第111話 Haru
学院に到着し、仕事の都合でそのまま生徒会室へ直行する夕莉に、ギリギリまでついていく。
文化祭期間中に限ってはさすがに部外者が入るのはマズいから、付き添いは部屋の前まで。
「もう大丈夫よ。ありがとう」と苦笑して、扉のドアノブにかけようとした彼女の手を咄嗟に掴む。
「今日はもう帰りまで一緒にいられない?」
「そうね……初日は本部の仕事で手一杯だから」
「どうしても?」
「……そんなに一緒にいたいの?」
「んー……なんか、無性に人肌が恋しいというか」
言葉では上手く説明できないのだけど。
不安、なのかな。
誤解していないと、夕莉は言ってくれた。
けれど、ほんの少しでも不信感を抱かせてしまったことがどうしても気掛かりで。
疑われるようなことは万に一つもないのだと安心させるにはどうすればいいんだろうと、学院に着くまでずっと考えていた。
やっぱり、言葉だけじゃなくて行動でも示すべきだと思う。
でも、何気ない言動でまた不安にさせてしまうのではないかと恐怖心が芽生えてしまって、心が落ち着かない。
「まだ離れたくない」
夕莉の手をにぎにぎする私の様子に異変を感じたのか、困ったように笑いながら、優しく頬を撫でてくれる。
「そんな顔をされたら、甘やかしたくなってしまうわ」
「このまま一緒にいる?」
「残念だけど、今日だけは奏向のお願いを聞いてあげられないの」
「……わかった。じゃあ今のうちに充電しとく」
離れたくないとはいえ、これ以上私の自己満な欲求を無理やり押し通そうとするのは、多忙な夕莉の迷惑になるとわかっているから。
渋々手を離し、夕莉を見送る前に。
するりと彼女の腰に腕を回して、身を預けるように体を抱き締めた。
これから下校までの数時間は夕莉に触れられない分、今のうちに目一杯温もりを感じておこうと思って。
夕莉からほんのりと漂う甘い匂いで気分を落ち着かせているうちに、段々と理性が弱まっていく。
ハグだけで留めておくつもりだったのに。
気付けば、彼女の首筋に唇を押し当てていた。
歯止めが効かず、啄むようなキスを何度も繰り返す。
「奏向っ……くすぐったい……」
身を捩る夕莉に逃げられないよう、抱き締める腕に力を込める。
首筋への口付けを終えて顔を見合わせると、夕莉の頬が紅潮していた。
さっきまで悶々としていたのに、今は驚くほど頭の中が空っぽで。
何も考えず、体が本能に従っている。
しばらく見つめ合ったあと徐々に顔を近付けて、いよいよ唇が触れ合う寸前。
間に割り込んできた手によって口を塞がれた。
「これ以上は……」
恥ずかしそうに顔を逸らす夕莉に、何で? と視線で訴える。
唇へのキスを阻止されたお返しに、塞いでいる手をさりげなく舐めちゃおうかと思ったけれど。
「今は、その気にさせないで……この後もずっと、奏向のことばかり考えてしまいそうになるから」
耳まで真っ赤にして照れる夕莉が可愛すぎて、素直に従うしか選択肢がなくなった。
そもそも迷惑をかけないために、少しだけ抱き締めてからすぐに引き返すはずだったんだ。
暴走しかけた欲望に抗えなかった情けなさに、思わず眉間が力む。
「……ごめん」
俯く私に、ふっと息を吐くように微笑んだ夕莉が、おでこに手を置いてわしゃわしゃと撫でてきた。
飼い主を見送る犬の気持ちってこんな感じなのかなと、前髪を崩されながらふと思う。
「今日はいっぱい楽しんで。羽目を外しすぎない程度にね」
「うん」
惜しみながらも、夕莉の腰に触れていた手をそっと離した。
◇
文化祭は二日間行われ、両日とも一般公開されるため初っ端から混雑が予想される、らしい。
たかだか高校の文化祭で、どこぞの有名なテーマパーク並みに混み合うことなんてないでしょ、と半ば舐め腐った考えをしていた自分を叱りたい。
開場から僅か10分程度で校内に人が溢れているこの状況を見ても、そんなことが言えるのかと。
完全に侮っていた。こんなに人が来るとは。
一般公開とはいえ関係者以外は招待制で、不特定の人が自由に入場できるわけではない。
学院の卒業生、受験志望の中学生とその保護者を除いて。
家族以外に友達や知り合いを大勢招待すれば、ここまで集客できるのだろうけど……それにしても多い。
出入り可能なエリアが限定されているのも原因かもしれない。
メインの本校舎と中庭、そして主に大きなイベントの会場となる講堂と多目的ホール以外の場所へは立ち入り禁止になっているため、必然的にここが一番混雑するのだろう。
廊下にはよくわからないキャラクターの着ぐるみが、宣伝用のプラカードを掲げながら歩き回っているし、お化けやメイドのコスプレをした生徒が、誰彼構わず呼び込みをしている。
校内の装飾は華やかで、各クラスの色がよく表われていた。
誰かのコスプレ姿を見て、ふと夕莉のことが頭に浮かぶ。
明日がめちゃくちゃ楽しみだなと。
初日は忙しくて時間が作れないけれど、二日目は予定が空いているからと、二人で回る約束をした。
そしてもう一つ、夕莉のクラスはメイド喫茶をやるそうで、彼女の出番が明日なのだ。
夕莉のメイド服姿、絶対可愛いだろうな……。
「ねーねー」
あれこれ妄想しながら、ニヤけそうになる顔を何とか真顔に保っている途中で、どこからか声をかけられた。
教室の外で受付をしていた私は、咄嗟に視線を移す。
しかし、なぜか声の主が見当たらない。
空耳かと思い椅子に座り直した時、机の陰から幼稚園児くらいの小さな女の子がひょっこりと顔を出した。
保護者らしき人は側にいないようだ。
……早速迷子が出た?
