第2話 常設展 -2-


「あなたも、この作品が好きなんですか? 」


 口から出てきたのは、ありふれた質問だった。

 もしも「気の利いた質問グランプリ」なんてものがあったら、文句なしで予選落ちの上、審査員から濃厚なため息をいただけただろう。


「さっきも言ったでしょう? 好きというか、落ち着くんですよ」


「……私もです。ずっと見ていられます」


「この作品は、女性側の表情が見えないのが良いですね。見えなければ、好きなように想像できる。メッセージが強い芸術も好きだけど……いつまでも好きに考えられる作品だからこそ、何回でも見てしまう魔力がある気がするんですよ」



 館員は自らの手元のカフスを弄びながら滔々と語る。私は館員が語る間、頷きながら耳を傾けた。

 大抵の内気な人間がそうであるように、私は人の顔を見るのが苦手だ。失礼なのは承知の上だが、人の目を見るのはどうしても難易度が高い。

 だからこそ、カフスを弄ぶ館員の手にばかり目がいったのだ。


「あの、そのカフス……」

 ——綺麗ですね。という言葉が口の中で消えた。絵を見ている自分に「接客」として話しかけただけの人に、絵も美術館も関係ない話を振ってしまったことを後悔した。


 しかし、館員は穏やかな声で会話を続けてくれる。 この人はどこまで優しいのだろうか。


「あぁ。今どき、珍しいでしょう? ……父からもらったんです。きっと助けになるって。ここに勤め始めてから、やっと意味がわかりました」


「……素敵なお父さんですね」


 ありきたりな返事しかできない自分を恨んだが、父親というものの存在に重要性を感じることがなかった自分にとって、それが精一杯だった。


 それから、ひとことふたことの会話を交わし、私は常設展を後にする。

 

 (そういえば、あの人の名前はなんというのだろう)

 

 あの人が弄ぶカフスばかりを見つめていたせいか、顔すら思い出せない。

 しかし、不快な気持ちや居心地の悪さはなかった。むしろ安心感と、心地の良い高揚感すらあった気がする。

 自分のせいで自分が気まずい思いをしたのは、もちろん別だ。


 飲食店で「認知」されてしまった時とは、全く違う感情が心に浮かぶ。


 ——また明日、あの人に会いにここに来よう。


 たった一度しか言葉を交わしていないのに、あの時間を欲している自分が居た。

 美術館に行く目的が変わってしまうくらいに。


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