第0話 Prologue






 ヘルトルーデは首を傾げた。


 楽しい。

 戦いたい。

 傷つけたい

 血を見たい。

 切り裂き、引き千切り、臓物を引きずりだして、踏みつけたい。

 心臓を握り潰し、眼球を繰り抜いて、持ち主の口に放り込むのだ。

 苦悶と恐怖と絶望の表情は、さぞ甘美だろう。

 血の涙を流させ、断末魔をあげさせ、それを無性に嘲笑あざわらいたい。


「―――楽シイ」

『ヘルトルーデ、しなければならない事を忘れるな』

「分カッテル」


 反応が嗤えて、ヘルトルーデは口の端を吊り上げた。


「サア、楽シモウ。戦オウ。私ハ、オ前ヲ許サナイヨ?」






 女神は何に嘆くのか―――――――――。





*****





 ドンと押されて、男爵令嬢ヘルトルーデ・コニングは、自分で緩く結ったクリーム色の髪を頬に乱した。


 子爵家の美しい庭園で無作法に膝や手をつかないように、ヘルトルーデは、同程度の身分の令息令嬢の前で何度着たか分からないドレスの中で足を踏ん張る。

 いつの頃からか―――異母妹アンシェラが父である男爵に手を引かれて家にやってきた時から徐々に、ヘルトルーデに対する周囲の空気が冷たいものに変わってしまっていた。


 オレンジ色の瞳にグッと力を入れて、ヘルトルーデは涙が零れそうになるのを耐える。


 ―――茶会に招待されるのは、今回が最後かもしれない。


 続く令嬢らの冷ややかな視線と、嫌な雰囲気に、ヘルトルーデは周囲との関係改善を諦めた。


 ―――家族や男爵家の使用人達との関係は、せめて元に戻したいけれど。


 そうは思うが、それが最大の難関なのだろう。

 ヘルトルーデの生家のコニング男爵家には、周囲が変わってしまった原因である異母妹アンシェラが居るのだから。


 諦念と、これからどう振舞えばいいのかという事に小さく息をつくと、それとなくヘルトルーデは体勢と整えた。

 これ以上、此処に居ても辛いだけだ、そう判断して、ヘルトルーデは、傷ついた表情をつくる異母妹アンシェラと冷ややかな視線を向けてくる令嬢らに、帰る旨を伝えようとする。


 しかしその前に、今回の茶会を開いた子爵家の嫡子で、魔塔の後継とされる魔術師のケフィンが口を開いた。


「ヘルトルーデ、お前の意地の悪さには辟易だ! 庶子とはいえ、半分は血を分けた妹に対して、酷すぎないか!?」

「……私は何もしていないわ」

「嘘をつけ! では、アンシェラが偽りを言っているとでも!?」

「……そうよ。貴方は信じてくれないだろうけど」

「ああ! 信じられないね!」

「…………」

「ヘルトルーデ、僕はお前との婚約を破棄する! 純真なアンシェラに悲しい思いをさせるお前は、魔塔の後継である僕に相応しくない!」

「……うん、分かった」


 そう返事をするしかなかった。

 この場にヘルトルーデの味方は居ない。一人も、だ。

 何かを言ったところで、傷つく言葉を叩きつけられるだけだろう。

 足掻く事は無駄でしかなかった。


 ヘルトルーデは何度も袖を通したドレスをキュッと握り、空を見上げる。

 茶会日和の爽やかな青空だ。

 陽光も適度に柔らかくて気持ちいい。

 先の見えない辛い状況が続くのに、ヘルトルーデは疲れていた。


 つい先程まで婚約者だったケフィンが、茶会に参加していた令嬢らに囲まれて慰められているアンシェラの許へ行く。

 目尻を下げ、打って変わって優し気な表情になった彼がアンシェラに声を掛けるのを見てから、ヘルトルーデは踵を返した。

 この茶会と同じで、冷たい場所となってしまった男爵家に帰る為だ。


 ケフィンに婚約を破棄された事は辛くない。

 家同士で取り決められた婚約でしかなかったし、特別な感情を抱いていた訳ではない。

 けれど―――。


「そういえばアンシェラ、今度の王宮の夜会に着ていくドレスは決まりましたの?」

「あ、ううん、まだ、かな」

「まあ。また、あの女が意地悪を? 姉なのに信じられないわ」

「僕が用意する。とびきりのドレスをね。そしてアンシェラ、僕に君をエスコートさせてよ」


 直後、背後でキャーとした令嬢たちの声が上がる。

 一度だけ振り返ると、ヘルトルーデ以外の全員が楽しそうだ。


 ―――王宮、か。私は無理ね。


 婚約を破棄された事よりも、その事に心がツキリと痛む。

 男爵令嬢としての色々を諦めなければならない事に、もう覚悟を決めないといけないのかもしれない。


 男爵家に戻ったら、真っ白な毛を持つ愛犬のヘニーに慰めてもらおう。

 モフモフとした毛に顔を埋めさせてもらうのだ。

 そして明日は、領地の平民で鍛冶職人の父を持つ幼馴染のヴィリーの家に遊びに行くのもいいだろう。一時的にでも逃げるのだ。


 アンシェラと目が合った。

 夜会のドレスについて賑わう周囲に気づかれないように、彼女の口がパクパクと動く。


 『モブは早く帰りなさいよ。悪役令嬢にすらなれない、平凡なヘルトルーデ姉様』


 柔らかな風が吹いた。

 緩く編んだクリーム色の髪を揺らしながら、ヘルトルーデは視線を進行方向へと戻す。


 ―――モブ? 悪役令嬢とは何だろう? それより私はこの先、どうしたらいいのかな。


 ヘルトルーデに居場所は無い。

 生まれ育ったコニングの男爵家にも。貴族社会にも。


 陽光を浴びながら、青空の下を歩くこの時のヘルトルーデは知らなかった。

 のちに呪いを掛けられ、陽が昇っている時は人の姿でいられない事を。

 王宮に行くことを諦めなければならなかったヘルトルーデが、同じく呪いを掛けられた王太子ローデヴェイクと解呪の旅をする事になるのを。

 ヘルトルーデは知らない。


 王太子ローデヴェイクが、ヘルトルーデを離さない事を―――。




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