第112話 お忍び巡り(1)
ファッションショーで散々叫び散らした余韻が抜け切らないまま、私たちは中庭のテラス席で気分を落ち着かせていた。
ちなみに、叫んでいたのも興奮していたのも主に木崎さんで、私と雪平は静かに観覧していた。
いつもは雪平との騒動を木崎さんが取り鎮めてくれるのだけど、今回は珍しく逆の立場に。
「まさか生の姿で拝めるなんて……生きててよかったよぉ……」
中庭の模擬店で買った焼きそばやら唐揚げやらチョコバナナをもりもり口に含みながら、木崎さんは大袈裟なことを言っている。
さっきからずっとこの調子だ。
興奮冷めやらぬ状態だと食欲が5割増になるようで、テーブルの上はフードファイターが食べるのかと思うほど大量の食べ物が所狭しと並んでいる。
「木崎さん、Haruの大ファンだったんだ」
「うん、そうなの……朱音ちゃんと二色さんはあんまりモデルさんとか興味ないのかなぁって思って、今まで話題には出さなかったけど……」
「確かに、芸能人とか全然詳しくないや……雪平はそういうの興味なかったっけ?」
「別に、普通」
スムージーのストローを咥えながら、素っ気なく返答される。
そんなあからさまに興味なさそうなテンションで言われても……。
たとえ芸能人に疎くても、Haruに関しては雪平が知らないはずがない。
無関心のように見えるけれど、特段嫌いというわけでもないはず。
普段ほんわかしている木崎さんがせっかくはしゃいでいるんだし、同じ熱量で盛り上がれたらもっと楽しいんだろうけど。
あいにく彼女の昂りについていける人がこの場にはない。
陽生のことなら知っているけれど、"Haru"の顔をしている時の彼女のことは正直よくわからないからな……。
何なら、仕事している姿をちゃんと見たのは今日が初めてではないだろうか。
「……もちろん、ハルの存在は知ってたけど……あの有名人が本当にあいつなんだって、未だに実感が湧かなくて」
「……?」
雪平の意味深な発言に、木崎さんが小首を傾げている。
言いたいことはわかる。
身近だった人が急に雲の上の存在になってしまったら、誰だって多少は戸惑うと思う。
私なんて、陽生とHaruは別人、くらいの認識でいるし。
「実はね、私と雪平はHaruと同じ――」
特に隠す必要はないかと思い、雪平の発言の補足をしようと口を開いた時。
「見つけた」
たくさんの人が行き交う雑踏の中で。
妙に透き通るその声だけが、はっきりと耳に届いた。
咄嗟に振り向こうとする前に、後ろから首に腕を回される。
これまで何度この子に抱きつかれたことか。
顔を見なくても、抱き締め方と匂いでわかる。
「ひな――」
最後まで名前を言い切る前に、口を手で押さえられた。
もごもごと抵抗する私の耳に顔を近付け、息を吹きかけるように艶めかしく囁く。
「だめだよ、カナ。その名前は二人きりの時にだけ呼ばないと」
くすぐったいを通り越して、ゾクゾクと背筋に悪寒が走る。
陽生がわざわざ耳元で話すのは、弱いところを責めて嫌がる私の反応を楽しむ時だ。
反撃されるのを見越して、さらに唇を押し当ててくる。
こういうところが相変わらずあざとい……。
いきなり現れてはクスクスと笑っている人物に、雪平と木崎さんが呆然としていた。
「お前……
「久しぶりだね、ユキちゃん」
どうしてここに、とでも言いたげな雪平に対し、陽生は平然とした口調で返す。
口を押さえている手が緩んだ一瞬の隙に、陽生の腕を引き剥がした。
「もう少しくっつきたかった」とかほざいてきたから、ふざけんなとガンを飛ばす。
肝心の相手は真っ黒いサングラスをかけているせいで、視線の向きが見えない。
絶対目逸らしてるな……。
「えっと……?」
「はじめまして、Haruです」
「ハル、さん……Har…………はぇッ?!」
理解が追いついていない様子の木崎さんに、陽生がすかさず名乗る。
その直後、悲鳴のような甲高い声が響いた。
驚くのは当然だ。
数十分前までステージの上にいたスーパーモデルが、こうして目の前にいるのだから。
