第10話
「……………そのニュース、覚えてるな。小学生が同じクラスの生徒を、そのへんにあった石でぶん殴って、それで―――――――――」
「そう。唇を裁縫糸で縫い付けた」
ちょうどその日家庭科だったんだよね、と言う一之瀬の方を見ていられなくて、俺は思わずこめかみを押さえた。
「―――――――当時、猟奇的だって話題になったもんだ。俺は見てないけど、お前の顔写真とかもだいぶ出たんじゃないか」
「出たかもね」
俺は一つだけ気にかかる部分があった。だから聞いた。
「………どうして、縫ったんだ?」
一之瀬は言った。
「だって、うるさかったから」
………大きめのため息が出た。ああ、―――――――理解は、できてしまう。
けれどそのすべてはさすがにできない。「彼」のしたことは到底許されることではないけれど、一之瀬のしたことも許されることではない。そして、きっと。犯行後も彼は―――――誰にも、信じてもらえなかったのかもしれない。けれど。
「………用務員さんが庇ってくれたのは、本当だと思う」
どれも断定することなんてできない。けれどそれだけはきっと、話を聞く限り、一之瀬の事を一番見ていた校内の大人だ。信じたい。というより、一滴でも救いが無ければ耐えられない。
「……ま、いいひとだったけどね」
一之瀬は珍しくため息を付きながら言った。俺は心臓に大きな爆弾を抱え込んだような心持になっている。
「…………一之瀬、この話って………もしかして、人にするの、初めてか?」
「そうだよ」
「………こんなの、抱え込んで。なんで………」
「だってさ、誰も信じないだろう?」
だから言わないようにしてたんだよね、否定されるだけでしょ、と一之瀬は言った。
「恭さんは信じるとか信じないじゃない。ただ聞くだけじゃん?だから話したんだよ。おれだってこんなの抱えて、しんどくないわけないじゃん」
一之瀬は笑った。なんで笑ってるんだと怒鳴りたくなった。笑うなよ。せめて泣けよ。悔しそうに言ってくれよ。どうして、他人事みたいに話すんだ。
「ありがとうね恭さん、おれのゴミ箱になってくれて」
相変わらず性格は最悪だ。けれどもう、その言葉の意味が違う。
「…………こんな話聞かされて、俺はどんな顔したらいいんだ………」
「そんな顔しないでよ。朗読と同じようなものだって、こんなの」
「―――――――ちがうだろ…………」
ええ、と一之瀬は困ったような声を出した。実際困っているのだろう。多分今彼は、どうしていいかわからないのだと思う。もしかしたら俺のような反応さえ、初めてなのかもしれない。
「一之瀬」
「お、おう」
「―――――――――また、聞かせてくれないか」
「いいの?こんな趣味の悪い自分語りで」
「いいさ。――――――――聴くよ、お前が満足するまで」
正直に言えば、こんなに重い話をされて面食らってしまったのはある。けれどそれ以上に、自分が今「聞き手」という立場を放棄したら、彼は迷子になってしまうのではないかという不安からだ。または、別のゴミ箱を見つけるか。それは嫌だった。重いものを聞くことになるという心の苦しさよりも、そっちの方がもっと怖い。
情が湧いたわけじゃない。ただ、放っておくのが怖いだけだ。
心の中で、そう自分に言い聞かせた。
「…………そういえば、お前。動物が好きって言ってたけど、今も好きなのか?」
「ああ、好きだよ」
思わず顔を上げてしまうほどには珍しく、温かみのある声だった。
「休みの日、大体寝てるか動物園行ってるか水族館行ってるか。あとは散歩して野良猫見たり、そんな感じ。うん、今でも好きだ」
俺は何故だか安堵した。読めないものが読めたような、そんな安心感さえある。
「――――――恭さんはさ、煙草吸わないよね」
「ああ……そうだな」
いきなり話題の転換をされ面食らうが、どうにかついていく。
この業界にいると煙草を吸う人間は多い。最近電子煙草を嗜む人間もちらほらと増えたが、そういう問題ではないのだ、自分にとっては。というか電子煙草も大概匂う。
「鼻が利きすぎるんだよな。だから苦手なんだよ。自分で吸うとかもってのほかだ」
だからこそ、裏口のベンチこそが自分の居場所だった。暑すぎる日、寒すぎる日は行きつけの喫茶店に逃げ込んで、それ以外はあの場所でイヤホンをつけて過ごす。そうやって過ごしてきた。職場の人間とは険悪では無いし、別に話し相手が欲しいのなら中に入ったっていいのだが――――そこですら、気を遣うのも遣わせるのも、いやだったのだ。
だからひとりだった。風の音を聞いて、鳥のさえずりを聞いて、フィルターを通したような世界でもそこにいられるのなら十分だったのだ。
「おれねえ、恭さん選んだ理由、そこなんだよね」
「ん?」
「動物って煙草の匂い嫌いじゃん」
「ああ――――――まあ。嗅覚が鋭いほどきついだろうしな。犬とか」
「でしょ。だからおれも吸ってないわけ」
そんな理由だったのか。なんとなく、自分が一之瀬の受け皿になってもいいと思った、自分でもわからなかった部分に光が当たったような気がして息を吐く。
一之瀬朔という男からは、あまり人間の匂いというものがしなかった。
ああ、だから隣を赦したのか。
合点がいって力が抜ける。一之瀬は俺の内心なんぞ知ってか知らずか「恭さん?どした?」と呑気に心配をしていた。いや、心配してるんだろうか。どっちでもいい。
「………兎も、まだ好きか?」
「ああ――――――好きだよ。だって、そいつらに罪は無いから」
トラウマにする方がお門違いだよ。その言葉を聞いて、お門違いなんて言葉知ってたのか、なんてふと思った。
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