第10話 初めての夜、初めての朝
燭台が灯る仄暗い部屋の中で、溜まった疲れを深く吐いた息と同時に吐き出した。
(……今日だけで色んなことがあったな)
脳も視覚もあれこれ取り込みすぎたせいで頭がフットー、もといオーバーフロウしそうだ。あれからマーリンさんの申し出を承諾したことで正式に村へ迎えられた。
まだ警戒心や不信感を持つ人もいたが、やはり魔状の力を持つ者が増えるのは村にとって喜ばしいことだったらしく、好意的な人がほとんどだった。
まったくの偶然であったが、川のほとりで奥さま三人と会えたのは幸運だった。
そういえば村長さんに会うときに濡れたシャツを持っていくのはどうなのか、ということで預かって干してくれていたミエナさんから乾いたシャツを受け取った。村に住めるようになったとを伝えると
「ヨウくんのことみんな気になってたからさ、しっかり広めておくねー」
……広める必要あるのだろうか?
しかしよくよく考えれば狭い村社会である。見知らぬ人間が村に入ってくると不安に思う村人も多い気がする。であれば、害のない人間だと伝えてくれることはありがたい、と思い直した。
「すみません。よろしくお願いします」
まかせてー! と言いつつ小走りで戻っていった。ここの村人は本当に親切である。マーリンさんは集まりが解散となった後村長と個室に入り、ちょっとしたら出てきた。
「お前の処遇が決まった」
マーリンさんとしては明日からでも魔状の指導に入りたかったらしいが、できれば土地の開拓も急ぎたいらしく、結果としてこれから半年程は魔状の訓練と並行して開拓作業にも従事することになったそうだ。
「まだお前が使い物になるかもわからん状態で、仕事もせずに食料をもらうのは村人の目も厳しくなるだろう。魔状者として、ある程度お前が見込みがあると分かれば、訓練一本に絞っても良いということだ」
「わかりました。よろしくお願いします」
「今日は俺もまだやることがある。明日から来い」
と、一言言い置いて村長宅を後にした。腰と脚が悪いと言っていたが、そうは見えない。全速力では走れないとかだろうか。
その後ゾブラさんから、日も暮れてくるので今日の仕事はもうよい、家の倉庫の整理の手伝いをお願いしたいと言われたので、力仕事を主に手伝った。ユウラさんからは大層喜ばれた。
「やはり男手があると違いますね。整理もとても早かったです。倉の管理とかやっていたことがあるのですか?」
特に探る目的ではなく自然に聞いてきたので、俺も軽く応える。
「管理というほど大したことは。身の回りの整理をやっていたくらいです」
なるほどー、という間延びした声が聞こえる。この奥さん、警戒心が薄れると途端に気安い空気になる。ゾブラさんうらやましや。
それから夕ご飯を用意してもらったが、ゾブラさんは仕事があるらしく別々で食べ、お風呂までもらって、寝着と布団も用意してもらって今に至る。至れり尽くせりである。お風呂は竈式であった。魔法でお湯を沸かすとかは、魔状の存在が貴重であると気づいてからは無いものと分かっていた。寝着はなんと日本にあったものに近い、甚平のような服だった。
「怒涛だったな」
この世界に転生してきてすぐは生き抜くことさえ困難なように感じたが、最終的には家で夕飯を食べ、この世界の寝着を着、しっかりとした布団で寝ようとしている。
やはりこれは、管理者の采配なのか。
(いや、それはどうでもいいか)
俺や村人たちの行動や思考にまで干渉するとは思えない。おそらく生き残る可能性が高いところに俺を落としただけだろう。
(しかし魔状か)
知識として聞いてはいたが、いざ目の当たりにするとあの現実感のなさに面食らう。そして、俺にもその力がある。
思わず顔がにやける。この世界に来てから、初めての純粋な高揚感。
早く早く。
早く明日が来てほしい。
こんな気持ちは小学生以来のような気がする。
今はただ後悔も苦悩もないままに、布団で朝を待つ喜びを噛みしめていた。
**********************
よく眠れたのかそうでないかも分からない時は、大抵たいして眠れてない。
