第117話 メイドの休息(2)

 予想していた反応と違う。

 家では元気がなかったということだろうか。


 そんな……だって、話し合ったあとはいつも通りの夕莉に戻っていたし、帰り道で手を繋ぎながら歩いて、別れ際のキスも夕莉からしてくれた。


 まだ悩み事を抱えているような素振りなんて、全然見せなかったのに。


「正直、もはや一介の使用人である私が容易に干渉できるような状態ではないといいますか……お嬢様の心境がある意味取り返しのつかない域まで悪化しているなと……」


 不穏な単語が次々と杏華さんの口から出てくる。

 真剣な表情も相俟って、これが本気なのか冗談で言っているのか判断がつかなかった。


 私が夕莉の内面を見抜けなかっただけで、無意識にまた何か気に障るようなことをしてしまった可能性がある。


 最近はずっと夕莉の機嫌を気にしてばっかりだな……。

 でもそれは、彼女のことを大事にしたいと思っているからに他ならない。


 以前は人間関係に無頓着で、嫌われようが陰口叩かれようが何とも思わなかったから、他人への振る舞いを顧みることもなかった。


 けれど今は違う。

 好きな人を傷付けないための気遣いができるようにならないと、いつ見限られるかもわからない。


 夕莉に嫌われるのだけは絶対にイヤだと思いながら、私と杏華さんのため息がちょうど重なって。


「口を開けば惚気話ばかりで、困っているのです」

「…………はい?」


 再び予想の斜め上をいく発言に、思わず素っ頓狂な声が漏れた。

 今、"惚気話"って言った……?


「昨日奏向さんとお話しされた内容もご丁寧に共有してくださいましたし、繋いでいる時の手が優しくて心地良いだの、電車でうたた寝している時の寝顔が可愛いだの、挙げ句奏向さんがどれだけお嬢様を一途に想ってくださっているかをそれはもう熱く語られて――」

「あの、もういいですっ」

「誤解なさらないでくださいね。私が強引に聞き出しているわけではなく、あの子が自ら話題に出して積極的に伝えてくるんです」

「わかりましたから!」


 聞いてるだけでこっちが恥ずかしくなる!

 ほんとに夕莉がそんなこと話してんの?

 にわかには信じ難いけど……。


 心の準備もなく、全く予期していなかったタイミングで隠し事を暴露されたような気分になって、羞恥のあまり体が急激に熱くなった。


「杏華さんっ、不安にさせるようなテンションで言わないでくださいよ。ヒヤヒヤしたじゃないですか」

「口数の少なかったお嬢様が浮かれすぎて饒舌になるのは、だいぶ重症だと思うのですが……」

「全然重症じゃないです。ちゃんと健全です」


 さも深刻かのような雰囲気だったからドキドキしたのに、構えて損した。

 杏華さんにとっては困ったことでも、私からすれば微笑ましいことこの上ない。


 確かに、笑顔が増えただけじゃなくて、口数が多くなったのは顕著だと思う。

 夕莉が私のことで浮かれてくれるのは嬉しいんだけど、人伝にその事実を伝えられるとかなり照れ臭い……。


 赤くなっているであろう顔を巨大なわたあめで隠していたら、杏華さんが反対側からわたあめをつまみ取った。

 パクリと口に含んで、じっくり甘みを堪能している。


 そういや私、買っておいてまだ一口もわたあめ食べてない……。


「ふわふわで甘いですね」

「でしょうね」

「まるで初々しいお二人の関係みたいです」

「例えでイジるのやめてください」


 冷やかしが日に日にエスカレートしているのは気のせいだろうか。

 実に楽しそうに笑う杏華さんの表情を見ると、気のせいではないのだと思い知らされる。

 今は何よりも、彼女の遊び心の方が厄介かもしれない。


「……杏華さん。もう無闇にからかったりしないでくださいね。ほんとに夕莉に何かあったかと思って、気が気じゃなかったんですから」

「不安にさせてしまったのなら申し訳ありません。お詫びと言ってはなんですが、一つ助言させていただくと――」


 普通だったらイジられると嫌な気分になるのだろうけど、相手が杏華さんだと不思議と不快感はない。

 踏み込んでいい領域の線引きがきちんとできているからだと思う。


 それに、あまり人のことは言えない。

 私もよく夕莉をからかってるし……。


 杏華さんは視線を落として反省の意を示したあと、安心感を覚えるいつもの優しい笑顔を私に向けた。


「お嬢様のことで心配されているようですが、奏向さんが思っている以上にお嬢様は貴女に心酔していますよ。あまり深く思い詰めず、いつも通りの貴女でこれからも接してあげてください」


