち側に行くのが」
「でも、だからって………」
「男となら、なんの間違いもないだろ。そのへんで会ったおにーさんとしてきた」
「――――――――――」
喉が、乾いていた。
俺は、多分。一之瀬朔という男の欠陥を、見誤っていた。自分が思っていた以上に、彼は行動に移してしまうのだ。
ゆきずりの男女が、一夜の過ちが、というのなら、そこには感情がある。理解はできないが納得はする。けれどこれは、動機が動機なだけに受けている衝撃がでかい。
「………感想は」
「んー、痛かった。あんまりよくなかった。でも、ま……そんでいいや。ハマらずに済んだし」
「―――――――――俺じゃ、駄目だったのか」
一之瀬がびっくりしたようにこちらを向いた。
俺は、俺の倫理観は「普通」寄りだと思っている。そういうことを試すなら、一之瀬の欠陥を知っている人物の方が都合が良かったんじゃないかと考えてしまう。
――――――――俺だったら、もっとお前の事を大切にできたのに。
俺はほぼ泣きそうになっていた。これが悔しさなのか苛立ちなのか悲しみなのか、それすらもわからなかった。一之瀬が体制を崩して、俺に向き合う。
「―――――――恭さんは、だめだよ」
前もこんな言葉を聞いた。俺はお前を受け入れたいのに、抱くことも、介錯するのも許してくれないのか。
「違うよ。――――――――おれはさ、恭さんとの間に。つまらないもん、入れたくないんだよ」
「――――――――――」
そこでやっと気づく。生を、性を、なんだったら人間というものを嫌悪している彼は―――もしかして。俺を、聖域にしたかったのだろうか。
そこだけは何も汚されず、侵されず、言葉を紡ぐ夜の帳を。
「いつか終わる物語なんて嫌なんだ。あんたといるときは、ずっと夜のままでいてほしい」
一之瀬の指が俺の涙を拭う。俺は自然と、彼の事を引き寄せて、強く、つよく抱きしめていた。
「ぐえ。苦しいって」
「――――――――…………」
「………恭さん、案外泣くよね。………子供みてえ」
「おまえに言われたくない…………」
肩口でぐす、と鼻を啜る。一之瀬は背中をとんとんと叩き、「泣くなよお」と情けない声を出した。
「あー、………どうしたもんかね。おれから話すこと、なんもなくなっちゃった。………過去なんてクソとか思ってたけど、いざ吐き出しちゃえば、おれ、なんもねえな………」
「………別に、過去の話じゃなくても良い。どうでもいい話とかでもいい。聞くから」
「どうでもいい話、聞いてて楽しいか?」
「楽しいよ。多分」
「多分かよ……………はは」
この気持ちに未だ名は無い。けれど、俺は彼を大事にしたい。夜を続けたいと言うのなら、それで良い。どこまでも付き合うし、どこまでも付き合わせよう。
「………俺だって、お前と一緒にいたい」
罪人は――――――一度背負ったらずっと罪は刻まれたままだ。それはそうだ。
けれど、俺は一之瀬に人として生きて欲しい。それはエゴだろうか。不謹慎だろうか。
「(いや、………どうでもいいな。俺は彼らの事なんて知らないんだし)」
「……………恭さん」
体の中で彼が顔を上げる。
「今日、一緒に寝ていい?」
「―――――――――せまっ」
「狭くて結構。一人用のベッドだぞ、これ」
「恭さんがでけえのもあるでしょ」
「お前、俺の事でかいでかい言うけどそう変わらないだろ」
「いや、十センチ差は普通にでかいよ。170と185の壁は厚いんだぞ」
―――――――一緒に寝ていいか、なんて聞かれたからつい狼狽してしまったが。
言ってしまえば添い寝だった。よく考えてみればそうだ、彼は俺とはそういうのを望んでいないのだから。………わかっていても、少しだけ寂しく思ってしまう。浅ましいから絶対に言わないが。
「パジャマあったけえ、買って正解」
「次は一回洗濯してから着ろ」
「なんでさ」
「わからん。昔母さんが言ってた」
「へー」
狭いベッドの中で成人男性二人がくっつきあっている。どうあがいても触れてしまう距離にどうしたものかと思っていると、一之瀬が「あ」と言った。
「……………話」
「ん?ああ、今日は良い。また今度で」
「んー、でもさ………………あ、じゃあ。今日は恭さんの話聞かせてよ」
「俺の話?」
まさかそれを振られるとは思っていなかった。俺の話。俺の話か。
「………別に、お前ほど激動の人生を送ってるわけじゃないしな………特に話せることってあんまり………」
「ええ?なんかあるでしょ。なんでもいーよ、恭さんのこと知りたい」
駄々っ子のようにおせーておせーて、と強請る彼の声を聞きながら、脳の中でとりとめもないことをああでもないこうでもないと整理する。
「―――――――――あ」
そうしてようやくひとつ、思い当たった。
「あった。…………じゃあ、小咄をひとつ」
「こばなし」
「ん。特に面白くはないが……………俺が中学生の時の話なんだが」
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