第23話 ヴィリー





 見世物小屋のあったバルネダールの街を、ヴィリーがヘルトルーデらを荷馬車に乗せて出発してから、一週間が経った。


 ようやく王都の幾分手前まで辿り着いたが、荷馬車を飛ばせば、もう少し日数を縮める事が出来ただろう。が、ヴィレミーナの体を気遣っての速度をヴィリーは保った。

 それを言うと、ヴィレミーナが「ごめんなさい」と暫く申し訳なさそうにしていた。


 ヴィリーは往来の邪魔にならないように街道の端に荷馬車を停め、御者台から猫のヘルトルーデらが居る荷台を振り返る。


「ギリギリまでお送りしたかったのですが、聖女様とヴィレミーナ様の事を考えると、此処までが限界かと思うのですが」


 客観的に判断した上での事を言うと、応えたのは、一行の代表的立場となっている聖職者姿の王太子ローデヴェイクだ。


「そうだね。ありがとう。十分だよ。ヴィリー、色々と世話になったね」

「いえ、大したことはしていません」

「今回の事に片をつけたら、スヴォレミデルからの誘いの件に必ず着手するよ。もし急ぎの事案が発生したら、君の名前で私に連絡して。ヴァルの通信具でもいい」

「ありがとうございます。助かります」

「ヴィレミーナと聖女を宜しく頼むね」

「任せて下さい。とりあえず次に寄る街で、親父の知り合いがやっているギルドに護衛の依頼を掛けます」

「費用は後日請求して」

「ヴァルさんから頂いた魔石で十分ですよ」


 そうヴィリーが言うと、ローデヴェイクはそれ以上の反応は特にせずに「そう」と会話に一旦の区切りを付け、彼の膝の上に乗っていた猫のヘルトルーデを持ち上げて、その毛並みにキスを落とした。


 自国の王太子に気づかれないように、ヴィリーは溜息をつく。

 そして思うのは、面倒な事になった、という事だ。


 あの日、ヘルトルーデがヴィリーの家から突然消えて、それから皆で探し続けて。

 手掛かりが全くないのに焦りを、何かしらが彼女の身を襲って既に遅いのかと絶望しかかっている時に、王都に近い街バルネダールへの街道でヘルトルーデと再会できた。


 生きているという意味では無事であったが、彼女は呪いを掛けられていた。


 出会って直ぐ、安堵と喜びで思わずヘルトルーデを抱擁したが、それが王太子ローデヴェイクの逆鱗に触れた。

 彼が持つ光の魔力から生み出された幾本もの槍は、本気で息の根を止めに来たとヴィリーは確信している。嘗ての魔王であるというヴァルデマルがあの場に居なかったら、状況は最悪な方向へと向かっていただろう。

 ヘルトルーデにはその確信を言っていない。言えば性格的に気に病むし、そもそも告げる隙も無かった。


 王太子ローデヴェイクが常にヘルトルーデを側に置いているからだ。


 猫の姿であっても。人の姿であっても。

 特にローデヴェイクの前で人の姿であるヘルトルーデに触れるのは禁忌に近いと、ヴィリーは悟らざるを得なかった。

 執着なのか、溺愛なのか、はたまた違う何かなのか。そこはまだ分からない。しかし、ヘルトルーデという存在が自身から離れるのを良しとしていなかった。


 これまでの経緯と現状を聞いた時、鍛冶屋の顧客らと各ギルドに協力を仰いでの捜索に結果が出ないのは当然だと思った。

 陽が昇っている時は猫で、沈んで人に戻ったとしても、今度は銀狼に獣化した王太子ローデヴェイクの都合で人目を避けているのだ。


 そして、バルネダール初日の宿での食事の時のように、束縛もされていたのだろう。

 見つからなくて当然だった。


 この後、ヴィリーは聖女とヴィレミーナと共にコニング領の家に帰る。

 ヘルトルーデは連れて行けない。解呪しなければならないのもあるが、王太子ローデヴェイクが許さないだろう。


 解呪が成された後、ヘルトルーデがどうするのか。子供の頃からの長い付き合いであるヴィリーには心配でしかないが、やる事は決まっていた。

 ヘルトルーデが王太子ローデヴェイクから離れると決めた時に備え、動くだけだ。

 家から独立し、国外に拠点を作る下準備をするのだ。

 もしヘルトルーデが魔王城を選択した場合は、ヴァルデマルに言ったように、定期的に様子を見に行こうと思っている。


 魔王城に関しては、どう考えていいのか分からなかった。ヴィリーにとっては未知数であり過ぎた。

 王太子ローデヴェイクからは確実に離れられるだろう。

 ミロスラヴァやラディスラフが居るから、そこでの生活は楽しいものになりそうだ。

 ただ、人としての何かを失いもするだろう。


 王都への離脱組の出立の準備が出来たようだ。

 肩に猫のヘルトルーデを乗せた王太子ローデヴェイクがまず荷馬車を降り、ヴァルデマル、ミロスラヴァ、ラディスラフと続く。

 ミロスラヴァとラディスラフは、聖女とヴィレミーナに手を振り、猫のヘルトルーデは別れの挨拶を口にしていた。

 ヴィリーは御者台から降り、王太子ローデヴェイクの許へ行く。


「では此処で。お気をつけて。ヘルトルーデを宜しくお願いします」

「うん。君も」

「はい。―――ヘルトルーデ、落ち着いたら連絡をくれ」

「(必ずする。おじさんとおばさんに会いに行くからと伝えて)」

「分かった。―――では殿下、俺達は先に出発します」

「そうだね。関わりを知られては拙いからね」


 王太子ローデヴェイクに礼をし、ヴァルデマルに会釈を、ヘルトルーデとミロスラヴァとラディスラフには手を振って、ヴィリーは御者台に上がり手綱と鞭を操った。

 荷台に居る聖女とヴィレミーナが、街道に佇むヘルトルーデらに手を振り続ける。

 その姿が見えなくなると、ヴィレミーナが聖女にその事を教え、二人は手を下ろした。


「優しい人達でした」

「そうね。お蔭で私は前向きな気持ちになれたわ。そうだ。見世物小屋でずっと一緒だったのに、わたくしったら、貴女の名前を聞いていなかったわね。なんと言うのかしら。教えてもらえる? 聖女様」


 ヴィリーの背後で、聖女がふと微笑んだのが気配で分かった。


「アンシェラと言います。出来れば聖女ではなく、アンシェラと呼んで下さい」

「あら、わたくしのよく知っている嫌な名前と一緒だわ」

「そうなのですか?」

「ええ。でも、聖女様の名前だと思うと素敵に聞こえるから不思議ね。分かったわ。聖女と呼んでは今は拙いもの、アンシェラと呼ばせてもらうわね。宜しくね、アンシェラ」

「はい。此方こそ」


 ヴィリーは思わず手にする手綱を強く握った。

 どうして誰も聖女に名前を聞かなかったのか。

 彼女の髪の色は誰に似ている。誰と同じだ。

 物語と同じ魔の者の目に気を取られ、誰もそこに思い至らなかった。

 魔王ヴァルデマルが聖女と呼んだ瞬間に、聖女は聖女でしかなくなった。


 聖女は何と言った。母一人子一人と言った。その母が病気で亡くなったとも言った。

 偶然だろうか。そうかもしれない。だが、その偶然を無視も出来ない。


「……だとすると、今、王城に居るアンシェラは一体誰なんだ」


 ヴィリーの呟きは、荷馬車の移動音によって消された。


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