第11話

「――――――――この写真の男、知ってる?」

「…………………」

「あんたんトコのシマでやりたい放題してる奴だ。名前は、日朝順平。三十三歳だったかな」

「………それが、なんだってんだ………」

「いやね?おれはちょーっと、あんたに聞きたいことがあるんだよ。ふつーはさ、シマで好き勝手されちゃ、あんたらみたいなのは黙ってないじゃない」

「………………、………」

「けど、日朝がこのあたりに来てもう四か月、だっけ?ほぼ野放しじゃん。だめだぜ?飼い犬はリード付けて散歩しなきゃ。飼い主の知らないところでなにかあったら可哀想だ。………ま、これは犬の話だけど」

「何が言いたい?」

「………日朝はヤクを売りさばいてる。しかも年齢関係なく、らしいな。コーコーセーにも手に取りやすい値段で売ってるんだって。とんでもないよねー。…………」

「……いい加減にしろ、このモヤシ野郎!要領を得ねえんだよ、手短に話せ!俺は忙しいんだ!」

「あー、ごめんごめん。おれ話下手だからさ。許して?あと、手短になるかどうかはあんた次第だから。それは覚えといて。――――――――あんた、日朝順平の素性、知ってる?」

「知らねえよ………」

「じゃあ次。庭で暴れまわってる日朝について、どう思ってた?」

「…………ッ……………」

「あー。思う所がありそうだ。俺らのシマで勝手すんじゃねえ!って、思ってたんじゃないの?」

「………………………」

「黙らないでよ。ねえ、教えて。――――――あんたら、日朝を放っておくように命令されたな?」

「なっ…………」

「いやあ、そうだよねえ。下っ端は納得いかないよねえ。そういうの。」

「おい、………話を勝手に進めんな………!!」

「けど、納得がいかなくても、命令されたら答えはひとつ。手を出さない、これだけ。四か月誰も手を出さなかったってことは、結構上からの指……」

「いい加減にし、ろっ…………、……っ!」

「あーあー、そんな状態で立とうとするから。大丈夫?椅子に後ろ手縛られてんのに、よくやるよ」

「さっきから適当な事を………!確かに日朝のヤツは俺たちのシマにいた。だからなんだ!?お前ら、何がしたいんだよ!?」

「しーらない。おれは頼まれただけだし。あー、ただ………」

「ただ?」

「………放し飼いしてる犬が人を噛んだら、飼い主の責任、って言うじゃない?依頼主はね、日朝の飼い主を探りたいんだってさ。てことで、知ってること全部教えてくれたらうれしいな」

廊下を歩いている最中、耳をつんざくような男の悲鳴が聞こえた。人より良い耳がきぃんと痛む。

「うるさっ………」


「痛痛痛痛痛いいたいたいいたいいたいあああああああああああああああ!!!!!!!」

「うんうん、痛い痛い。痛いよねー、ここねえ。え?ああ、そう。あー、うんうん。じゃあもうちょっと深くね、刺しちゃおうね」


「………………………」

思わず戸口の前で立ち止まってしまった。そういえば今日は尋問の予定がひとつあるだとかなんとか言っていたか。しばらく悲鳴が続いて、言葉にならない声が聞こえて、ようやく言葉のようなものが聞こえ――――――――


「お」

一之瀬が、出てきた。

「きぐーじゃん、おつかれ」

「おう。随分騒いでたな」

「事務所全体が防音とはいえさあ、ここのドアも防音にした方が良くない?って思うんだけど…………」

「西条さんあたりに相談してみろ。で?情報は引き出せたか?」

「そこまで満足いくのは出せなかったなあ。あいつ下っ端の下っ端だし……ただまあ、裏付けは取れたというか。あ、ちょっとおれ最上さんに報告してくるね。いつものとこで待ってて!あと鍵かけといて!」

「ああ、―――――――――」


立ち去る一之瀬を後目に部屋の中を見る。そこには――――――はた目から見れば、外傷も何もない男がぐったりと項垂れていた。足音を立てずにゆっくり近づき、男を見る。

「―――――――ひっ」

男は俺に気がつくと、恐ろしいものを見たような声を上げた。

「ああ、すまん。俺は別にお前に危害を加えるつもりはない。………大丈夫か?」

「………あ、ああ…………」

狼狽えるようにつぶやき、俯く。そうして地獄の底のような声で「痛かった……」と言った。

「あいつ、俺の、俺の指と爪の間に、は、は、針、刺してくんだよ、お、俺、ナイフで刺されたこともあるし、しゅら、しゅらばも通ってるし、そ、そ、そんなもん痛くねえって、思、思って………!」

