第30話 ジークリンデ、スキップしながら帰る

 ────リリィの魔法によって真っ赤に燃え上がった巨木の上に、巨大な水球が出現する。


 俺の魔力で作られた水球が、まるで生き物のようにゆっくりと巨木を包み込んでいく。本来発生するはずの水蒸気が全く発生しないのは練っている魔力の質に差があるからだ。いくらリリィがハイエルフとはいえ、流石にまだ負けはしない。


「────よし」


 水球が完全に樹木を包み込んだ事を確認して、俺は水球を消失させた。鎮火完了だ。エスメラルダ先生の二の舞は何とか避けられたな。


「ふぁ…………」

「リリィ!」


 か細い声に視線をやると、リリィが虚ろな目でふらついていた。倒れ込むリリィを何とか受け止める。


「リリィ、大丈夫か!?」


 リリィの返事はない。魔力を流して原因を探ってみたところ、どうやら魔力の使い過ぎで気を失ってしまったようだ。寝ていれば治る症状ではあるので、ほっと一息つく。


「…………学校が始まるまでに魔力のコントロールを教えないといけないな…………それと、帽子もあった方がいいか」


 魔法具には色々な役割のものがあり、中でも帽子は魔力を安定させる役割を持つ。普通は魔力量が増えてくる上級生になってから用意するんだが、リリィは今の年齢から使用した方がいいだろう。どうやらリリィの魔力量は既に上級生レベルを上回っている。


 俺はリリィを抱っこすると、そばに放り投げられていた虫取り網を拾い上げて家路についた。





「…………改めて復習すると、学校で習った事なんて殆ど忘れてんだな」


 ソファに座って、実家から引っ張りだしてきた魔法学校の教科書をパラパラとめくっているが…………正直「こんなの習ったっけ?」という事ばかり書かれてあった。この教科書は本当に俺が使っていた奴なのか?


「お前はそもそもマトモに授業を聞いていなかっただろう。どうして私がこんな奴に…………」

「悪かったって。恨むなら実技の成績を重くつける学校の教育方針にしろ」


 隣に座るジークリンデが不機嫌そうに愚痴を漏らす。まあコイツは実技以外の成績は他と大差をつけて1位だったからな。それで主席を逃したのだから、文句のひとつも言いたくなるだろう。自分から主席を搔っ攫っていった張本人が目の前にいれば尚更。


「それにしても…………何か悪いモノでも食べたのか? お前が教科書とにらめっこしているなんて」


 ジークリンデが怪訝な目で俺に視線を流す。


 森から帰ってきた後、リリィをベッドに寝かせた俺は実家から教科書の類をあらかた持ち帰った。魔力をコントロールする方法をリリィに教える為だ。勿論俺も常日頃から自らの魔力をコントロールしている訳で、その方法自体は分かるのだが、自分の感覚と「正しいやり方」には得てして差があるものだ。まずは教科書通りに教えた方がいいだろう。


 そんな訳でリビングでくつろぎながら教科書を読んでいたところ、ジークリンデが訪ねて来て今に至る。仕事が忙しいと言う割に本当に頻繁に来るんだよな。


「失礼なヤツだな。俺がこの前まで居た街には俺ほど勤勉な奴はいなかったぞ」

「そんな訳があるか。それが本当だとするなら、その街には馬鹿しか住んでいない事になる」


 本当にあるんだよ、そういう街が。ゼニスっていうんだけどな。


「お前が俺の事どう思ってるのかよーく分かった」


 冗談めかして残念がると、ジークリンデは焦ったように手を振る。


「あ、いやっ、これは違うんだ。言葉の綾というかだな」

「分かってるって。それに、俺が馬鹿だったのは本当の事だしな」


 魔法学校の大図書館に籠りきりだったジークリンデとつるんでいなければ、俺のテストは赤点祭りだったはずだ。目の敵にしていた俺に対しても丁寧に勉強を教えてくれた聖人・ジークリンデから主席の座を奪ってしまった事は、本当に申し訳なく思っている。


 …………その時の恩を、そろそろ返す時かもな。


「…………ジークリンデ」

「なんだ?」


 ジークリンデはテーブルの上に積んでいる教科書に手を伸ばし、パラパラとページを遊ばせている。懐かしそうに細めている目は、一体いつの景色を映しているのか。


「リリィの母親になりたいって話、協力してやってもいいぞ」

「ぶっ────!?」


 ジークリンデは思い切り吹き出した。顔に教科書を押し付けて、ごほごほと咳き込んでいる。


「おい、汚えぞ。教科書に唾を飛ばすな」


 ジークリンデは俺の言葉が聞こえないくらい苦しいようで、肩で息をしている。いくつか大きく呼吸をした後、涙の滲んだ目で俺を睨みつけてきた。


「ヴァイス、お前、ふざけるなよ…………」

「…………? なんの事だ」


 前にジークリンデが「リリィの母親になりたい」と言っていたから、それに協力すると伝えただけなんだが。


「そういうのはもっと…………なんというか…………雰囲気とか、あるんじゃないのか」


 ジークリンデは顔を背けてもごもごと喋りだした。いつもの空気を切るような話し方とは大違いだ。


「何だよ雰囲気って。別にいいだろうが二人きりなんだし」


 リリィについての話は流石に大っぴらにしたくはないが、今は自宅で、それも二人きりだ。これ以上にうってつけのタイミングなんかないだろう。


「ふ、ふたっ…………! …………いいんだな!? これは、つまり…………そういう事でいいんだな!?」

「声デカいな…………そもそもお前が言ったんだろうが。それとも心変わりでもしたのか?」


 協力するとは言ったが、最終的にはリリィがジークリンデに気を許すか次第ではある。中途半端な気持ちでは恐らくリリィも懐かないだろう。子供は意外とそういうのに敏感って聞くしな。


「いやいや! 心変わりなどある訳ないだろう。…………そうか、ヴァイスは私の事…………そうだったのか」


 ジークリンデはひとりの世界に入り込んで、ぶつぶつと独り言を呟いている。


 結局その日ジークリンデは終始気持ち悪いほどの笑顔だったのだが、思い返せばコイツの笑顔というものを俺は学生時代一度も見たことがないような気がする。意外と笑った顔が可愛い奴だなと思ったが、伝える事はしなかった。

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