第15話 幕間3

「――――――――――わあ」


車から降りた少年は思わず口をあんぐりと開けて、空を仰ぎました。そこにあったのは見知らぬ団地。お父さんは運転席から降りて、ばたんと扉を閉めました。

「朔、こっちだ」

「あ、うん」

少年はお父さんの後ろを素直について行きます。外階段で二階に上がって、角部屋。がちゃりと開けると、そこには少年が知らない世界が広がっていました。

さっぱりとした台所、机。まだ綺麗なお風呂にトイレ。少年は見るものすべてが珍しく、部屋の中を歩き回りました。そこではた、と気づきます。

「あれ、母さんは?」

「…………今買い出しに行ってる。待ってなさい」

お父さんの声はとても固かったのですが、少年は「そう」と一言返すのみでした。そこで、はたと気づきました。

「――――――あれ、そういえばうち、は………?」

「………………」

お父さんは何も言いません。ここは少年がもともと住んでいた家とは明らかに違いました。もとの家よりも小さく、まるで一人しか住めないような家です。

「お待たせ、手続き済ませてきたわよ、―――――――――あ、」

「!母さん!」

少年は帰宅したお母さんの元に駆け付けました。お母さんはひくりと口元を動かし、少年の名前を呼びました。

「久しぶり、」

「母さん、久しぶり……!ちょっと背、低くなった?おれが伸びたのかな」

「…………っ」

お母さんは少年の横を無言で通り過ぎていきました。少年はその後を追ってリビングに戻ります。そこにはお父さんが正座をして座っていました。

「朔、座りなさい」

「―――――――え、あの、父さ………」

「いいから」

「………………………」

お父さんは沈黙していました。代わりにお母さんが、眉間にしわを寄せて、机の上に色々な紙を置いて行きました。

「え、なに、これ」

お母さんは早口で、少年に説明していきました。水道費、光熱費の引き落としはどこそこの口座からしているだとか、団地との契約の名義だとか、ごみ捨てのカレンダーだとか、色々、色々。


少年には何を言っているのか、半分も理解できませんでした。少年院にいるころ、外に出ても困らないように色々なことを学びました。でも、それでも少年の耳にはフィルターがかかってしまったように、頭がそれらの理解を拒むのです。


「(かあさん、何言ってるのか全然わかんないよ……………この漢字、どう読むの?)」

「(父さん、なんで何も言わないんだよ…………)」

ぐるぐる、ぐるぐると、少年は色々な事を考えました。けれどそれをまとめる力が足りなくて、ついに爆発してしまいそうになって、それで。


「―――――――おれ、ここで一人で暮らすの?」


お父さんとお母さんは目を逸らしました。少年はそれで納得してしまいました。ああ、このふたりは自分と暮らす気なんてぜんぜんないんだ、と。

少年は檻の中にいたとき、お父さんとお母さんとお話しできる日を楽しみにしていました。

また一緒に暮らせる日を楽しみにしていました。それでも、少年はまだ縋りたくて、こう言いました。

「――――――――うそ、だよね?だって、おれ………!」


「―――――――もう、うんざりなのよ!」


部屋に、声が響きました。はっとしてお母さんを見れば、可哀想にその体はぶるぶると震えて、目にはいっぱい涙が溜まっています。少年はぎくりとしました。だって、お母さんが泣いたところなんて初めて見るものですから。

「あんたのせいで……!あんたのせいで、私たちは元いた所に住めなくなったのよ!?毎日毎日マスコミが来て、仲良しだったご近所さんがみんなこっち見てひそひそ話すのよ。仕事も辞めなきゃいけなかった!これからだったのに!私たち、ずっとずっと苦しかったのよ!」

「―――――――やめろ、」

「だって!全部朔のせいじゃない!あんたが事件なんか起こすから!あんなひどいことするから!あのあと、なんて言われたと思う!?毎日テレビで『家庭環境の歪み』だとかありもしないことを言われて!何!?私たちが間違ってたって言うの!?」

お化粧が崩れるのを厭わないほど、お母さんはひたすら泣きました。ひたすら叫びました。


ああ、だから自分には一回も手紙が届かなかったのか。

院にいた時、同じ房の少年が諦めるように言っていたのを思い出しました。

『オレ、一回も面会に来た事ないんだよ。父さんも母さんも』

『縁、切られちゃったんだろうな…………はは、自業自得だけど。なんか、キツいなあ………』


「(ああ、これが、その気持ちなのか)」


彼は目の前が真っ暗になるような、でも心のどこかで理解していたことをようやく言葉にされたような。そんな不思議な気持ちになっていました。


泣きじゃくるお母さんの背を優しく撫でるお父さんのおかげで、お母さんの泣き声はしだいにやんでいきました。


そしてため息を付いて、言ったのです。

「――――――――あんたなんか、産むんじゃなかった」


少年は。

自分のせいでこうなったのだと、理解していました。けれど、それは。


「――――――――ふざけんな……………!!!!」


少年は思い切り立ち上がり、二人を睨みつけました。お母さんはびくりと体を震わせて、お父さんはお母さんを守るように肩を抱きました。

「生んだこと後悔するくらいなら、そもそも生むなっ………!なあ、期待通りのガキが生まれてくるとでも思ってたのか!?親孝行してくれるような、優しい人間に育ってくれるとでも思ってたのか!?」

少年に二人の視線が突き刺さります。まるで少年は、自分が悪者になった気分でした。実際に悪者だったのでしょう。色々な人の人生を壊してしまったのですから。

でも、それでも。あの時兎を助けたことは。自分の行動は。

少年にとって、否定はできませんでした。

「彼」を認める事なんて、できませんでした。


「――――――――家庭環境とか、そういう話じゃない。おれは、あの時。そうするしかなかったから、ああしたんだ。父さんと母さんには全く関係ない」


「――――――――――朔。ごめんな。………それでも、父さんたち。もう限界なんだ」


多分、もう何を言っても少年はこの場で正当化されることはなく。

この先も、きっとそうで。

少年は、せめて最後にものわかりのいい子のふりをしました。

「――――――――わかった。うん。そうだね。おれ、ここで暮らすよ。一人で。………ふたりにも、もう会わない。」


けれど。それで済ませられるほど大人では無かったのです。


「………納得いかないんなら、またガキ産めよ。今度は、間違えないように。ね?」


そうして、少年は――――――二度と両親に会うことはありませんでした。



「(―――――――あ)」

骨ばった、細い手が視界の端に入りました。明らかに肉を無くしたその手は、紛れもなく子供のものではなく。少年は、自分がとっくにこどもでは無かったことにその瞬間気づいたのでした。


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