第4話 常設展 -4-


 面接は思っていたよりも柔らかい雰囲気だった。

 アルバイトというものすらしたことがなかった私は、いくらか怯えていたのだが、優しい雰囲気の理想のナイスミドルが現れた瞬間、不安は消し飛んだ。


「へぇ、学校で学芸員資格取得の授業を受けているのかい? 」


「あ、え、っと、はい! まだ将来的な就職先は決めていないんですが、美術館という場所が好きなので…… 」


少し声が裏返ってしまったが、面接官のナイスミドルは優しく微笑んでくれる。


「なんだか嬉しいねぇ。君のような若い子が美術館という場所を愛してくれているのは。僕には、君くらいの年頃の孫がいるんだけどねぇ——」


 面接というよりも、完全におしゃべりだった。

 あっという間に面接が終わり、ナイスミドルは私を部屋の外まで見送ってくれる。


「ああ、そうだ。僕としたことが、自己紹介を忘れていたねぇ。僕は館長の佐竹です。これからよろしくねぇ」


「これから? 」


「うん。普通なら電話とかメールで連絡するんだろうけどねぇ。君なら美術館のみんなと仲良くやっていけるはずだよ。明日また来てもらえるかな? 色々と説明したいからねぇ」


 こうして、あっさりと人生初のアルバイトが決まった。

 心の中はカーニバルだ。脳内は完全にリオネジャネイロ。お祭り騒ぎだった。

 

 ——あの人に今すぐ伝えたい。

 館長に挨拶をした後、私はすぐに常設展へと駆け出した。


「そんなに急いでどうしたんですか?」


 常設展の入り口の前で、あの声に呼び止められる。

 案の定、私はこの人の顔を見ることはできない。だけど、伝えたいことだけは口をついて出てきた。


「あの、私! ここで働くことになりました! だから、その、これからよろしくお願いします! 」


 「もうそんな時期でしたか…… 頑張ってくださいね。あなたなら、きっと楽しめますよ」


 館員は今日もあのカフスを指先で弄んでいた。私とは違って綺麗に手入れされた爪で。


 廊下の照明に照らされた館員のカフスは、藍色に光って見える。


 急に自分の手が恥ずかしくなり、館員の手元を見ながら自分の手を隠した。


「その、あなたにもきっと、色々なことを教わると思うので……えっと」


 その時、私は初めてはっきり館員の顔を見れた。

 柔らかい黒髪に白い肌……どこか懐かしくなるような眼差しには、いつも見つめていた版画のような落ち着きと安心感があった。

 

「大丈夫。私がいなくても、君はしっかりやれる」


 優しく微笑みながら紡がれた言葉は、私をがっかりさせた。

 初めて砕けた口調で話してくれたのにどうしてそんなことを言うのだろう。

 確かに、私たちは親しい間柄でもなんでもないけれど……確かに何か繋がるものがあったと思ったのに。


「えっと、どうしてそんなお別れみたいなことを——」


「お別れだからだよ」


 口を開こうとした瞬間、着信音が鳴った。

 いつもは電話なんてほとんどないのに、どうしてこんな時だけ……

 どうせ大したことじゃない。そんなことよりも目の前の事の方が大切だ。

 口を開こうとすると、館員に先を越される。


「出た方がいいよ。……父さんと話す最後のチャンスだから」


「は……?」


 着信は母からだった。

 入院している父の容体が急変したとのことだ。

 どうしてこの人は——


「今すぐ行った方がいい。それと、落ち着いたら前髪を切って、コンタクトにしてごらん。私が言った意味も、父さんが言った意味も、わかる日が来るから」


 全く意味がわからなかった。

 けれど、なぜだか「そうしなければならない」と思った。

 やっと近づけた「憧れの人」に背を向けて、私は病院へと走り出した。


 これが、私の初恋の終わり——そう思っていた。



 

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