第106話 準備(1)

 二学期の十月は地味に忙しいようだ。

 中旬に文化祭があって、お祭り事が終わった後は余韻に浸る間もなく、中間試験が待ち構えているという容赦のないスケジュール。


 といっても、その忙しさがどれほどのものなのか、実は体感したことがない。

 去年の今頃は例に漏れず、文化祭もテストもサボってアルバイトに勤しんでいたせいで。


 文化祭までの準備の流れとか役割分担とかよくわからずに、気付けば本番までもう一週間を切っていた。

 ちなみに、クラスの出し物は夏休みに入る前に決まっていて、知らぬ間に着々と準備も進んでいる。


 我らがE組の催し物。

 それは、童話に出てくるようなファンタジックな世界観をイメージした、トリックアートの館だ。


 平面なのに立体的に見えたり、角度によって印象が変わったりする絵画で錯覚を楽しむ、体感型美術館みたいなもの。


 文化祭当日は他クラスの出し物を満喫するのに徹したいという大多数の要望により、少ない人数で回せるかつ短い時間で交代できる展示系がいいのでは、という結論になって今に至る。


 クラスは基本的に三年間変わらないため、みんなの結束力はやはり伊達じゃない。


 ただ一人、今年度からこのクラスに入った私にとっては、疎外感を覚えずにはいられなかった。


 何かを頼まれる時はいつも雪平か木崎さんを介していたし、手伝おうとするとなぜか雪平に止められるし。

 教室の隅っこでぼーっとしていても、特に咎められることもない。


 何も手伝えないのにここにいる意味ないよなーと思いながら、今日のホームルームも教室のベランダで時間を潰していた。

 やることがないからといって、勝手にどこかへ行って単独行動するのはさすがに気が引けるから。


 ベランダには、出来上がった作品や装飾物が置いてある。

 学生が作ったとは思えないほどのクオリティーの高さに、正直脱帽した。

 本物の美術館に飾られていてもおかしくないほどだ。


「……あの、二色さん」


 館の入場料がタダなのがもったいない、なんて思っていたら、教室から誰かがこっちにやってきた。


 眼鏡をかけた、おさげの女の子――学級委員長だ。

 一言二言しか話したことがない、それも授業に関する事務連絡だけ。


 委員長は時折視線を逸らしながら、おずおずと私に尋ねてきた。


「エイムズの部屋の設計図、作ってくれたの二色さんだよね?」

「……あー、うん。そうだけど」


 エイムズの部屋。

 覗き穴から部屋を覗くと、何の変哲もない四角い部屋に見えるが、二人の人が決められた位置に立つと全く異なる大きさに見える、遠近法の錯覚を利用した特殊な構造の部屋だ。


 その設計図を、夏休み明けに雪平に作ってほしいと頼まれていた。

 その頃ちょうど夕莉とすれ違っていた時期だったから、憂鬱で頭空っぽになりながら作った記憶がある。


「ごめん、なんか間違ってるところあった?」

「いや、そうじゃなくて! むしろすごくわかりやすくて、予定よりだいぶ早めにパーツが完成したの。みんなも感動してた。だから、そのお礼を伝えたくて」

「お礼って……大袈裟だよ。言われたことやっただけだし。でも、役に立ててよかった。最後の組み立て、楽しみだね」

「うん、本当にありがとう。……それで、今から別の作品の塗装に取り掛かろうと思ってて。もし嫌じゃなかったらでいいんだけど、そっちも手伝ってくれると嬉しいな」


 思わぬお誘いに目を見開く。

 手伝わせてくれないのは、てっきりまだ怖がられているからなのかと思っていたけれど、そうでもないらしい。

 手持ち無沙汰で暇していたから、直接指示を出してくれるのはめちゃくちゃありがたかった。