「…………わかる。痛いよな、そこ………」

一之瀬は本当に的確に、最小限に、人の体の痛い場所を知っている。そしてなぜか彼は嘘への嗅覚が異常に鋭い。――――――とは聞いていたが。最初から最後まで見てはいないにせよ、スピーディーに、そして正確に仕事をしたようである。目の前の男に対し、気の毒に、と思った。

「(……それにしてもあいつ、俺と話してる時より頭よさそうだったな……)」

口調はいつもの通りふわふわとしていたが、言葉選びはいつもよりしっかりしていた―――――ような気がする。

「(………嘘を見抜く第六感、か……………)」


―――――――「彼」が虚飾にまみれていなければ。その能力も無かったのだろうか。

…………一之瀬は。自分の話を淡々と話す。それはまるで他人事のようで、それこそ物語を読んでいるような冷たさがあるのだ。何かが欠落したまま日々を生きている彼だが、ああして見る限り自分を特性を生かしつつ真面目に仕事しているらしい。

………この職場には脛に傷を持つ人間ばかりだ。少年院上がりも、なんだったら刑務所あがりもいるし、前科何犯もいる。殺人経験のある者もいるかもしれない。

一之瀬は仕事という名目で人を傷つけている。俺だってそうだ。それなら彼の過去なんて、その中にあったら取るに足らないレベルなんじゃないだろうか。

「(………いや、違うな)」

重かろうが軽かろうが、人を傷つけていることに変わりはない。けれどそれはけして「普通」ではないのだ。本当ならばやってはいけないことなのだ。


けれど、やってはいけないことをやることしかできないのだ、俺たちは。

そういう世界でしか、息ができないのだ。

「……………………」

それは痛ましいのか、居場所があるだけいいのか。それは紛れもなく、俺自身への問いでもあった。

「(…………そういうの、もう考えなくなってたんだがな………)」

部屋から出て、裏口へと向かう。指先に金属の冷たさが触れた。



「うん?」

「鍵。今度から俺がいないときそれ使って入れ」

ふうん、と言いながら一之瀬は空にそれをかざしながらしげしげと見つめていた。俺は内心で彼の言葉を待ちながら、表情を変えないように努力していた。

「別に、深い意味はないんだが……ほら、この前みたいに玄関にいられても困るし」

なんだか言い訳じみてしまった。一之瀬は今、どんな表情をしているのだろうか。この位置からじゃわからないのをいいことに、俺は目を逸らし続けた。

「…………ん?」

ごそごそ、と鞄を漁る音が聞こえる。何をしているのだろう。ようやく俺は彼の方を見たが、音の通りの行動をしていることしかわからない。そうやってしばらくして「あった」と一言。金属と金属がこすれ合う音がして、彼はなんだか満足そうな息を吐いた。

「――――――よし。これで無くさない」

「何したんだ、今?」

「家の鍵にくっつけた。へへ、にぎやかになったなあ。見える?」

一応鍵のようなものがふたつぶら下がっているのと、それと―――――ふわふわしたものが。なんだあれ。グレー?黒?いや白?色合いは何となくわかるが、何かはわからない。俺は脳内に大きなクエスチョンマークを浮かべながら、目を細めてそれを見ようとした。

「んー、いいな。おれ車の免許とか持ってないからさあ、じゃらじゃら鍵つけるのにちょっと憧れてたんだよねー。なんかそれっぽくない?」

「いや待て、ちょっと待て。そのふわふわのやつの正体を教えろ」

「見えない?」

「ああ、気になって夜眠れないかもしれない」

「大げさすぎね?しょうがないなあ」

一之瀬は立ち上がり、座る俺の前に立つ。何をするのかと思い構えていると、その場で膝をついた。

「手出して」

素直に片手を彼の前に出す。すると掌の上にふわふわとした心地よい触感を感じた。指の間から鍵がかちゃんと滑る。指を軽く閉じて、もう片方の手で形を確かめて。顔の近くまで持っていって、ようやくそれが何かわかった。