(そう、まさしく今日の俺のように)
朝は強いほうではあるが今日は脳より先に身体だけ起こされてしまったため、起こした張本人である美しい人妻をぼんやり見つめてしまった。
「ヨウさん、おはようございます。朝食の用意がそろそろできますよ」
するりとした耳触りのよい声で起こされて目は開いたのだが、なぜ美人に起こされる状況になったのかを思い出すまでに数瞬ほど時間を要した。
「……あ、あのあの、どうされました?」
茫洋とした目で目の前の美人を眺めていると、少し頬を染めたユウラさんがどもる。かわいい。
なぜ人妻なんだ。俺の転生する前に勝手に結婚しないでほしい。
「あ、あれ? 少し不機嫌ですか。朝は弱かったですか?」
「いえ、すみません。理不尽を嘆いていただけで。起こしてくださってありがとうございます」
誤解を解くために笑っておはようございます、と伝えると、ユウラさんは不思議そうに首を傾げたあと、照れるように笑った。
「なにか年齢どおりの印象を受けないですね。あ、朝食がそろそろできますので、ご用意ができたら昨日ご飯を食べた部屋までお越しください」
部屋から出つつ「なるほど村の子たちが騒ぐわけです」と独り言ちた声は、あくび中のヨウには聞こえなかった。
――
「おはようさん。よく眠れたか?」
「おはようございます。おかげ様でゆっくり眠ることができました」
今日はゾブラさんと一緒に食べられるようだ。
朝ごはんは夜と同じく固いパンとポトフのような煮込み料理。鹿の肉みたいに脂が少なく淡泊な肉がやわらかく煮込まれている。味付けは香草っぽいものと塩だな。この世界は、塩は多く取れるものなのだろうか。
「早速だが、今日から開拓の仕事をお願いしたい。昨日はジズとは会えたんだったか」
「いえ、見つける前にマーリンさんに会ってしまって、そのままになってしまっていました」
ユウラさんが少し申し訳なさそうに言う。
「そうか。では今日が初対面か。話しにくいタイプではないから気にせずな。十七歳だから、ヨウくんよりけっこう上か」
「十七歳だと、そうですね」
「明るいやつだし面倒見がいいから、何でも聞いてしっかり働いてくれ」
「ありがとうございます」と返事をすると、さも思い出したかのようにゾブラさんは続けた。
「ああ、普通なら日暮れまでで仕事は終わりなんだが、ヨウくんはそのままマーリンの家に向かってくれ」
そこで、ゾブラさんは真面目な顔になった。
「昨日言っていた通り、マーリンが君にご教授してくれるようだ」
俺も思わずスプーンを置いて姿勢を正す。
「ヨウくんはわからないかもしれないが、あいつが自分から動くことは珍しくてね。いや、もちろん村のために色々と協力してくれているし、村長である俺を立ててもくれる。だが、まあ……なんと言ったらいいか、あいつは今まで他人に対して、こう、そこまで積極的に関わるタイプじゃなかったからな」
確かに、人付き合いが得意なタイプでは間違ってもなさそうである。
「しかも、わざわざ家に招いてまで。それもまた珍しい」
ゾブラさんは俺を見るでもなく、少し上の虚空をにらみつつ続けた。
「君は、君が素養持ちだからそこまで熱心になのだと思ってるだろうけど、それだけじゃない気がする。何か、魔状師として感ずるところがあったんだろうと。そんな気がする」
そこまで言ったあと、ふいに表情を和らげた。
「どちらにしても、別に邪な考えがあるとも思えないし、この村のためにも、あいつがやる気になってくれることはありがたいから放っておくけどね」
ただ、と言葉を重ねてきた。
「ヨウくんの魔状の素養はあいつから見ても、ずいぶん興味を惹かれるほどだったということと、ヨウくんが恐ろしいほど幸運であることを伝えておきたくてね」
言いたいことはわかった。
ゾブラさんからの、「この幸運を無駄にするなよ」というありがたい忠告だった。
「肝に銘じます」と言って頭を下げると、少し驚いた顔をした後「楽しみにしてるよ」とゾブラさんは笑った。
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