第3話 常設展 -3-
翌日、大学の授業がない私は昼から美術館へと向かった。目的はいつもと違う。
あの館員にまた会うためだ。
この私が、他の誰かに会うために意気揚々とどこかへ向かうだなんて、昨日までだったら想像もできなかった。
しかし、私は確かにあの人との時間を求めているのである。
確かに会話は弾んでいたとは言えない。むしろ沈黙の時間が多かったと言える。だが、あの人との間に流れる空気は、確かに私を癒してくれたのだ。
意気揚々と常設展に向かうと、そこには誰もいなかった。
白と黒の版画達がいつものように沈黙しながら私を見つめているばかりだ。
「ここに来ればあの館員に会える」という確かな自信があったために、少しばかり落胆したが、いないものは仕方ない。
見慣れた版画を見つめ返しながら、昨日初めて話した館員のことを思い出す。
版画を見つめてはいるが、いつものような思索は始まらない。「今日は上手く話したい」だとか、「今は休憩中だろうか」などと、あの人のことばかりを考えていた。
「昨日までは私に夢中だったくせに」
版画の一つが、そうやってからかってくるような気すらしてくる。
「いやいや、初めて他人との時間が心地よかったんだ。これは圧倒的な不可抗力にして運命なのだ」
——版画に話しかけるなんて重症だ。版画に微笑みながら、待ち人のことを想う。
時計は午後二時を指していた。なかなかあの館員は現れない。
落胆しかけたが、まだ焦る時間ではないだろう。あの人の歳がいくつかはわからないが、きっとシフトやらなんやらにまだ入っていないだけなのだ。
美術館の閉館時間は午後八時。時間ならまだたっぷりある。これから来る可能性だってあるだろうし、もしかしたら今日は違う展示室を担当しているのかもしれない。
しかし、シフトとやらが、あの館員と過ごす時間を奪ったのは確かなのだ。
仕方がないと思いつつも、陰鬱な私はシフトを恨む。
おのれ、シフトめ。私の癒しを奪いおって。
その時、私の頭に一つの妙案が浮かんだ。
——そうだ、アルバイトをしよう!
館員として働くのは難しくとも、売店やレストランには学生バイトの求人があるはず。あの人と間接的な接点はいくらでも持てるはずだ。
私という人間は、いわゆる猪突猛進型であった。
これと決めたらすぐに行動する様は、我ながら内気な人間とは思えない様なのだ。
私はすぐにインターネットから美術館の求人ページを確認する。
そこにはなんと「案内スタッフ募集」の文字があった。客を展示の順路通りに誘導するためのスタッフらしい。
髪色指定あり、ピアス禁止、スーツ着用とのことだったが、地味な私にとってそれらの制約は一切の意味を成さない。
堪え性のない私はすぐに電話をして、面接の約束を取り付けた。美術館側も地味で暇な大学生を逃したくはないらしい。
そうと決まれば、履歴書なるものを生成しなければなるまい。
なぜこんなにも掻き立てられるのかはわからないが、「あの館員との接点を持ちたい」という渇望は、今までにないほど私を活発にさせたのだ。
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