「全然嫌じゃない。逆にいいの?」

「もちろん! みんなでやった方が絶対いいよ」


 委員長の優しさをしみじみと感じながら、私は笑顔で頷いた。


 彼女の後をついていき、教室の一角に案内される。


 トリックアートの作品は複数あって、数人で分担し制作していく。

 委員長たちの担当する絵は、世界観を演出するための風景画。

 大きなベニヤ板が複数枚用意されていて、すでに下書きされている状態だった。


「完成形の見本があるから、どんな色を使うかはそれを参考にしてね。あとはもうひたすらペンキで塗装していくだけ」


 簡単な説明を受けて、刷毛を渡される。

 「ペンキはここにあるからね」と、他の子からも丁寧に教えてもらった。


 何だか、想像していた対応と違った。

 意外とフレンドリーというか、警戒している様子もない、むしろ歓迎されているような雰囲気だ。


 委員長の他にもいろんな子と他愛のない話をしながら、指示通り風景画を描いていく。

 クラス内での共同作業なんて、中学生以来ではないだろうか。

 ようやくクラスに打ち解けてきたような感じがして嬉しかった。

 そして何より、楽しい。


 見本を見ながら塗装していくこと早二十分。

 ある程度風景が形になってきた。


「こんな感じかな…………ん?」


 一旦委員長に確認してもらおうと思い顔を上げると、周りにいる子たちがみんな、なぜか困ったような表情で私の絵を凝視していた。


 何か失敗したっけ?

 でも下書き通りに描いたし、使う色も間違えていないはず。

 もしかして、あまりに上手すぎて逆に浮いちゃうとか――


「うわ下手っ」

「は?」


 自画自賛できるほどの出来栄えだと思っていたところを、容赦ない批判の声が遮る。

 横から覗き込んできた雪平が、絶望を通り越したこの世の終わりみたいな顔で再び私に吐き捨てた。


「相変わらず下手」

「なんで二回言った?」


 聞き捨てならないな。

 これはもはや批判ではなく挑発、喧嘩を売っている。

 どこをどう見たら下手という感想が出てくるのか、ぜひとも私が納得できるような理由を論理的に説明していただきたい。


「だからこいつには描かせたくなかったのに……」


 反論しようとしたところで、それはそれは大きなため息を吐かれた。


 ……なるほど、私がみんなの手伝いをしようとするのを雪平が頑なに阻止していたのは、私の画力が原因だと……って納得できるか。


「下書きあるんだからそれに沿って描けよ」

「描いたよ」

「沿った結果がこれ? お前には下書きの線が見えてねーのか?」

「心が綺麗な人には本当の線が見えないのかも」

「どんな理屈だよッ!」


 大層ご立腹な様子で、私から強引に刷毛を奪い取る。


「もう刷毛持つな。むしろ画材に近付くな」

「やだ、描きたい」

「なんで? 何でその画力で絵心湧いてくんの? もっと自重しろよ。クラスのためにも」

「はい、私もクラスの一員なんで作品創りに貢献する権利はあると思います」

「じゃあ聞くけど、これ何?」

「森」

「こんな地獄見せたら子どもが泣く」

「失礼すぎる」

「失礼なのは全てを台無しにしたお前の絵」


 さすがにそこまで言われたら、私の絵に問題があるのではないかと認めざるを得ない、のかも……いや、認められない。


 だって、私からしたらちゃんと真面目に描いたものだし、それを否定されて素直に受け入れられるほどの度量は生憎持ち合わせていない。


「とにかく、二色は出来上がった作品の設置だけやってろ。絶っ対に絵は描くな」


 設置って……まだほとんど出番ないんですけど。

 文化祭前日までどうぞサボってくださいってこと?