 ストレートな言い回しに体の火照りが強くなる。


 わたあめをつまみ食いされた上に、せっかく隠していた赤ら顔を呆気なく覗き見された。

 そして杏華さんが堂々と二口目をつまんでいるけど、今はそれどころじゃない。


 お互いの気持ちはわかっているはずなのに、改めて噛み締めると照れ散らかしてしまう。


 きっとこれから先もこの感情には慣れないし、慣れたくない。

 こうやって思い返すたびに、何度でも体の内側が熱くなる感覚を、いつまでも忘れずにいたい。


 最近は夕莉のことを考えすぎて神経質になっていたせいで、細かいことは気にしない本来の性分を失いかけていたから。

 杏華さんの助言で、過剰に不安視する必要はないのだと、少し気が楽になったと思う。


「喉、渇きません? 何か飲み物買いますよ」


 気付いたら、わたあめが半分くらいの大きさになっていた。

 犯人は言うまでもなく、指先についたざらめの欠片をちろっと舐めながら、悪びれる様子もなく微笑みかける杏華さん。


 何というか……行動が自由奔放すぎる。

 縁日での無双といい、オフの時の彼女は結構アクティブなのかな。

 まぁ、巨大すぎて一人で食べ切れるかわからなかったし、むしろ食べてくれてありがたい。


 そういうわけで、話に付き合ってくれたお礼も兼ねて、早めのティータイムに誘うことにした。




 そして、食堂で寛ぐ今に至る。


 杏華さんが縁日で獲得した大量の景品は、かなり移動の負担になるためクロークに預けた。

 荷物の発送サービスもあるらしく、後日宅配便で送られてくるとのこと。


 わたあめを食べたあとにも関わらず、二人で甘いフラッペを味わいながら、またしても夕莉に関する話に花を咲かせていた。


「実は、お嬢様からは来ないでほしいと言われているのですが……招待券をいただいたものですから、こっそり来てしまいました」

「招待券渡しておいて"来ないでほしい"って、どういうことでしょうね」

「厳密に言うと文化祭そのものではなく、お嬢様のクラスには、ですね」


 夕莉が矛盾した行動をとるなんて珍しいと思ったけれど、真意を知って納得する。

 夕莉のクラスの出し物を考えると、そう言いたくなる気持ちはわからないでもない。


 メイド喫茶でお給仕する。

 そんな姿を身内に見られたりしたならば、私だったら恥ずかしさを通り越して悟りを開く。

 文化祭の催し物として披露するメイドは、杏華さんが本職でやっているものとは訳が違うのだから。


「杏華さんには見られたくないんですかね……。私は絶対行くって伝えたらあの子、顔真っ赤にして無言のまましかめっ面してましたけど」

「奏向さんに言われたら、さすがに断りきれないのでしょうね」


 そう、なのかな。

 夕莉には悪いけれど、断られたとしても最初から行く気満々だった。

 だって見たいじゃん。

 メイド服とか絶対可愛いに決まってる。

 むしろ似合わない服装なんてない。


 緩みそうになった表情筋をすかさず引き締める。

 ふと杏華さんを見ると、心なしか残念そうな目をしている……ような気がした。


 杏華さんだって、夕莉が文化祭でどんなことをしているのかを見たくて来たはずだ。


 ここはもう、誘う以外の選択肢はない。


「このあと一緒に行きましょうよ。せっかく来たなら、夕莉のメイド服姿を目に焼き付けておかないともったいないです。それに、杏華さんにはずっと楽しい気持ちのままでいてほしいですから」


 私のお誘いに一瞬だけ驚いたように目を見開いてから、すぐに嬉しそうな笑みを浮かべる。


「相変わらず、奏向さんは優しいですね」


 そう言って視線を落とす彼女は、呟いた。

 かろうじて聞き取れるほどの小さな声で。


「……貴女がまだ、髪を染めていなかった頃からずっと……そのままで」

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