第3話

職場と言っていいのかわからないが、俺が働いている場所はいわゆるグレーゾーンである。闇の人材派遣会社と言った方が正しいかもしれない。ヤクザや半グレといった裏社会に生きる人々に雇われ、給料をもらう。その仕事内容は多種多様に渡り、死体埋めからボディーガード、薬等の受け渡しや運び屋など、大小様々な雑務を請け負うなんでも仕事屋である。

そういった組織は、そういった「雑務」ひとつにも気を配らなくてはならず――――末端にやらせた時、尻尾切が上手くいかないと全体に傷がつく。かといって素人だと足が付きやすい。要はうちの会社は掃除代行サービスのようなものである。自分たちではしたくないことを、金を払って外部にやらせる。 


その中で一之瀬朔という男は、主に尋問を得意としていた。本人の言う第六感で相手の嘘を見抜き、的確に厭な痛みを与え、情報を吐かせる。それらすべてに無駄が無く、見る者が見ればかなり頭の良い人間だと思うかもしれない。

しかし蓋を開けてみると、それ以外はてんで駄目だ。記憶力も無ければ情報処理能力も無い。そもそも簡単な計算が苦手なので、一之瀬に数字がらみの仕事させちゃだめだ、とは上司の文句である。


――――――で、俺は何をしているかというと。


「すごいよね恭さん。今日もボディーガードの仕事っしょ?ザトーイチみてえ。」

「……すごくはない。大体、あいつらその気になれば俺より腕が立つだろ」

座頭市知ってたのか、なんてことを頭の端で思いながら、シルエットからして屈強そうな男たちの姿を思い浮かべた。ああいうのを守れ、と言われても守る必要があるのか疑問に思ってしまう。仕事だからやるものの、俺が行く意味はあまりない。

「そりゃー、自分の体ひとつよりはさ。よく切れる刀と、でかい盾がある方がいいっしょ?」

「ひどいな。命をなんだと思ってるんだ」

「ここにいるやつらの命なんて軽いでしょ。いつ死んだって替えが効くもんね」

正直俺も本気で言ったわけでは無いが、思っていた以上に乾いた答えが返って来たので少し驚いた。

あれからというもの、何が面白いのか一之瀬は、時間を見つけては俺の横に座って過ごすようになった。延々あちらが話している時もあるし、静かになったと思ったら昼寝をしていることもある。とにかく自由なのだ。……とはいえいきなり「恭さん」と呼ぶのは距離感がおかしいのではないだろうか。せめて最初は苗字で呼ぶのが自然だと思うのだが。

さて、俺自身は一之瀬の事は正直どうとも思っていない。なんで俺に構うのかなあ、くらいは思うが、それ以外はこの男に興味が無かった。ただ――――――ふわふわしているのにからからで、そこの乖離だけがやけに気になった。

かといってそこの乖離を直接本人に聞くのはどうにも憚られた、ので――――――


「……お前、なんでいつもサングラスしてるんだ?」


それだけ聞いてみた。彼は晴れの日、雨の日、夜も関係なくサングラスをかけている。大体丸いサングラスで、黒かったりピンクだったり青だったりするが、その下の目というものを見たことが無い。見たとしてもぼやけてしまうのだが、なんとなく理由を聞いてみたくなったのだ。もしかしたらそこに乖離の種が埋め込まれているのかと、ほんの少しだけ期待したからだ。かちゃかちゃ、とサングラスを指で弄ぶ音が聞こえたと思えば、「恭さんはさ」と音が聞こえた。

「こうしてると、おれの目ぇ見えないでしょ」

「見えないな」

「うん。じゃあいいんだ」

全く答えになっていない。

「恭さんじゃなくても、サングラス付けてればおれの目は他人に見えないじゃない。だからさ、せめておれのは隠してるんだ。答えになった?」

―――――――まだ、わからない。というより彼は、明確な答えを出したくないように思えた。なぜかはわからないが、そんな気がした。けれど聞いた身としてはしっかりした答えが返ってこないというのは、地味ではあるがストレスになるものである。

「――――――つまり、人の目を見るのが嫌なのか?」

「嫌だね。見られるのも嫌だし、見るのも嫌だ」

あいかわらずふわふわとした口調で言う。それでもそのふわふわの中に、どうしようもない毒が滲んでいるような気がした。

―――――――誰が、彼をこうしたのだろう。

「…………………………」

気になる。しかし、どう聞いたらいいのはがわからない。というより聞いていいのかわからなくて、俺の疑問符は形になることが無いまま霧散した。一之瀬はそんな俺の逡巡を見抜いたのか、「だから恭さんに声かけたんだよね」と言った。