「………ああ、これ。ペンギン……の赤ちゃんか」

「そうそう。かわいいよねえ。っていうか恭さん赤ん坊のこと赤ちゃんって言うんだ」

かわいいじゃん、と揶揄うような口ぶりだったが、不思議と腹は立たなかった。

「姪がいるもんでな。周りの口癖が移っただけだ」

「へえ。おじちゃんとか呼ばれてるの?」

「………呼ばれてる。悪いか」

「恭さんまだ二十代なのにねえ、もうおじさんかあ」

「うるさい。ちょっと気にしてるんだぞ」

一之瀬はからからと笑い、ペンギンの腹あたりに指を埋めて、それからくるくると撫でた。

「ああ、なんか。嬉しいなあ」

「………そうか」

今になって気恥ずかしさが襲ってきた。こんなのほとんど赦しているようなものじゃないか。――――――――けれど本当に、ああいうのはもう御免なのだ。自分ちの玄関先に、迷子の子供が泣いてしゃがみ込んでいるみたいな光景は。

「それじゃあお礼に今夜は二本ぐらい一気に読んじゃいましょうかね。リクエスト、夜までに考えておきなよ?」

「ほ、………本当か!?二本、二本もいいんだな!?」

つい興奮のあまり立ち上がると、一之瀬はぎょっとしたようにバランスを崩し、その場にへたりと尻を付いた。

「あ、すまん。つい」

「いい加減慣れろよなあんたも!?ほんとにさあ、朗読なんぞにそんな喜ぶの恭さんだけだぜ?」

「そんなことはないだろ。大勢が愛してきたからこそ今の今まで朗読って文化があるんだ。それがあるおかげで、俺は物語を楽しむことができるんだ。有難いことだよ」

「まあ、そうだろうけど………違くてさあ」

「ん」

「別に、おれのじゃなくたっていいわけじゃん?なのにそんなに喜んでくれるとさあ、その」

「―――――――」

「………あー、よくわかんなくなってきた。恭さん、また飯食いに行こうよ、この前のとこ。今度はさ、クリームソーダの青いやつ飲みたい。あれってどんな味……」

「一之瀬」

少しだけ早口になる彼の背を呼ぶ。彼が何を言いたいのか、彼自身が気づいて言葉にした方が良いとは思う。けれど、なぜか自分の方から言いたくなってしまった。

「俺は、………お前の読み方、………落ち着くし、……声も、好きだ。もっと、聞きたいと思ってるけど」

「………………」

「……………お前のが、いいんだ」

一之瀬がくるりと振り向く。少しだけ無言の時間が漂う。もう少し言い方があったかもしれない。正直俺自身も彼の対人スキルに対してとやかく言えるほどの関係性を人と築けてはいない。こういう時、どうやって言うのが正解なのだろう。

―――――――そもそも、この男と俺はどんな関係なのだろう。

友達、じゃないのだから、本来はここまで深入りすることではない。同僚、は合鍵なんぞ渡さないだろう。となると関係性の名前として上がるものがいくつかあるが、それらは当てはまらないような気がした。俺がそんなことを頭の中で悶々と考えていると、一之瀬は「………ま、おれたち利害が一致しただけだもんね」と頭を搔きながら言った。

「いや、違、それだけじゃなくて」

「―――――――なんつーか、そういう事言われたのって初めてだからさあ」

一之瀬は。戸惑っていた。その間に一歩、二歩進んで行く。


「どういう顔していいかわかんねえっつーか、………わ、」


至近距離でその表情を見て、そうして胸を撫でおろした。浮ついた心を顔と態度に出さないようにしたが、彼の先を行こうとする足が如実に感情を表す。

ああ、俺は今、嬉しいんだ。

「さ、一之瀬。早く行かないと昼休み終わるぞ」

「ちょ……おいっ、今の何!?なあ、待てよ恭さん………恭さんてば!」

「一之瀬」

「なに!」

「――――その表情で、正解だ!」


彼は、照れていた。こんなに素直な反応をするなら、もう少しストレートに言っても良かったんじゃないかと思う。今度言ってやろう、そんな悪戯めいたアイディアさえ浮かぶほどだった。


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