いつの間にか私の隣に座っていた陽生が、口の前に人差し指を立てて、声のボリュームを落とすよう促す。
従順な木崎さんは両手で口を押さえて縮こまった。
「……あんた、どうしてここにいんの」
名前は呼んじゃだめとか言うから、適当に呼ぶ。
「会いたかったから」
おそらく誰もが抱いているであろう疑問に対して、陽生は何の躊躇いもなくそう答えた。
誰に、と明確には言わなかったけれど、雪平は陽生の思惑を察しているようで、呆れたようにため息を吐く。
「相変わらずだな……一人でこんな所ふらふらしてたら目立つんじゃねーの?」
「それがサングラスかけてると意外にバレないんだよね。コスプレしてる人とか、わたしより目立ってる人の方が多いってのもあるかも」
陽生の言う通り、文化祭ということもあって校内には奇抜な格好をした生徒がたくさんいる。
ショーの時とは打って変わり、カジュアルで比較的目立たない服装をしている今の陽生なら、案外Haruだと気付かれないのかもしれない。
「あの……二人とはどういうご関係で……?」
しばらくやり取りを静観していた木崎さんが恐る恐る尋ねると、陽生は腕組みをしながらにこりと口角を上げた。
「ユキちゃんとは芸能界に入る前からの友達なんです」
「友達ではない」
「じゃあ、遊び相手?」
「もっと違うッ!」
一応先輩と後輩の仲ではあるものの、まるで上下関係を感じさせない接し方は今も変わらないみたいだ。
年下のくせに陽生が雪平にタメ口をきくのも、馴れ馴れしく話すのも、多分私の影響を受けているからだと思う。
私が雪平をからかっているところを、いつも傍で見ていたから。
何やら戯れ始めた二人に代わり、木崎さんへ説明の続きをする。
「私と雪平が同じ中学だったのは知ってるよね。この子は一つ下の後輩なの」
「なるほど……」
「中学生の頃のユキちゃん、可愛かったんですよ。何かとカナにちょっかい出して。寂しくて構ってほしかったんだよね?」
「なっ!? ち、ちげーし! ちょっかいじゃなくて……あーもうッ! だいたい二色にべったりだったのは皇の方だろ!」
「そうだっけ?」
「とぼけやがって……」
「まぁ、カナがわたしとずっと一緒にいたいって言うから、そのお願いを聞いてただけだよ」
「陽生?」
捏造にも程がある作り話を聞かされ、さすがに割り込まずにはいられなかった。
鬱陶しいくらいにいつでもどこでも私の傍から離れなかったのは、陽生の方だ。
その事実を雪平や木崎さんに勘違いされたら堪ったもんじゃない。
「……違う?」
「違う」
「わたしと一緒にいたくなかった?」
「そうじゃなくて。嘘はつくなって言ってんの」
「怒った……?」
「陽生が撤回しなければ怒ったままかもね」
「それはやだ……ごめんなさい」
「ついでに"寂しくて構ってほしかった"ってのも訂正しろ」
「それは本当でしょ」
「おいッ!!」
さらっと受け流した私に、雪平が即座に食ってかかる。
彼女の場合はただの照れ隠しだから、特にフォローする必要はないとして。
素直に反省したのか、俯く陽生に「もう怒ってないよ」といつもの口調で伝える。
すると、顔を上げて嬉しそうにニカッと笑った。
気分が回復するのはやたら早いんだから。
彼女の表情を想像したら、サングラスをかけているのが惜しいなと思ってしまった。
気を取り直した陽生は木崎さんの方へ向き直り、小声でそっと話しかける。
「会話の中でちょこっと名前が出ちゃいましたけど……わたし、本名は公表してないんです。なので今聞いたことは全部、秘密にしておいてもらえませんか?」
「は……はいっ、絶対、誰にも言いません!」
もげそうなほどブンブンと首を縦に振る木崎さんの決意はきっと固い。
秘密にしてとお願いされて、安易に言いふらすような子ではないから、そこは安心できる。
「茅、そろそろ時間じゃね?」
「あっ、そうだ」
スマホを確認した雪平が、さりげなく木崎さんに声をかける。
がやがやと話していたら、あっという間に解散の時間が来てしまったようだ。
この後、木崎さんは生徒会の仕事で、雪平はクラスの当番で抜けなければならない。
