第12話 非凡

 俺は自分に特別な才を感じたことがない。


 我ながらどうかとも思うが、古今東西ここんとうざい自身の力を過信しがちな中二の時でさえ、将来自分がそれほど大した人間になるとは思えなかった。


 よわいが三十を超え、結局その考えは正しかったことを知る。生まれてから昏睡するまでの俺の人生がそれを証明していた。


 ―しかし、本当にそうだろうか。


 踏み外すリスクを顧みず探すことができたなら。拾い上げた石を信じ、愚直に磨くことができたなら。いつかキラリと輝きだす原石が、俺の中にも眠っていたのかもしれない。と、おそらく心の奥底では期待していたのだ。

 だからこそ俺は、「選べなかった道の先の素敵な未来」を夢見ることを止められなかった。

 しかし三十一歳になり。何かを始めるには遅すぎるという勝手な思い込みとしがらみによって、もはや既定の道を進むより他ないと決めてかかっていた前世。


 でも俺はチャンスを与えられた。

 一度は選ばなかった道を、再び選び直すチャンスを。


「まあ世界線からして違うけど」


 魔状。持たざるものには一生持てない力。

 この素質を、今度こそ自分が満足するまで伸ばしてみたい。たとえ大した素質ではなかったとしても、今度はとことん期待して、一生かけて磨いてやりたかった。


――


 近づいてきたマーリンさんの言葉を待つ。


「お前は、俺が『及』を行使し始めた時、どのように感じた?」

「首筋から肩にかけて強い悪寒を感じました。ぞわっとしたというか。何かが起こる。という焦りも感じて、目が離せなかったです」

「なるほど。……今まで魔状がどんなものかも知らなかったんだったな」


 聞いたマーリンさんは顎を手のひらでなぞり、思案するような顔をする。


「お前の言っている悪寒、肌が粟立つ感覚は誰にでも起こり得るものだ。正式には『魔震』という。初めて魔状に触れた時は特に顕著だ」


 言って含めるように続ける。


「だが、大抵の人間は肌が一瞬ヒリつくように感じたり、弱い静電気が首肩に走る程度だ。たとえ初めてであったとしても、魔状が起こる予兆を激しく感じることなど、ほとんど無いと言っていい」

「……つまり?」


「―ああ、喜べ」


 とても喜ばせようとする声音ではないが、マーリンさんをよく知る人が見れば、目が興味深そうに輝いていることを知れるだろう。


「魔状への『感じ』が大きいほど、魔状の素質もデカい」


 と言われている。という言葉で締めると、どこか期待するような眼で黒い目を覗き込んだ。


「あとは、これからお前が証明してみせろ」


**********************


「『感じ』が大きいということは、魔子をすでに知っていることとほぼ同義だ。であれば、感知については一番手っ取り早い方法をとる」


 言うとすぐに、ヨウから距離を取り、十メートルほど離れたところで振り返る。


「大して痛くはない」


 ……んん?


「避けてみろ」


 やにわにマーリンさんが手を前に突き出したと同時に、またしても悪寒によるアラートが俺をビクつかせた。

 複数の塊がマーリンさんの周りに収束しているのを感じ取る。今回のマーリンさんは目を閉じていない。次に場面が動いたのは二秒後だった。


気弾フォウト」「ナト


 周囲の塊の一つがもぞりと―


「――っうお!」


 弾けるように射出された空気の塊を大げさに回避した。

 次の瞬間。


「ふはっ」


 マーリンさんが笑った。驚いた俺を尻目に、片頬を上げたマーリンさんが二つ目を飛ばす。


「―!」


 見えないので仕方ない。本能に従って上半身をひねりつつ大きく仰け反らせて身体全体でこれまた回避。

 避けた瞬間、マーリンさんが三つ目、四つ目を飛ばしてくるのを片目が捉えた。


(速い!)


 三つ目と四つ目の間隔が早いし、そもそもスピードが速い。

 もう一ミリたりとも余裕がない。マーリンさんからも目を切り、二つの塊を避けるためだけに横っ飛びする。


「―ぢっ!」


 左ふくらはぎの内側を何かがチリっとかすめた。

 が、その一瞬後に、これまでの最速で何かが飛んできたことを悟る。


 しかしもう避けられない。いまや俺の身体は地面に横たわった状態だからだ。

 観念して身を固くした直後。


 強めのツッコミで頭をはたかれた程度の衝撃と、乾いた破裂音が響いた。


「っ。……はー」


 確かにそこまで痛くなかった。顔面ならアウトだけど。

 気が抜けて立ち上がらずにいると、さりさりと芝生(らしき草)を踏む音が近づいてくる。


「ふっふ。見事だった」


 目を向けると、機嫌のよさそうなマーリンさんの顔があった。


「俺の周囲に気弾が収束していることすら気づいていたな。さらに、見えない気弾を初見で避けるとは。……くくくっ」


 耐えきれぬ、という風にかみ殺した笑い声が漏れる。


「避け方は不細工でしかなかったが」


 失礼しちゃうなおい。


「それでも、すでに魔状を感知し、軌道まで読めるとは驚嘆に値する」


 「本当に、お前は何者だろうな」と可笑しそうに漏れた以前と同じ質問は、狐疑深い声で聞かれた前回とはまるで違った意味に聞こえた。


――


「さて。感知はすでに中堅レベルだが、魔子について何か気づいたことはあるか」


 そういわれましても。

 ただ、確かに気になることはあった。


「気弾、というのは、魔子でできてはいないように感じました。ただ、固めることと飛ばすことに魔子が使われているように思えました」

「……上出来だ。初回でそこまでわかればな」


 またもやマーリンさんが含んで笑う。


「見えない気弾を避けるためには、魔子を感知し、軌跡を追うしかない。気弾自体は魔子ではないが、圧縮し保持するために、気弾を包むように魔子を展開する必要がある」


「そして、気弾に指向性を持たせるために、さらに魔子を一定方向に押し出す必要がある。まあ、これは一つのやり方だ。対象に向けて射出する方法は押し出すだけではなく、魔子の道に載せる、牽引するなどいくつもある。今でも新しい方法は日夜研究されている」