 そういうわけにはいかないと、刷毛を奪い返そうとして手を伸ばしたら、泣く子も黙るような勢いでガンを飛ばされた。

 ……こりゃ本気で怒ってんな。


 そして、私の大作が雪平のローラーによって無慈悲に塗り潰される。

 私と雪平の口論を見守っていた委員長たちは、何とも言えない苦笑いを浮かべていた。


 ……誰もフォローしてくれないほど酷い絵だったのか。

 どうやら、みんなの感性は私とズレているらしい。


 楽しい時間はあっという間に終わった。

 再びやることがなくなって、仕方なく雪平の言う通り画材から離れる。

 が、どこにいてもそこかしこに散らばっている塗装道具に近付いてしまうため、渋々教室を出ることにした。


 廊下に座り込み、壁にもたれる。

 割と本気でため息が出た。

 今の私は誰の役にも立てないんだなと思って。


 他にできることはないかと考えてみても、文化祭なんて初めてだからどんなものを用意して何を作るべきなのかもわからない。

 いっそみんなの邪魔にならないように、このまま教室にいない方がいいのでは……。


「どうしたの? 二色さん」


 不意に声をかけられて顔を上げると、木崎さんが小首を傾げながら私を覗き込んでいた。

 廊下で作業をしていたようだ。


 雪平の態度が鬼すぎたせいか、優しく話しかけてくれた木崎さんが天使に見える。


「雪平に怒られた。下手って言われた。二回も」

「それは……ちょっと、傷付いちゃうね……。でも大丈夫。トリックアートで絵の上手い下手は重要じゃないよ。見る人の視覚を騙せればいいんだから」

「……そうだよね。てゆーか私、自分の絵には自信持ってるし」

「それなら、やっぱり描かなきゃもったいないよ。二色さんは今年が初めての文化祭なんだよね。せっかくだから、思い出に残るもの少しでも作ろう」


 慰めるような木崎さんの言葉に、少しだけ元気が出る。

 怒鳴り散らす雪平とはまるで大違いだ。


「描いてみる?」

「うん、描く」


 塗装中だった作品の隅っこに、適当な絵を描かせてもらえることになった。

 自由に刷毛を動かす私を、木崎さんは自分の作業を進めながら慈悲深い笑顔で見守っている。


 うるさく口出ししてくる人がいない快適な環境でのびのびと描いた結果、ここ最近で一番の自信作が完成した。

 一仕事終えたような達成感が湧いてくる。


 ふと視線を上げた時、目の前で仁王立ちしながら鬼のような形相で私を見下ろしている雪平と目が合った。時が止まる。


「……おい、二色」

「……何でしょう」

「やってくれたな?」

「やってくれた、とは」

「惚けんなっ! 絵は描くなって言ったよな!? こんなエイリアン描かれたら世界観が崩れる!」

「エイリアンじゃなくてウサギなんだけど。目、大丈夫?」

「こっちのセリフだわッ!!」


 雪平の怒鳴り声に、廊下にいる子たちが何事かと振り向く。

 木崎さんが慌てた様子で仲裁に入ってきた。


「あ、朱音ちゃんっ……あんまり怒らないで……二色さんに描いていいよって言ったのわたしだから」

「まじか……何でみんな二色に描かせようとすんだ……」


 雪平は木崎さんには甘い。

 というより、基本的に私以外には怒らない。

 第三者に止められると、渋々ながら怒りを鎮めてくれるのだ。

 この場に木崎さんがいなければ、またしても私の力作が塗り潰されていたかもしれない。


「わたしは、二色さんの絵…………味があっていいと思うな」

「無理して褒め言葉捻り出さなくていいぞ、茅。こいつの絵は100人見ても全員が白目剥くほどのレベルだし」

「おー、言ってくれるね」

「だから刷毛よこせ。これ以上描かせるわけにはいかねーから」

「だからやだってば」

「てめぇ……」


 怒りで震え出した雪平が私の手から刷毛を奪い取ろうとしたところを、ひょいと避ける。

 素早く彼女の背後に回り、身動きを封じるように後ろからぐっと抱き締めた。

 雪平は必死に抵抗しているが、相変わらずの軟弱な筋力で一ミリも効きやしない。


「ん? 力で勝てると思ってんの?」

「このッ……離せゴリラッ!」

「そんなに暴れたらペンキが服に付いちゃうよー」

「ちょっと……二人とも落ち着いてっ……」


 力では全く敵わない雪平をからかうように戯れていたら、偶然にも廊下の先に夕莉と加賀宮さんがいることに気付く。


 二人がこっちを見ている。

 夕莉の姿を見れたことが嬉しくて咄嗟に手を振ったけれど、なぜか無反応ですぐに去ってしまった。

 ……あれ、確かに目が合ったはずなんだけど。


 気を抜いた一瞬の隙に、拘束から逃れた雪平から呆気なく刷毛を奪われた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る