第116話 メイドの休息(1)

 文化祭二日目は朝からどこもかしこもとある話題で持ち切りだった。

 一日目のファッションショーに、あのHaruがシークレットゲストで登場した、と。


 おまけにHaruを廊下や中庭で見かけたとか、いろんなスイーツを食べまくってたとか、もはや事実そのものである噂まで流れている。


 やっぱりサングラスだけで正体を隠そうとするのは無謀だった。

 というか、途中でサングラスを外して素顔を晒していたのが致命的だったのは間違いない。


 今も例の話題で盛り上がっている子たちの話し声が、近くから聞こえてくる。

 他人の会話を盗み聞きするのはよくないとわかっていても、密かに耳をそばだててしまう。

 尾ひれがついて変な噂まで流れないといいけど……。


 ひやひやしながら、手元にあるフラッペのストローに口をつける。


 そういえば、昨日から飲み物ばかり買っている気がしないでもない。

 思いの外目を引く商品ばかり売っているから、お財布事情を忘れてつい頼みたくなってしまう。


 以前はこんな贅沢にお金を使う余裕どころか、一円でもかかるものに見向きすらなかったのに。


 文化祭を楽しむための費用は事前に捻出してはいたけど、使い過ぎに気をつけないとあっという間に出費がかさむ。

 特に昨日は、あれこれ食べ物をねだる陽生のせいで足が出たし……。


「奏向さん。お顔が険しくなっていますよ」


 穏やかに苦笑しながら言われ、我に返る。

 気付かないうちに、眉間にシワが寄っていたらしい。

 ストローから口を離し、咳払いする。


「……杏華さんは知ってます?」

「何を、でしょうか」

「モデルのHaruです」

「……ああ、若い世代に人気の方ですよね。雑誌や広告でよく拝見します」


 噂に気を取られすぎて、つい口が滑った。

 話題に出してから1秒後には、どう話を着地させようかと早速悩み始める。


 別に、陽生のことで盛り上がりたいなんて思っていないのに。

 周りが嫌がらせみたいにあの子の名前を聞かせてくるせいだ。


「奏向さんは彼女に興味をお持ちで?」

「いや、そういうわけじゃなくて……。ほんとに知名度あるんだなって確認したかっただけです。興味は全くありません」


 しきりに目が泳ぐ私に、杏華さんは悪戯な笑顔を向ける。


「特に関心はないけれど、なんとなく気にはなるのですね」

「噂に便乗しただけで深い意味はないです。それに、私が興味ある人は一人だけなんで」

「なるほど。その"一人"がどなたなのか、お聞きしても?」

「……絶対わかってますよね」


 もう。調子こいてのろけるとすぐイジってくる。


 最近の杏華さんは、私だけでなく夕莉にもからかいながら接するのが楽しいようで。

 確かに夕莉は、図星や核心を突かれるとわかりやすく顔に出るから。


 そういう学校や人前では決して見せないようないじらしい表情を、私や杏華さんにはたくさん見せてくれるのだから、もっと引き出したくなる気持ちはわかる。

 彼女の場合は、単に面白がっているだけという可能性の方が高い……。


 取り留めのない雑談を交わしながら、文化祭仕様に様変わりした食堂の一角で、束の間の休息を杏華さんと満喫する。


 夕莉と合流するまでは一人で回ることになるかと思っていたけれど、奇遇にも校内で注目を浴びていた杏華さんを見つけたのだ。


 こうして二人になった経緯の始まりは、今からおよそ一時間前のこと――。




 午前中の暇な時間をどうやって潰そうかと思い、偶然視界にいた雪平を誘おうとしたら、「むり」と食い気味かつ乱暴に吐き捨てられた。

 実行委員のお手伝いに駆り出されるらしく、私に付き合う暇はないのだという。


 それならば木崎さんを――と期待したものの、彼女は生徒会の仕事で朝から多忙とのこと。


 仕方なく一人で校内を回っていた時。

 どこからか甘い香りがしてきた。


 昔を思い出すような懐かしい匂いに釣られて行き着いた先は、縁日をテーマにいろんな屋台が立ち並ぶ教室。

 どうやら一年生の出し物のようだ。


 部屋の広さに限度があるから一つ一つはミニマムな規模だけど、輪投げとか金魚すくいとかヨーヨー釣りとか、定番の遊びがたくさんあって面白そう。

 廊下まで漂っていた甘い匂いの正体は、巨大なわたあめだった。


 小さい頃、親に連れられて行ったお祭り。

 屋台や露店はほとんど見るだけで、買ったことも遊んだこともない。


 ああいう場所で売っているものはぼったくりだからまともに買わない方がいいと、お父さんに言い聞かされてきたから。