「おねーちゃん、どこにいるの?」
「"おねーちゃん"?」
誰のことだろう。
わざわざここに来て尋ねたということは、この子のお姉さん? か誰かが私のクラスにいるってことなのかな。
ひとまず椅子から降りてしゃがみ、女の子と目線を合わせる。
「お名前、なんていうの?」
「しいな」
「しいなちゃん。迷子になった?」
「ううん、おねーちゃんにあいにきた」
「そうなんだ。じゃあ、おねーちゃんのお名前、教えてくれるかな。私が呼んできてあげるよ」
「ちがやおねーちゃん!」
"ちがや"……って、木崎さん?
てことはこの子、木崎さんの妹?
そういえば、いつかの雑談の中でチラッと妹がいるって聞いたことがあったような。
にしても、随分年の離れた……こんな子が姉妹だったら可愛いすぎて溺愛しちゃいそう。
頭を撫でたくなる衝動を抑え、口を開きかけたところで、今度は大人の女性が慌てた様子で駆け込んできた。
「
「あ、ママ!」
しいなちゃんが嬉しそうに声を弾ませて、女性に抱きつく。
どうやらこの女性がお母さんみたいだ。
よかった、さすがに女の子一人で来たわけではないようで。
「すみません、娘がご迷惑を……」
「とんでもない。お姉さんに会いに来たって、しっかり伝えてくれましたよ」
「そうでしたか……あの……もしかして、二色さんですか?」
「……? はい、そうですが」
「私、木崎茅の母です。茅がいつもお世話になっております」
「いえいえ、こちらこそ」
深々と頭を下げる木崎さんのお母さんに倣い、私もお辞儀をする。
ほんわかとした雰囲気は木崎さんに似ているけれど、それに加えて大人の女性が醸し出す気品のようなものも感じられた。
しいなちゃんに服の裾を掴まれて、思い切り引っ張られたり、千切れそうな勢いで揺さぶられたりしても、一切動じていない。
「娘がよく雪平さんと二色さんの話をしてくれるんです。素敵なお友達に恵まれたなと……本当に、感謝しています」
「そんな。感謝したいのは私の方ですよ。あ、木崎……茅さんなら、この時間はオカルト研究会の作品展示場所にいると思います」
「ご親切にありがとうございます。では、また後ほどこちらにお伺いしますね。椎那、お姉ちゃんのところ行こっか」
「うん! ばいばーい」
私に向かって大きく手を振るしいなちゃんを、笑顔で見送る。
二人の後ろ姿が見えなくなってから、椅子に腰を下ろした。
あの子、天真爛漫で快活そうな子だったな。
優しいお姉さんやお母さんに囲まれて、伸び伸びと育ったに違いない。
……家族、か。
人様と比べるものじゃないのはわかっているけれど、時々自分の生い立ちに引け目を感じてしまうことがある。
もし、あの時私が愚かな行動をとらなければ、たとえ貧しくても家族全員で笑い合えていた未来があったのかな、と――。
E組の出し物であるトリックアートの館も、SNS映えする写真が撮れるとか何とかでそこそこ賑わっていた。
教室から出てきた人たちから「すごかったね」という声を聞くたびに、嬉しい気持ちになる。
……まぁ、私はウサギしか描いてないけど。
受付の仕事を次の子に交代して、足早に多目的ホールへ向かう。
そこのエントランスで、雪平と木崎さんが先に待っているから。
ホールに到着すると、会場前にもかかわらず人でごった返していた。
定員オーバーで入場できないのだろうか……もっと急いで来ればよかった。
人混みを掻き分けながら二人を探していると、腕を上げて手招きしている木崎さんを見つけた。
「二色さんっ、こっちこっち!」
隣には仏頂面をした雪平がいる。
あれは、人が多すぎて鬱陶しそうにしている時の顔だ。
特に怒っているわけではないから、気にせず無視しとこう。
「ごめん、もう始まっちゃってるよね?」
「全然大丈夫だよ。まだ開演挨拶の途中だから」
「……遅い」
あれ、やっぱ怒ってた。
眉間にシワを寄せて睨んでくる雪平を木崎さんが宥めてから、会場の中に入る。
そこには、普段の多目的ホールとはあまりにかけ離れた雰囲気の空間が広がっていた。
隣の人の顔がようやく見えるほどの薄暗い照明に、ステージから伸びるランウェイ、ステージ中央には映画館のような大型モニターが設置されている。
さながら本格的なライブ会場のようだ。
