第13話

「―――――――――――」

一週間が長い。あまりにも長い。そして連絡も何もない。

「(…………………やっぱり、過保護か?いや違う、)」

俺は何となく、一之瀬が地元で何かやらかさないか不安なのである。やらかす、とは別に犯罪ではない(それも少々あるけども)。なんとなく、色々なものを精算してそのままどこかにふらっと消えてしまうのではないかという不安感があるのだ。


「………早く、……帰ってこいよ………」


―――――――ぼそ、と呟いた言葉に自分で狼狽した。

「……………ん…………!?!?!?」

いや、今俺は何を思った?これじゃなんだか、俺が寂しがっているみたいではないか。一人であるから別に気にしなくていいのだが、思わず片手で顔を隠した。心臓がばくばくとうるさいほどに鳴っている。

「(いやいやいやいや………いやいやいやいや)」

確かにこの五日間、あの声を聴くことも無く、食事を誰かと摂ることも無かったから人恋しさはあるのかもしれない。ただそんなの、前からそうじゃないか。以前の生活と同じことをしているだけなのに、どうにも味気なさが漂ってしまうのは何故だ。

「(………もしかして、子供が帰ってこない時の親の気持ちなのか……これ……!?)」

ならば納得がいく。子供がどこでなにをしているかわからないまま日々を過ごす。それは確かに寂しいし、怖さも漂う。多分、そうなのだ。…………いや、やっぱり違うかもしれない。

「―――――――――」

あまり考えていてもしょうがない。リモコンを取ってテレビをつけ、思考にカバーするように耳から情報を入れることにした。バラエティか、クイズ番組か、無難にニュースか、チャンネルを回しながらうんうん考えているそのはざまで、聞き覚えのある声が聞こえた。

『本日起こしのゲストは、今を時めく新進気鋭の青年作家・大野香月さんです!』

『どうも、こんばんは。大野です』

「あ」

頭の中を検索して、ようやく思い当たる。何日か前にインタビューを受けていた青年ではないか。画面をよく見ると、青年作家はマスクを付けて画面越しに緩く手を振っていた。完全に顔を隠すのやめたのか、などと思いながら、他に見るものも無いので付けておくことにする。

『早速ですが大野さん、最近マスクにしたんですね』

『そうなんです。メディア露出が多くなって―――――本が売れて、おかげさまでいろんなところで出させていただく機会がありまして。で、毎回スタッフさんに衝立を用意してもらったりするのもなんだかなあ……と。なら、全部は難しいけど……顔を出そうって、決めたんです』

『でも大野さん、目元がイケメンですよね。なんだかすごいポテンシャルを秘めているような………?』

『あはは。それいわゆるマスクイケメンってやつじゃないですか』

スタジオの雰囲気は和やかなものだった。正直容姿はどうでもいいので本の内容に触れて欲しい。どんなことを書いた自伝なのだろうか。彼はどんな人生を送って来たのだろうか。

『―――――――はい、ではこちらの小説ですね。大野さん、色々なところで話されているとは思うのですが、もう一度説明頂いても?』

『はい。こちらは僕が―――――過去と向き合い、未来に向かうための小説です。文字にしてまとめるのって、客観視できるんですよね。だから最初は小説じゃなくて、日記みたいな感じだったんですけど。いつの間にか小説形式になってました』

『過去と向き合う……やっぱり、冒頭で書かれていた事件が、大野さんの人生に多大な影響を与えた……ということですかね』

『そうですね。―――――――同級生に、頭を殴られて、口を縫われたやつ』


「――――――――――」


『あ、もしかしてマスクって、その』

『ああ、いや。傷じたいはもうほぼ残ってないんですけど。でもなんだろう……結構長い期間付けていたので。これは僕にとってのお守りみたいなものですね。傷口を隠すって意味もそうだけど、外界から守ってくれる、って言うんでしょうか。あの事件、………当事者の僕が言うのもなんですけど、結構有名になったでしょ?』

『そうですね、私も覚えています。衝撃的な事件でしたから…………』

『治ってからマスコミがうるさかったんですよね。でも、マスクをすると不思議とそういうのをスルー出来るようになって。だから僕にとってマスクは防御力でもあって』

『なるほど………ちなみに、過去と向き合う―――――というのは?』

『はい。僕はこの十数年間、この傷と共に生きてきました。でも、そろそろ許してもいいんじゃないかって思えるようになったんです。いや、許さないと始まらない―――――――だから、ごめんなさい。この場を借りて言わせてください』


椅子から、立ち上がった。


『――――――――あの時、僕を傷つけた君へ。』


『正直に言えば、僕の人生を滅茶苦茶にした君の事を許すつもりはない。無かったんだ。それでも――――――生きているうちに、それじゃダメだって気づいたんだ』


『罪を許して前に進むこと。それがきっと、お互いにとって必要な事だと思う』


『だから―――――俺はお前を許す。お前が俺を傷つけた理由はわからない。けど、お前だって何か抱えていたって思うんだ。なのに俺は気づいてやれなかった。ごめんな』


『なあ、お前は今何をしている?元気で過ごしてるか?それとも、日陰に隠れて過ごしているのかな』


『なんにせよ、生きていてくれたら俺は嬉しい。だって俺は、お前と友達になりたかったんだから。お前のことが好きだったんだから。………今さら友達になってほしいなんてことは当然言えるわけがないけど、この言葉が届いていたらいいな。』