 色々と方法があるようだが、どうも冗長な気がしてしまう。


「魔子を操ることができるんですよね? 気弾は魔子で包まれているのであれば、包んでいる魔子を操ることで向きを決めることができるのでは?」


マーリンさんが深くうなずいた。


「その通り。というよりも実際、今の魔状技術がある程度体系化されるまでは、今お前が言った通りの方法で気弾なり別の物体なりを操っていた」


 ならばなぜ廃れたのか。


「だがな、例えば押し出して飛ばす方法と、気弾を包む魔子を操って飛ばす方法を比較した場合、明らかに前者のほうが運用効率が良いのだ。それは既に実証されている」


 比較検証はそこまで難しくなさそうなので実証結果は正しいのだろうが、理由がわからない。

 納得しかねる顔を見て、マーリンさんも苦笑する。


「魔子についてはわかっていないことが多いが。おそらくの間接原因はわかる」

「! 教えてください」

「ああ。魔子を操るためには複数の工程を踏む必要があると言ったな。つまり気弾を飛ばす場合、気弾を包んで保持する魔子には既に複数の命令がなされていることになる」


 俺が頷いたのを見てマーリンさんが話を続ける。


「その状態で、さらに目的の方向へ向かって移動させる、という命令を魔子に下す必要がある。実は、魔子は自由自在に何でもできるというものではない。自由度は大きいが、できないこともある。それは魔状の工程を学ぶ上ですぐに痛感するだろう」


「話を戻すと、魔状者の思うままに気弾を操ることが難しいうえ、既に複数の命令を下した状態ではさらに魔子の運用効率が著しく下がるのだ。人間と同じだ。難易度の高い作業を実施している最中に、追加で難しい作業をすれば失敗するか作業速度が遅くなるかどちらかだろう」


 マーリンさんがこちらを問うような目を向ける。

 俺も理解し始めたので後を続ける。


「つまり、複雑な命令を一つの魔子で実行させるより、指向性を持たせる役割は別の魔子に実行させるほうが効率が良いということですか」

「その通りだ。物分かりがいい」


「魔子で押し出す、牽引するなどは、魔子を操って向きを決めるほどの複雑さがないため今日こんにちでは広く採用されている。蛇足だが、より大きな魔状を行使する場合、工程が複雑になるか、力技で大量の魔子を指揮下に置いて単純な命令を下すかになる。複雑な工程で大きな魔状を作り出す場合も、より効率的な順路で手順を組む必要がある」


 丁寧な説明のおかげで魔状が、『及』がおぼろげながらわかってきた。

 目的の動作を実現するために、魔子への命令と条件分岐を繰り返して制御し実際の事象発生まで持っていけばいいのだ。

 そこまで思い至ったところで、では魔子を操るにはどうすればいいのか、となった。


「魔子を操る、ということは命令を下すということですよね。肝心の命令する方法はどうすれば?」


 マーリンを見やると、彼は何もない空間を指さした。


「俺が特別なことをやっているように見えたか? 魔子を感知できたのであれば、魔子を操る下地ができたも同然だ」


 ゆっくりと静かにマーリンは言う。


「魔子は至るところに存在し、あまねく埋め尽くされている。今俺が立てた人差し指の先にも存在し、この魔子は百メートル先の魔子にまで連なっている」


 そう言うと、俺にも同様に人差し指を立てさせる。


「その人差し指に魔子が触れていると想像しろ。その魔子が、隣り合う別の魔子に触れているさまを想像しろ」

「そして、その魔子が数珠つなぎに、十メートル先の魔子とこの瓶にまで繋がっていることを想像しろ」


 俺は想像する。


 揺蕩う魔子が俺の人差し指にとまる。その魔子が別の魔子に触れる。

 別の魔子が他の魔子に触れ、不特定多数の魔子へ繋がり始める。


 管理下ではないが繋がっている魔子が莫大に増え、指に触れた小さないちが大きなぜんへと膨張してくのを感じた。


 その間にマーリンさんは庭の端まで移動し、黒い粉の入った装置を置いていた。

 マーリンさんが声を張る。


「お前の間合いでいい。今お前とつながった魔子を『揺らして』みせろ」


 ほんの十分前なら意味の分からなかったであろうマーリンさんの指示が、なぜだろう、今なら簡単にできるような気がした。

 装置を見つめ、俺は人差し指の先から命令を伝える。



―震えろ。



 魔子へ指先を通して命令が伝えられ、瞬く間に伝播する。

 装置の黒い粉がぶわりと舞う。


 マーリンにまで命令が届いたかのように、彼の肩が震えた。


「……お前のような者を」


 ヨウには聞こえない離れた場所でそっとつぶやく。初めて魔状を感知したわけでもない壮年の男の、その二の腕はなぜか粟立っていた。


「人は天才と呼ぶんだろうな」

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