第31話 ジークリンデ、今日の為に服を新調した

「えっと…………こ、この喫茶店は私の行きつけなんだ! パンケーキが有名でな!? どうぞ好きに注文してくれ!」

「そうか? なら遠慮なく」


 妙に気合の入った私服であたふたと説明するジークリンデを尻目に、俺はメニュー表に視線を落とした。目玉商品だというパンケーキは一番目立つ所にイラスト付きで紹介されている。2000ゼニーという値段設定はいささか強気な気がしたが、聞き耳を立てるまでもなく殆どの客が注文しているのが分かった。俺はパンケーキには「出せて900ゼニー」という価値観を持っているんだがどうやら帝都では通用しないらしい。


「…………リリィも連れて来れれば良かったんだけどな」


 ジークリンデに呼び出され休日の昼間から商業通りまで出て来た俺だったが、リリィはお留守番している。ジークリンデから「出来れば二人きりがいい」と指定されたのだ。自宅ではなく喫茶店を指定してきたという事は、恐らく魔法省絡みの話があるに違いない。リリィの事を魔法省に黙っていて貰う見返りとして、俺はジークリンデの仕事を手伝う契約を結んでいた。ついにその初仕事が来たという事だろう。


「なあ、このパンケーキは持って帰れるのか?」


 俺が一人で出かけると知るやリリィは大暴れ。手土産の一つでもなければ家に入れて貰えないかもしれないからな。


「んっ!? あ、ああ…………確か持って帰れるはずだ」

「そうか。なら俺はコーヒーだけでいい。その代わりパンケーキを持って帰らせてくれ」


 どうせ俺一人ではパンケーキは食い切れないしな。甘いものはそこまで得意ではない。それに仕事の話をするのにパンケーキ片手では何となく格好がつかないだろう。


 ジークリンデは店員を呼び、慣れた口調で注文をしていった。コーヒー2つ、パンケーキ2つ、1つは持ち帰りで。


「…………パンケーキ2つ?」

「私が食べるんだ。実は食べた事が無くてな」

「そうなのか」


 …………意外だった。


 行きつけなのに人気メニューをまだ食べていなかった事がじゃない。仕事の話をするのにデザートを注文するのがジークリンデのイメージから外れていたんだ。そもそもジークリンデは魔法省の制服で来るものだと思っていたんだが、実際に現れたのは地味ながらも高級感があるワンピースを身に纏った姿だった。


 俺はジークリンデをお堅い人間だと思い過ぎているんだろうか。この10年の間にコイツも力の抜き所を弁えたのかもしれないな。


「…………懐かしいと思わないか?」


 ジークリンデが窓の外を見ながら呟いた。


「何がだ」


 ジークリンデに習い視線を外にやってみる。年齢、性別────そして種族。様々な生き物が通りを行き交っていた。


「学生の頃はよくこうして通りを物色していただろう」

「…………ああ、そうだったかもな」


 物色していたというか、その殆どはジークリンデの用事に付き合っていただけだ。魔法書店や魔法具店が主で、こういった喫茶店に入った記憶はあまりない。ジークリンデには門限があったしな。


「────まさか、10年後もこうしてお前と向かい合っているとは思わなかったぞ」

「それは間違いない」


 リリィを拾わなかったら帝都に帰る事は無かった。ゼニスという街は俺にとってそれなりに住み心地の良い所だったからな。


 ジークリンデと昔話に花を咲かせていると、店員がコーヒーとパンケーキを運んできた。ジークリンデはパンケーキを何故か微妙な顔つきで見つめている。


「食べないのか?」

「いや…………実は甘いものがそこまで得意ではなくてな」

「はあ…………? 好きだから頼んだんじゃないのか」

「いい機会だと思ったんだ。気になっていたのは本当だからな」


 そこで、ジークリンデはワザとらしく1拍置いた。


「…………その…………半分こ、しないか…………?」


 ジークリンデは顔を真っ赤にしてそんな提案をする。


「食っていいのか?」

「あ、ああ…………大丈夫だ。遠慮なく食べてくれ…………!」

「それじゃ遠慮なく。お前も早く食べないと冷めるぞ? 温かいうちが美味いんだろ、きっと」


 パンケーキの正しい食べ方など分からないが、フォークとナイフを使って適当に口に運んでみる。


「…………お、美味いなこれ」


 これでもかというくらいシロップがかかっていたから、きっととてつもなく甘いんだろうな…………と身構えていたんだが、どういう訳か口の中に広がるのは主張しすぎない上品な甘さだった。


「ジークリンデ、これそんなに甘くないぞ。多分お前でも美味しく食べられるはずだ」

「そ、そうか…………分かった、食べてみよう」


 ジークリンデは既に半分程になったパンケーキを真剣な眼差しで見つめていたが────意を決したようにナイフを差し入れた。


「…………本当だ。うん、美味しいな」


 今日はずっとどこか緊張した顔付きだったジークリンデだが、パンケーキの力でようやく力が抜けたのか柔らかな笑顔を浮かべた。


 甘いもの嫌いの俺たちはみるみるうちにパンケーキを完食し、店を出た。


「ヴァイス、今日は付き合ってくれて感謝する」

「別にいいさ。こっちこそパンケーキありがとな。リリィにはちゃんとお前からのプレゼントだって言っとくよ」


 リリィの中でジークリンデの株が上がればいいんだが。


「用はこれだけか? なら俺は帰るぞ」

「ああ────ヴァイス!」

「何だ?」


 ジークリンデに背を向けたところで強く呼び止められる。振り向くと、ジークリンデは弱気な瞳を地面に降ろしていた。


「その…………また誘っても…………構わない、んだよな…………?」

「? 別にいつでも誘えよ。俺とお前の仲だろ」

「…………そうか。分かった、また誘わせて貰う」


 俺は今度こそジークリンデに背を向け、家に急いだ。


 ……………………仕事の話は?



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