『以上です。………すみません、途中言葉が乱れちゃっ―――――――――』



俺はテレビを消した。それ以上は見ていられなかった。

「―――――――――ふざけんな………!!!」

絞りだした声は明らかに震えていた。拳を机に打ち付ける。何度も何度も打ち付けた。痛みを感じていなければ、怒りでどうにかなってしまいそうだったのだ。

面の皮が厚いだとか、あまりにも自分勝手だとか、そんなことを全国に公開するために言ったのか、とか。―――――――


「―――――――――お前の罪はどうした………………したことを棚上げして、身勝手に加害者ぶるな………!!」


罪は消えない。それはもちろん一之瀬だってそうだ。そして、被害者であるところのこの男も、そうなのだ。そもそもこの男が一之瀬をいじめていけなれば、嘘をつかなければ、兎を殺さなければこうなってはいなかったのだ。

「何なんだ………なんなんだよ………!」

自分だけすっきりして、「加害者を許す自分」を作り上げたかったのか?―――――それらを、狙ってやってるとしたら反吐が出る。だが、もし純粋だとしたらどうだろう。さっきの言葉も何もかもが素の状態から出たのなら?―――――――彼は罪を罪と思っていない可能性だってある。

あの事件は大々的に報道された。こんな世の中だ、検索すれば加害者の写真も名前も出てくるだろう。そして、「過去に向き合った」本は書店に並び、たくさんの人間が手に取って、それを読んでいる。


一之瀬は、そんな世界に耐えられるのだろうか。

「―――――――――――ッ!」

スマホを取り出し、顔を近づけて一之瀬の名を探す。震える手で、冷や汗をたっぷりかいた手で、コールボタンを押した。

「(………頼む、出てくれ、出てくれ………)」

―――――――――もしかしたら。彼はこれを見てしまったから姿を消したのではないだろうか。どれだけ成長しても焼き付いた顔というのはわかってしまうもので、………嫌な想像ばかり考えてしまう。早鐘を打つ心臓と、繰り返されるコール。そうして、絶望しかけたところで電話は取られた。


『――――――――――もしもし』

「いっ………一之瀬、一之瀬だよな!?お前いま、どこに………!」

『……っぷ、はは。どうしたの恭さん、そんなに焦った声出して………』

呑気な声だ。いつも通りの声だ。ただ、少しだけ固かった。

『もしかしておれのこと心配してくれた?なんて――――――――』

「――――――――心配に決まってるだろうが!」


一瞬、時が止まった。俺はほぼ吐くように言葉を出し続けた。

「いいか、こっちはお前が休みとってからずっと心配してたんだ、飯ちゃんと食ってるかなとか、悪いことして無いかとか、そのまま消えたらどうしようとか!たった五日だ、それだけでお前の事で頭いっぱいだったんだよ、………休み取るなら、先に言え………!」

『――――――ははは。………マジか、心配、してくれてたんだ。……はは、』

「うるさい………!」

心配してかけたというよりも。彼の声を聴きたかったというのが半分。声を聴いたなら、生きているという事で。なんとなく俺は一之瀬がひっそり死んでいるのを想像してしまって、怖くなったのだ。

認めよう。俺は彼を失うのが怖い。

電話口の向こうで一之瀬はひとしきり笑った後、『恭さん』と呼んだ。

『おれさあ、あいつ殺してやろうってちょっと思っちゃったんだよね』

「―――――――――ああ」

聞かなくては。今、聞かなきゃ。

『でもさあ。地元帰るのに電車乗ってたら、そもそもあいつどこに住んでるかもわからないじゃん?地元いない可能性の方がでかいし。それで、電車の中で冷静になったんだよ。――――――――――それに、さ。いまおれがあいつを殺したって、何かが助かるわけじゃない』

「…………ああ」

『それに、さあ………せっかく、ちょっと、最近、楽しいって思えてたからさ』

「―――――――――」

『おれ、あんたのことマジでゴミ箱としか考えてなかったんだよ。最初。でも、あんた案外笑うし、ガキみてーな顔するし、でけえ図体してんのに泣くときは泣くし、なんつーかさ。そうだよなあこいつ人間なんだよなあって思ったら、どう接していいかわかんなくなって』

「――――――――――」

『そしたらテレビであいつの顔見るじゃん……立ち読みしたんだよ?はは、相変わらずあいつ、嘘つくのうまいな………。……でも、さ。電車ん中で冷静になったの、なんか、あんたの顔が頭にちらついたからなんだ』

「………………っ」

『おれ、あんたに話してない事、まだあるんだ。自分でもそれがどうでもよくなったから話さないんだと思ってたんだけど。それもあるけど、違うんだ。』

「………………」

『あんたとの話を終わらせたくなかったんだよ、おれは、きっと………』


後ろで電車の音が聞こえた。


「………お前、今どこにいるんだ?」

『………最寄り駅。大丈夫、妙な気を起こす気はないから』

電話口の向こうでかすかに駅名が聞こえるが、さすがにそこまでは聴きとれない。………というより、「妙な気」がすぐに出てくるところまで来ているのか。そう思ったらずどんと後頭部を殴られたような感覚になった。

電車が止まる。扉が開く音がする。足音的に、恐らく車内に入ったのだろう。

『電車乗ったから、そろそろ切るね』

「っ、一之瀬!」

『うん?』

充分に水分を取ったはずなのに、喉がやたらと乾いていた。


「ちゃんと……帰ってくる、よな?」


『――――――――うん。………ああそうだ、恭さん』


電車が、動き出した。

『………明日、暇?』

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