知らないうちに、大量にあったテーブル上の食べ物は綺麗に無くなっていて、空の容器だけが残っていた。
木崎さんが手際よく片付け終えると、緊張した面持ちで陽生に向き直る。
「あの……最後に……あ、あく……握手しても、いいですか……?」
「はい、もちろん」
快く承諾した陽生が手を差し出すと、ゆっくりその手に触れた。
握るというより、本当にただ触れるだけ。
畏れ多いと言いたげにとてつもなく緊張しているのが、木崎さんの表情を見るだけでひしひしと伝わってくる。
ファンの扱いに慣れているのか、ガチガチに固まっている彼女を見ても、陽生は笑みを浮かべたまま全く動じなかった。
「うわぁ……どうしよう……もう一生手洗えない」
「手洗わないと食事できないぞ」
「それは困るっ」
なんだかんだで嬉しそうな木崎さんと、眠そうにあくびをしている雪平を見送り、残された私と陽生はそのままテラス席で一休みする。
さっき雪平と一緒に買った飲みかけのスムージーに手を伸ばそうとしたら、横からぶん取られた。
「ちょっと」
「ん……これおいしい。ナッツ入ってる」
ぐびぐびと飲み進めるあたり、相当喉が渇いていたのか、スムージーの味が気に入ったのか。
どちらにしろ、我が物顔で勝手に人のものに口をつけるのはやめていただきたい。
奪い返そうかと思ったけれど、おいしいおいしいと上機嫌に飲んでいる子から強引に取り上げるのは、さすがに酷な気がした。
諦めて頬杖をついていたら、そういえば、と気になることがふと頭に浮かぶ。
「本名、公表してなかったんだ」
「してないよ。する気もないし」
「なんで?」
「だって、本当の名前は好きな人にだけ呼ばれたいもん。特に下の名前はね」
芸名は"Haru"。
理由は定かではないが、彼女は他人から苗字で呼ばれることを嫌っている。
なぜか雪平は例外らしいけれど。
かと言って、私以外は許せないからと下の名前で呼ばれるのも嫌がるから、だいぶめんどくさい。
以前理由を聞いてみたら、嫌なものは嫌なのと、子どもみたいな返答をされた。
以来、その件はあまり深掘りしないようにしている。
私にも言えないような事情があるのだろうと思って。
芸名を作った背景に、それらが関係しているのかもしれないし。
「カナ、お腹空いた」
許可なく奪い取った人のスムージーを勝手に飲み干した陽生は、性懲りも無く甘えた声で欲望のままを吐き捨てる。
"お腹空いた"じゃないのよ。
小学生かあんたは。
「知るか。ていうかここにいて大丈夫なの? また
「だいじょーぶ。条件付きで1時間だけなら自由行動していいよって言われたから」
「条件?」
「絶対に目立たないこと」
大丈夫かそれ……。
安易に羽目を外して、目立つようなことしそうだけど。
まぁ、別に陽生が条件を破ったところで私には何の関係もないし。
速やかに事務所へ強制送還されるだけだ。
「ねぇー、おなかすいたぁー」
「うっさいな……わかった、わかったから静かにして。これ以上騒いだら真野さんに引き取りに来てもらうから」
「うん、静かにする。てことで、カナの奢りね」
「厚かましいわッ」
絶対陽生の方が稼いでるくせに。
何でここで私がこの子の食べ物を奢ってやらなきゃなんないの。
……と内心愚痴りつつ。
結局私は今、クレープの模擬店に並んでいる。
まったく嘆かわしい。
陽生の頼みを断りきれない自分自身が。
こうやって甘やかすから、あの子はどんどんわがままに……。
険しい顔で注文したせいか、終始相手に怯えられてしまった。
定番のバナナチョコクレープを買って、陽生の待つテラス席へ戻る。
その道中、見知った人の後ろ姿を偶然見かけた。
あまりの嬉しさに思わず名前を呼ぶ。
「夕莉」
咄嗟に振り返った夕莉は、私の姿を視認すると一瞬だけ驚いたように目を見開き、すぐに顔を綻ばせる。
少しだけでもいいから、話したい。
そう思い、彼女の方へ足を向けた時。
「――カナ、どこ行くの?」
引き止めるように、背後から抱き締められた。
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