第2話 序幕 ※説明回。流し読み可

 ぶつり。

 と途切れたはずの意識が再び点滅し、急速に脳が回転し始める。


 おかしい。死んだはずなのに。

 おかしな状況にあることは間違いないが、死んだことも間違いない。

 事実、いま五臓六腑の活動を1ミリも感じないし。目もひらけないし。そもそも目なさそうだし。


 こんな状況でも意外と冷静に考えられるものだなと、落ち着いた心持ちで状況を把握する。再起動後のPCと同じで、脳も調子がいいのかもしれない。


「冷静なのか混乱しているのかわからないね」


 ―高くも低くもなく、女性とも男とも取れる声で急に話しかけられた。


 驚いた後に安堵する。よかった。人の声が聞こえる。

 いやいやまて、本当に人なのか。


「あなたと同じホモサピエンスではないね。人類に連なる者でもないかな」


 なんと。感情が読まれてしまうのか。そしてせめてホモサピであれ。


「あなたは今、感情と言動が一緒の状態だからね。言葉を発することができない代わりに、この場では精神体は考えていることを直接伝えることができるのさ」


 なるほど、話は分かった。

 頭部への深刻な損傷で、思考回路が異世界に飛んじゃったに一票。


「おっと、いいところついてくるね」


 相手が少しうれしそうな声を上げた。なんだろうか。


「まずこっちのお願いから伝えるけど、実は、思考回路だけじゃなくてあなたの存在を、こことは違う世界に移させてほしいんだ」


 ……どういうこと?


**********************


 ―なるほどなぁ。


「大体納得してくれたみたいだね。まあ信じるより他ないって心持ちか」


 その通りだ。隠すこともできないので却って楽である。


 簡単にまとめると。

 どこにでもいる会社員の独身男が路上で死んだ。享年三十一。この度はご愁傷様でした。と思ったが実は死んでおらず、その男、実は間一髪で助かったと。しかし意識は戻っていない昏睡状態だと。

 実際意識はここにあるし。病院のベッドに横たわる俺はもぬけの殻。意識が戻らないのもむべなるかな。


 ここは精神だけでも居れる長くは留まれない場所。相手は世界の管理者の一人(人じゃないけど)で、精神体だけお先に逝っちゃいそうだった俺を途中でピックアップしたのだという。

 なぜそんなことをしたのか。それが前述のお願いに繋がるが、地球で昏睡状態となった俺をこことは違う世界に移動させたいのだと言う。ハード面は破損したけどデータ自体は残っているのでそれを基礎にして別世界に適応した体を用意できるらしい。


 つまり。


「つまり、体と精神が分離して戻れなくなったあなたに、昏睡状態の間、別の世界でもう一度生き直してほしいんだ」


 俺の心の内を引き継ぐように、管理者の声が響いた。


――


 やはり聞き間違いではなかった。

 生き直す。そんなことが可能なのか。

 そもそも俺はもう元には戻れないのか。我ながら未練がましいが、厭世家ペシミストでもなかったので日本に戻れるならば戻りたい所存である。


「んー、もちろん戻れる可能性はある。人間は神秘の塊だから。体が抜けたあなたの精神を受け入れるまで回復することもないとは言えない。ほんのちょっとした衝撃で体が機能回復するかもしれない。けどそれは僕たちには制御できない」


 まあ、そうなんだろうな。正直そんな気はしていた。

 あと剥き出しの精神体だからだろうか。油断していると外側から徐々に蒸発してしまいそうな事に、薄々気づいていた。 ―それならば。


「うんうん、前向きに考えてくれて何より。断られると他の検体を探すことになるからね。別の世界に移し替えることは正直に言ってこちらの都合だから、ポジティブに捉えてくれるととても助かる」


 あちらにはあちらの事情があるらしい。

 だが、正直な気持ちということでいえば、俺としても縋ってでも手に入れたいものだ。


 新しい人生。


 消える間際のあの死ぬほどの後悔と決意は、どうにもならないまま消えるはずだった。


 ―もしも次があるなら、俺の中にある正直な願望を、俺は絶対に偽らない


 次がある。

 ならば、飛ばされた先がどんな世界であろうと、俺は生きなおす。


「決断が早いね。うれしいよ」


 彼か彼女かの喜ぶ声が聞こえた。そのうえwin-winなら言うことはない。


――


 残りの時間はその他気になることを聞くことで終わった。

 大体の一般知識や言語は精神体というデータに突っ込ん出おいてくれるらしい。言語は一番目と二番目に主流な言語を習得させておいてくれた。一般人の九割五分は多言語を話せないと言っていたので至れり尽くせりである。