 本当は貧乏で買うお金がないのを、それっぽい理由で誤魔化しているだけなのは、子どもながらに薄々気付いていた。


 ただ雰囲気だけを楽しむもの。

 縁日はそういうものだと思っていたけれど。


 わたあめの値段を見て、暫し黙考する。

 お祭りの屋台で売っていたわたあめよりも、かなり安価だった。


 ……一個くらい好きに買ってもいいよね。

 大丈夫、今日の分のお小遣いはちゃんと計画的に使うから。


 ちょうどわたあめ売り場の客足が途絶えたところで注文しようとした時。

 パンッ! という鋭い銃声と共に、近くで歓声が上がった。

 そして二度目の銃声が聞こえると、さらに大きな歓声が。

 何事かと思い、堪らず振り向く。


 視線の先には、慣れた手つきで銃口にコルク玉を詰める女性と、彼女を取り囲むように見物している複数人の野次馬がいた。


 射的だ。よく見ると、取得した景品らしきものが台に置かれている。

 それだけじゃない、他のゲームで取ったであろう大小様々な景品が足元にずらりと並んでいた。


 近くで見ている子どもが、驚きのあまりぽかんと口を開けたまま女性をガン見している。


 さすがに取りすぎでしょ……と思いながら異様な光景を眺めていたら、いつの間に注文していたわたあめを手渡された。


 でかい。私の顔の二回りくらい大きい。

 けれど、見た目に反して重さは全くない。

 まさに綿のような軽さだ。


 ふわふわで、ほんのりと三色の色が付いていて、出来立ての香りが鼻腔をくすぐる。

 一人で食べ切れるかな。


 教室を出ようと踵を返した直後、またしても銃声が鼓膜を震わせた。

 射的でこんなにも盛り上がるのかというほど、ワイワイと騒ぐ声が未だに収まらない。


 無性に気になって、注目の的になっている女性の姿を凝視する。

 なんとなく、雅やかさを感じさせる佇まいに既視感を覚えた。


 女性の横顔が見えた瞬間、目を見開く。

 思わず彼女の名前が口をついて出た。


「杏華さん……?」


 私の呟きが聞こえたのか、それとも偶然か。

 タイミングよく振り返った杏華さんは、私と目が合うと柔らかな笑みを浮かべた。


 まさか彼女だとは思わなくて。

 私がいつも見る杏華さんは、クラシカルなメイド服を着た姿ばかりだから。

 むしろその服装以外を見たことがない。


 街中を歩く時も買い物に行く時も、私のバイト先の喫茶店にコーヒーを飲みに来る時でさえ、メイド服を着ているような人が。


 お決まりの髪型であるシニヨンを崩し、赤褐色の艶やかな髪を下ろして、ハイネックのトップスとチェック柄のロングスカートを上品に着こなしている。

 清楚だけど色気もある美人なお姉さん、という感じ。


「……私の顔に何か付いているでしょうか」


 場所を移動し、廊下のベンチに二人で腰掛けていると、杏華さんが不思議そうに小首を傾げた。


 私があまりにも無遠慮に見つめるから、不安になったのか自分の顔をぺたぺたと触っている。

 その仕草がどこか可愛らしい。


「……あ、ごめんなさい。杏華さんの私服姿が新鮮だったんで、つい見入ってしまって……すごく素敵ですね」

「ありがとうございます」


 一転して照れ臭そうに破顔する表情もまた、絵になるほど綺麗で。

 なんだか、私の知っている杏華さんとは雰囲気が違って、変に緊張してしまう。


「他の方にもそのような口説き文句を?」

「……口説いてました?」

「そう聞こえてしまうような言い方は、奏向さんらしいですね」


 口元に手を当てて、楽しそうに笑みをこぼす。


 思ったことをただ正直に口にしただけで、言うまでもなく下心はない。

 それは杏華さんもわかっているはずなんだけど……。

 緊張で調子がおかしいせいか、冗談で言われたことにすぐには気付けなかった。


「でも、今後は気をつけた方が良さそうです。お嬢様がまた嫉妬してしまいますから」


 ギクリと、全身が硬直する。


 ……そうか。私には全然そのつもりがなくても、他者からすれば勘違いしてしまうような言動に捉えられることもある。

 とりあえず無闇にスキンシップはしないようにと注意していたけれど、言葉も考えて発しないと誤解されかねない。


「あの……昨夜の夕莉はどんな様子でしたか?」


 ふと夕莉のことが気になった。

 昨日はちゃんと話し合って、ひとまずお互いの心配事は晴らせたと、私は思っているのだけど。


 恐る恐る尋ねる私に、杏華さんは表情を僅かに曇らせた。

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