「………は?」

「だって、おれの目を見ないじゃない。だから話しかけたんだよ、おれ」

「………ちょっと待て。お前――――――自分の方を見ない人間と話したかったのか?」

「そうだよ」

だいぶあっさりと言われてしまったので、言いたいことの半分が飛んだ。

「おれが言いたいこと言える、都合の良い人が欲しかっただけ。答えになった?」

「………ずいぶんいい性格してるな」

「ありがと。褒められてる?いま」

そう言って青年はいつも通り笑った。俺はそれが癪に障った。



正直、身体的理由だけで選ばれ言葉を吐かれるだけの人間になろうなどとは誰も思わない。だってそれはあまりにも自分勝手だ。とても仲良くやろうという気にはならない。

「…………………はあ」

――――――――だったら。何故俺は今日もベンチに座っているのだろうか。

彼はまだ来ない。当然だ、彼と俺とは仕事内容が違う。だから時間を同じくすることも基本は無い、はずなのだ。大体、あんな性格の悪い男がいないのならいないでいいじゃないか。静かで――――――――――

「……………………」

静かだ。遠くの方で複数人の声がするが、こっちに来る足音ではない。待っているのだろうか、俺は。そんなわけがない。待っているわけがないのだが、だが――――――

「お、いたいた。恭さん飯食った?」

「っわ、」

急に眼前に一之瀬が現れたので、俺は思い切り体をのけぞらせてしまった。からからと笑い声がその場に響き、「驚きすぎ」と聞こえる。

「一之瀬………」

「昨日の今日だから来ないんじゃないかと思ってたよ」

「………自覚があったのか?自分が最悪っていう」

「わかんねーけど。正直あんまり人と接したことないから、なにか正しいのかわかんないんだよね」

「それは言い訳になってない」

「言い訳しようとも思ってねえよ。あ、パピコ食う?さっきコンビニで買ってきちゃった」

「…………食う」

じわじわとセミが鳴く中、成人男性二人でパピコを食べる図というのはなかなか滑稽なものだと思う。今だ氷のままのそれをてのひらで溶かしつつ、少しずつ吸っていく。久しぶりに食べたが、それなりに美味しいと思う。食道がひんやりとして気持ちよかった。

「一之瀬」

「んー」

「言いたいことを言いたいだけ、って言ったな。そんなに溜まってるのか?」

「まあね」

「そうか。…………………なあ」

俺は喉まで出かけてた提案を飲み込む。しかしすぐに喉にせり上がって来たので、観念して口にした。

「俺、落語が好きなんだ」

「………………うん?」

「落語が好きだ。古典落語も創作落語も良い。朗読とかもよく聞く。物語が好きなんだ」

「お………おう」

珍しく言葉を連ねる俺に、軽くたじろいだ声を出す。パピコを手でにぎにぎする動作を見せながら、なに、と言った。


「―――――――朗読、してくれないか」


「…………は?」

「ネットに上がってる著作権切れたやつでいい。というかそれがいい。文豪の作品を片っ端から読んで欲しい。お前が俺を都合よく使うなら、俺も都合よくお前を使わせてもらう」

どうだ?と迫れば一之瀬はたじろいだ素振りを見せ、ええと、と困ったような声を出した。

「え、あ、その」

「どうなんだ。やるかやらないか」

「え、えと、まって、おれ、人に何しろって言われたの初めてで、よくわかんないんだけど……」

「朗読してくれるだけでいい。わからない漢字は俺が教える。というか多分ふりがな振ってあると思うし、お前にも読めるはずだ。………ひらがなは読めるよな?」

「馬鹿にすんな。さすがに読める。いや、でも」

「答えなきゃ俺はお前の話なんぞ聞かないぞ」

「え。別におれは聴いてほしいんじゃねえよ。ただ言いたいだけで」

「でも、宙に向かって言うよりはマシだろ。人間がいる方がいいだろ」

「それは………そうだけど、…………………………………」

たっぷり十秒後、彼は小さな声でいいよ、と言った。

「よっしゃ」

「………そんなに嬉しい?」

「嬉しいに決まってるだろ。本が読めるんだぞ?今まで読みたかったものに触れられるんだ。こんなに嬉しいことはない」

「………まあ、いいけどさ」


正直自分がこういう事を言い出すのは意外だった。こんな性格最悪の人間にギブアンドテイクの関係を持ちかけるのもどうかと思うが、実際自分は本を読みたかったし、それに―――――――


「(………こいつの声、ちょっと好きなんだよな)」


視覚がそのすべてを機能させない時。世界と触れあう時は、耳がそれを補う。

一之瀬朔という男の声は何となく、その世界に入れておきたい声をしていた。


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