 また、新しい身体は見た目や能力の大きな変更は無理だが、活動しやすいように後天性の持病を消したりは可能とのこと。例えばタバコの吸いすぎで真っ黒になった肺をきれいにしたりとか。逆に言えばそれくらいしかできない。身長を最大値以上に伸ばしたり骨格を意のままに変更して格好良くしたりはできない。そんなデータはないからね。


 正直こちらとしては十分すぎるので、腰痛と慢性的な眼精疲労と肩こりと自分も知らない病気などは取り除いてもらった。


「データはヒストリ型なので年齢も変更できるけどどうする? 移動してもらった後はいきなり一人だから、若すぎても困ると思うよ」


 嘘だろう。若い時に戻れるなんて最高じゃないか。


「こちらとしても元気に活動してほしいんだ」


 ならば、次の世界で一人前?というか成人する年齢にしてほしい。


「であれば十五歳だね。ただもっと若くても職に就いたり一人で生活することは可能だよ。十五歳まで働けないわけじゃない」


 むむ。じゃあ十三歳くらいにしておこう。十二歳だと子供すぎる気がする。日本でいうと小学生だからだろうか。「お安い御用だよ」という軽い返事と共に、波戸は次の世界で十三の少年として生きることが決まった。


 そしてここで驚愕の事実が。


「インサートする一般常識には入っているけど、次の世界は魔法があり、魔獣が跋扈する世界さ。意外かもしれないけど、君にも魔法の素養がある」


 えええ、物騒。あと俺は魔法どころか霊感もないんですけど。


「まー驚くよね。データから復元して微調整しただけの君が何故魔法を? って思うだろうけど。答えは単純明快、元々素養があったから。それだけなんだ。実際地球にいる人間で同じく素質がある人たちは少なくない。ただあちらには魔法を顕現するための環境がないということだね」


 納得していいか微妙だが、まあ理解はしました。


「記念すべき最初に降り立つ地はエスハーティ。王国だ。王が支配する専制君主制の国だが、差別も少ない。広大な未開拓地も近接しているから、開拓者や傭兵も集まっていて有力クランも存在する」


 開拓者はあれか。冒険者と同義かな。魔獣を狩るイメージの。


「その通り。次の世界の重要な要素ファクターだけど、魔獣からは、魔臓が採取できるんだ。魔法の源、魔力を蓄えた臓器のこと。殺すと臓器の中の一つだけに魔力が収束して魔臓になる。臓器だけど石化というか結晶化した状態になって、これを採取して売買することができるってわけ」


 なるほど。それが金になるわけだ。使い道は頭に入ってるだろう。


 最後は早足だったけど、これ以上ないチュートリアルだった。

 一般常識もインプットされるし、充分だ。


「よし。あとはもう次の世界に移動して、好きなように生きてくれればいい。僕らは神じゃない。管理者であり観察者。あなたに目的や使命、成し遂げてほしいことは何もない。なぜかわかる?」


 ……なんとなくわかる。

 観察者や研究者がシャーレの上に異物を垂らす目的は、反応をみたい時だ。


「That's Right」


 少しずつ、声が遠くなってくる。


「まさしくだよ。あなたがこれから移動する世界は面白くてさ、言い方は悪いけど、僕ら界隈のひそかな娯楽になってるの。サンプルとして選んだ一個人を混ぜたらどうなるのかが見たくて、あなたに来てもらった」


 まあ神の気まぐれなんかより、面白そうな実験としてピックアップされたというほうがずっと心が楽だよ。


 観客を楽しませることができるかはわからない。

 だけど後悔の少ない人生を過ごすために、目いっぱい生きてみるさ。


「OKOK。じゃあ本当にこの辺で。第二の人生、後悔のないように」


 最後の言葉がかすれるように聞こえた。


「次こそ、良い旅を」


 ―相手の気配が消えた後。


 それまで収束していた己の精神体が、外面より粒子化し流出し拡散し、霧散し。

 そして誰もいなくなった。

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