第33話 リリィ、くまたんとの出会い
「~~~ッ、くまたんだ~!」
抱っこしていたリリィを草原に降ろすと、リリィは一目散にエンジェルベアに駆け寄っていく。ピンク色の体毛に覆われ体表にハート型の模様を持つエンジェルベアは、その名の通り天使のように愛らしい見た目をしたクマに似た魔物だ。成体になると人間より大きくなるんだがその成長スピードは穏やかで、何十年も掛けてゆっくりと大きくなっていく。
性格はとても温厚で人や他の魔物を襲うことはなく、その気性が災いしてか成体になる前に生命を落としてしまう個体も多い。他の生き物に狩られてしまうのだ。今日もこれから一匹命を落とす。
「ぱぱ! くまたんいるよ!」
リリィは俺の方を振り返ると、両手をあげてぴょんぴょんとジャンプする。
…………リリィはさっきからエンジェルベアの事を「くまたん」と言っているが、一体どこで熊という生き物の存在を知ったんだろうか。ゼニスや帝都の近くには野生の熊は生息していないはず。きっと絵本か何かで見たんだとは思うが、子供というのは親の知らない所でどんどん知識をつけていくんだな。
エンジェルベア達はある者は寝転がりながら、ある者は歩きながら、リリィに視線を向けている。人間にも散々狩られてきたはずだが怖がる素振りを全く見せないあたり、奴らの危機意識の低さが現れているな。
「くまたんあそぼ~!」
リリィはエンジェルベアの親子に近付くと、子供が何匹か集まってゴロゴロしている所に身体を滑り込ませた。エンジェルベアの子供はリリィの半分くらいの大きさで、リリィが抱きつくと大きめのぬいぐるみみたいになっていた。親はリリィに敵意が無いことを察知しているのか好き勝手にさせている。子供の方はリリィに興味津々な様子で、抱きついたりよじ登ったりとやりたい放題だった。
「あははっ! ぱぱ~たすけて~」
リリィは数匹の子供に乗っかられて、あっという間にもこもこに包まれてしまった。一瞬焦ったが、エンジェルベアの子供はそれほど重さがないはず。リリィの声にも苦しそうな様子はない。俺は心を落ち着けると、ピンクの毛玉の中から俺を呼ぶ声を少しの間スルーしてサッと周りに視線を走らせた。リリィの視界が塞がっている今はチャンスなんだ。ここに来た目的を忘れた訳ではない。
「────あいつにするか」
少し先を大人のエンジェルベアがひとりで歩いている。
俺は獲物を見定めると右手に魔力を集中させた。…………思い出すのはクリスタル・ドラゴンの悲劇。素材ごと破壊しては意味がない。攻撃は的確に、そして最小に留める必要がある。エンジェルベアにはクリスタル・ドラゴンと違って魔力耐性もないしな。
「────ッ」
右手に凝縮させた魔力を今まさに放たんとしたその時────
「ぷは~、くるしかったあ」
「ッ────!!」
リリィが勢いよくもこもこから顔を出す。俺は慌てて魔法陣を掻き消した。
「ぱぱー! ぱぱもくまたんとあそぼ?」
「あ、ああ…………今行く」
すっかり友達になったらしいリリィとエンジェルベアに見つめられ、俺は重たい足取りで芝生を踏み出した。
◆
…………俺は頭を抱えていた。
「ぱぱ、はやくはやくっ」
…………嘘だ。頭を抱えることすら出来ない状態だった。
「よし、任せとけ」
頭上から降り注ぐリリィの声に応えると、俺は両手両足に力を込めた。
────エンジェルベア風情に俺がかけっこで負けるはずがない。例え四つん這いの状態で、背中にリリィを乗せていたとしてもだ。父親として娘の前で恥ずかしい姿は見せられないだろう。手のひらと膝が痛みを伝えてくるが勿論無視した。四つん這いで草原を必死に走っている姿は恥ずかしい姿じゃないのかという自問自答も、同じく無視した。
「おいついてきた!」
「ハァ…………ハァ…………」
「ぱぱがんばれ〜!」
首をもたげると、さっきより親エンジェルベアのお尻が近づいていた。後ろを付いていく子エンジェルベア達は完全に射程圏内に入っている。もう少し力を振り絞れば追いつくことが出来るだろう。まさかエンジェルベア親子の散歩にこんな形で参加する羽目になるとは思わなかったが、リリィが喜んでいるなら問題はない。
「ハァ…………ハァ…………!」
痛みの限界を超えて、俺はただひたすらに手足を動かした。手のひらが捉える草原のチクチクした感触はとうに無くなっている。今この瞬間だけは、エンジェルベアの方がクリスタル・ドラゴンより遥かに手強かった。まさか四足歩行の魔物の散歩がこんなにハイスピードだとは。同じ四足歩行の生き物として(今だけだが)素直に称賛に値する。
もうそろそろ追いついたか。
流石にもうそろそろか。
…………まだなのか。
そんな想いが、ギリギリまで引き絞られた肺を満たしつつあったその時────頭上からリリィの悲鳴が聴こえた。
「ぱぱッ! くまたんが!!」
リリィの声に顔をあげると────遠くの方で大人のエンジェルベアが血を流して倒れていた。傍には黒い民族衣装に身を包んだ女性の人影。その人影は、既に死んでいるであろう親に寄り添っている子供に────ゆっくりと手を向けた。
「ぱぱっ!」
「ああ!」
俺は素早く身体を反転させリリィを抱っこしながら立ち上がると────人影に手のひらを合わせ最も速い魔法を照射した。
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