ホール内は満員どころではない、用意された座席数を大幅に超えて、立ち見の人が後方にうじゃうじゃいる。
「何でこんなに混んでんだよ……客数って毎回こんくらいが普通なんだっけ?」
「ううん、他の部では来場者数が座席数を上回ったりしないんだけど……この部は特別なの」
立ち見席で比較的マシな場所を確保しつつ、雪平がぼそっと漏らした疑問をすかさず木崎さんが拾う。
ちょうど開演挨拶が終わり、今まさにこのホールで始まろうとしているのは、文化祭の目玉イベントであるファッションショーだ。
1回約30分、各日3回開催される。
私たちが来たのは、本日2回目の公演会。
衣装のデザインや製作、ショーの演出など全てを生徒たちだけで手掛けているのだという。
ショーが文化祭で行われるようになった当初は、服飾部だけで小規模に開催していたらしいけれど、段々と評判が広がり、今ではショーの企画から運営までを担当するための委員会が作られているほど大規模になった。
……と、基本的な情報は事前に調べてきたとはいえ、文化祭自体が初めての私にとっては、ファッションショーを見ることも当然初めてで。
どんな演出が見られるのだろうかと内心ワクワクしている。
「特別って、ゲストが来るからだよね」
「そう! 第2部はゲストでモデルの人が来てくれるんだよ。今年はシークレットで誰なのかは明かされてないんだけど、それが余計話題になってて、わたしすっごく楽しみにしてたんだ!」
いつになく木崎さんのテンションが高い。
釣られてこっちまで笑顔になってしまう。
雪平の不機嫌さも収まってきたところで、照明が消えて辺り一帯が真っ暗になった。
しかし暗闇は一瞬だけ。
すぐにステージのライトが眩しく光る。
音楽と映像が流れ、脇からモデルが登場。
ちなみにモデルも生徒がやっているらしく、素人目で見てもなかなかの貫禄で感動する。
立ち見席からだとあんまり見えないんじゃないかと懸念していたけれど、モニターのおかげで案外衣装がよく見えた。
カジュアルからポップ、はたまたユニークなものまで、さまざまな衣装に身を包むモデルがライトを浴びながら続々とランウェイを歩き、歓声や声援が会場を包む。
いよいよ終盤に差し掛かると、ステージが暗転し静寂が訪れる。
まるで嵐の前の静けさだ。
明かりが消えてから一向に再開しない現状に、会場がザワザワし始める。
――が、突然ステージの中央にスポットライトが点灯し、モニターに人の顔が映し出された瞬間、
『――――――!!!!』
耳を
叫ぶ人がいれば飛び跳ねる人もいて、はたまた悲鳴をあげている人もいる。
「
隣を見ると、もはや絶叫にも似た声で頭を抱えている木崎さんがいた。
何だか様子がおかしい。
耳を押さえながら、雪平が顔をしかめる。
「ハル?」
「朱音ちゃん知らない? 今10代の間で絶大な人気を誇るカリスマモデルでSNSのフォロワー数も女性芸能人でトップ10に入るほど多くてCMとか雑誌に引っ張りだこで広告に起用すると商品の売上が5倍も上がるくらい集客力も影響力も好感度も高いあのHaruだよ!!」
いきなり饒舌になったかと思えば、感動したように両手で口元を押さえてひどく興奮している。
こんな木崎さん、見たことない……。
それはそうと……やはり、と言うべきか、先ほどまでの歓声とは比べものにならないくらい会場の熱量が桁違いだ。
まるで次元が違う。
表情も歩き方も魅せ方も。
一瞬にして人の目を釘付けにする魅力が彼女にはある。
華やかな衣装を着こなし、薄茶色の長髪を靡かせながらランウェイを歩くたびに、会場中から黄色い声が飛び交う。
この時ばかりは、他を寄せ付けない彼女の圧倒的な存在感に目を奪われた。
「聞いてない……Haruがゲストなんて聞いてない……」
今にも泣きそうな声でぶつぶつと呟いている。
そりゃシークレットゲストだから聞いてないのは当然でしょうに。
いや、木崎さんは生徒会役員なのに知らなかったのかな。
ということは、あの子がファッションショーのゲストとして出演することはかなり極秘にされていたようだ。
……なるほど。
前に陽生が言っていた"サプライズ"は、このことだったのか。
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