第34話 カヤ、帝都暮らしに憧れている

 ────俺の放った魔法は、綺麗な白い弧を描いてエンジェルベア殺しの不審者に命中した。


「ぎゃんっ!!?」


 黒い軽装に身を包んだ不審者は間抜けな声をあげながら草原に倒れ込んだ。威力を調整したから大怪我はしていないはずだが、当たりどころが悪ければ無事で済んでいる自信はない。仰向けに倒れた不審者はそれからピクリとも動かないので俺は肝を冷やした。今更誰かを殺すことに何の感情もないが、殺す気がなかった時は話が別だ。娘の前でもあるし。頼む、生きていてくれ。


「ぱぱっ、はやくっ!」


 俺の腕から抜け出したリリィがぱたぱたと草原を駆けていく。着いていこうとするも、身体が思うように動かず俺は足を縺れさせて転倒した。完全に体力不足だった。


「リリィ、待って…………」


 リリィの意識は完全にエンジェルベアに向いていて、俺の言葉など聴こえていない。小さな背中はどんどん遠ざかっていく。俺は身体に鞭を打ち立ち上がると、重りで出来たような身体を引きずってリリィの後を追った。


 ────リリィに追いついたのは、の目の前のことだった。


「くまたんっ!!」


 エンジェルベアの子供は、もう動く事のない親の周りをウロウロとしていたが、やがてペロペロと親の身体を舐め始めた。だがそれに親が応えることはない。生命の力強さを感じさせる緑の草原はここら一帯だけ黒く染まっていて、首筋に引かれた斬撃傷はひとつの命を奪うのに充分過ぎた。子供はひたすらに親の毛並みを整えている。

 リリィは傍にしゃがみ込むと、思い切り子供を抱きしめた。それでも子供は舐めるのを止めない。地面にみた血でリリィの服が赤く染まったが、心配そうなリリィの顔を見ると何も言う気にはなれなかった。


「う〜ん…………なに、いったいなんなの…………?」


 ぐるぐると目を回していた不審者がゆっくりと上半身を起こした。不審者は黒髪の若い女性だった。露出の激しいこの衣装は、果たしてどこの所属だったか。知っているはずだが思い出せない。


 不審者は目をこすると、ゆっくりと俺を見て、リリィを見て、その後もう一度俺に視線を戻した。俺と目が合うと、細くなめらかに伸びた眉が不格好に歪む。まあいきなり攻撃されたんだ、そうしたい気持ちも分かる。


「え、あなた達…………何?」

「俺達はピクニックに来た親子だ」


 親の方は少し別の用事もあったりするが。

 不審者は俺の答えに信じられない、といった表情を浮かべた。ただの行楽家族のお父さんに自分が気絶させられた事に納得がいかないようにも見えた。とすると、この子はどこかの組織の戦闘員なんだろうか。


「お前がエンジェルベアを殺そうとしているのが見えたんでな、悪いが攻撃させて貰った」

「ちょっと待って…………私がこの子を殺そうとしたですって?」


 不審者はリリィに抱きしめられているエンジェルベアの子供に目を向けた。その瞳に敵意のようなものは一切感じられない。


「違うのか?」


 …………正直な所、親エンジェルベアの首元についた傷跡をみた時点で犯人はこの子ではないと分かっていた。傷跡は大きな刃物で斬りつけられたもので、彼女はそれが可能な刃物を身に着けていなかったからだ。


「逆よ、逆。私はこの子たちに何かトラブルが無いかを確認しに近くの村から来ているの。この子達の保護者がわりって訳。それでこの子が殺されてるのを見つけたら、いきなりアンタに攻撃されたのよ」


 不審者は責めるような視線を俺に向けてくる。今となっては俺の方が不審者だった。


「…………それは済まなかった。俺もエンジェルベアを守ろうと必死だったんだ。許してくれないか」

「そういう事なら…………まあいいわよ。私もこうして無事だった訳だしね」


 この子は今「保護者がわり」と言っていた。

 エンジェルベアを狩ることは別に禁止されていないはずだが、この子の前で「素材を採りにきた」とは言わない方が良さそうだ。不審者は服に付いた芝生を払うと身軽な動作で立ち上がった。


「私、カヤ。アンタは?」

「俺はヴァイス。こっちは娘のリリィだ」

「ヴァイスとリリィね。可愛い娘さんじゃない」


 カヤはリリィの頭をぽんぽんと撫でた。リリィは悲しみに暮れた目で俺を見上げる。


「…………ぱぱ、くまたんどうなっちゃうの…………?」


 リリィの目には涙が浮かんでいた。この子供に何が起きたのか、リリィも察しているんだろう。もしかするとかつての自分を重ねているのかもしれない。リリィのその辺りの事については、親子の間でも話題に出せないでいる。


「カヤ、この子はどうなるんだ? エンジェルベアは子供だけで生きていけるのか?」


 俺の質問に、カヤは難しい顔をして首を左右に振った。


「…………正直、厳しいわ。ただでさえエンジェルベアは天敵が多い生き物だから。それに基本的に子供は親にべったりなの。この子はまだ、ひとりでは何にも出来ないわ」

「カヤの村で保護する事は出来ないのか? 保護者代わりだと言っていたが」

「そりゃ保護することは出来るけど…………それを言ったらこの子達全員を保護しなくちゃいけなくなるわ。エンジェルベアという種族は常に命の危険に晒されているの。この子だけが危険な訳じゃない。今、目の前のこの子を助けることが、どういう意味を持つのかを、私達はずっと前から考えてきたわ。その結果、私達は見回りだけをすることにした。この意味、分かる?」

「まあ、何となくはな」


 カヤが言っているのは、つまり人が自然の在り方を変えてはいけないだとか、目に映る範囲だけを救うことは偽善ではないのかだとか、そういう事だろう。


 ────あの日俺はリリィを助け、他の奴隷を見殺しにした。


 カヤは「この世の奴隷を全員助けられないのなら、善意で目の前の奴隷を助けるべきではない」という考えで生きているというだけの話。俺とは真逆の考えに思えるが、根本が違う。そもそも俺は善意でリリィを助けた訳ではない。


「ぱぱ…………」


 リリィは悲しみの中に一筋の力強さを秘めた目で俺を見た。リリィが今から何を言うのか、何故だか分かる気がした。


「くまたん…………うちでかっちゃだめ…………?」



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