第32話 ヴァイス、初めてのお仕事

「任務だ」


 魔法省の制服に身を包んだジークリンデが口を開いた。コーヒーから立ち昇る湯気が俺たちの間をゆらゆらと揺蕩って、ジークリンデの顔を僅かに隠す。


「────ついに来たか」


 コーヒーカップに口をつけ唇を湿らせると、上品な苦みが口の中に広がった。


「詳細を教えてくれ」


 若くして魔法省長官補佐に上り詰めたジークリンデには、様々な問題が付きまとっている。周囲からのやっかみもあるだろう。嫌がらせの類も日常茶飯事のはずだ。そんなあらゆる方面から湧いてくる面倒事を解決すべくジークリンデは私兵を囲っているんだが、私兵にも出来ない事がある。例えばクリスタル・ドラゴンを倒すこととかな。


 ジークリンデに「仕事を手伝ってやる」と言ったものの、コイツの性格を考えれば些細な事で俺を頼る事はしないはず。俺が呼ばれたって事はそれ相応の面倒事をジークリンデは抱えている。そう思えばジークリンデはいつもより少し疲れた顔をしているように見えた。


 ジークリンデは口を開いては思い直したように閉じる動きを何度も繰り返した。喫茶店では言い辛い事なのか、それとも言葉にするのが難しい抽象的な任務なのか。


「────あのな、その…………『この世で一番もふもふな生き物』って…………何か分かるか…………?」

「…………何だって?」


 この世で一番…………もふもふな生き物…………?





「────なるほど。それはまた面倒な事を押し付けられたもんだな」


 説明を受けて、俺はジークリンデに同情した。


 ジークリンデの話をまとめると…………魔法省に多額の献金をしている名家の娘が今度魔法学校に入学するんだが、父親は娘の為に高級ブランドの最高級品で魔法具を揃えていた。しかし、実物を見た娘がローブのデザインに文句をつけ「もふもふなローブがいい」と駄々をこねた。そこで父親はいつも世話をしてやっている魔法省に「娘の為に最高のローブを作れ」と命令してきた。困った魔法省はジークリンデにそれを押し付けた────と。


「いつから魔法省は何でも屋になったんだ?」

「私にも分からん。だが、断る事も出来ん」


 ジークリンデは困り顔で苦笑する。これはまあ確かに俺に投げたくなる案件ではあるな。


「もふもふ、ねえ」


 もふもふってーとあれか?

 毛皮でもこもこの魔物みたいな奴か?


 世界で一番かは知らないが、そういう奴に俺は心当たりがあるし、素材を取ってくることも出来る。だが────


「もふもふな魔物なら知ってるが…………はっきり言ってローブの素材としては三流だぞ? 魔法耐性も皆無で、火魔法でも当たった日には一瞬でパアだ」


 素材としては只の毛皮に過ぎない。ローブとして成立させるには魔法加護の方を相当頑張る必要があるだろうな。


「それで構わない。先方も娘に危険な事をさせるつもりはないらしい。魔法学校でも特別扱いさせるそうだ」

「…………流石金持ち、やる事が違うな」


 リリィの同級生にそんな面倒そうな奴がいることは気になったが…………同じクラスにならなければ問題ないだろう。魔法学校はクラスも多いし、同じクラスになる確率は相当低い。


「…………それじゃ早速狩ってくるか。急ぎなんだろ? 入学式までもう2週間だからな」

「ああ…………悪いが頼むぞ」

「気にするな。言い出したのは元々俺なんだからな」


 ジークリンデが困っているなら、助けてやる事に何の躊躇いもない。約束を抜きにしてもな。


 俺はコーヒーを飲み干すと、喫茶店を後にした。





「りりーもいく!」

「え」


 リリィは俺が出掛けると聞くや、急いで準備をし始めた。一瞬で余所行きの服に着替え俺の前に現れる。


「りりーぱんけきたべたい!」

「今日はパンケーキは食べないんだ。帝都の外に行くんだぞ?」

「ぼーけん!?」


 リリィは余計に目をキラキラさせた。パンケーキより冒険なお年頃なのか…………?


「まあ…………冒険と言えば冒険だ」


 今回のターゲット…………エンジェルベアは帝国領内に生息している。流石に徒歩という訳にはいかないが、エスメラルダ先生の改造魔法車で1時間も走ればエンジェルベアの生息地に辿り着くだろう。


「ぽよぽよいる?」

「ぽよぽよは…………どうだろう、いるかもしれないな」


 スライムはどこにでもいるからな。多分いるんじゃないか。


「やった! ぱぱ、はやくいこ!」


 リリィがぐいぐいと俺の手を引っ張って外に連れ出そうとする。いつの間にかリリィを連れていく事になっているが、果たして大丈夫か。エンジェルベアは人を襲わない温厚な生き物ではあるんだが俺の目的は素材収集だ。つまりエンジェルベアを攻撃しなければならない。そんな所をリリィに見せたく無かったし、見られたくもなかった。きっとリリィはショックを受けてしまうだろう。


「…………分かった分かった。リリィ、引っ張らないの」


 まあ、リリィが一瞬目を離した隙に終わらせれば大丈夫か。エンジェルベアは可愛い魔物だし、見ればリリィもきっと気に入るだろう。エンジェルベアに夢中なリリィを見るのは楽しみではあるしな。

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