第6章
第101話 放課後(1)
「――それでは引き続き、各クラス遅れのないように準備を進めてください。今日の会議は以上です」
文化祭まで二週間を切った今日。
一年の中で最も盛り上がるイベントへ向けて、実行委員と生徒会役員の合同進捗会議が行われた。
報告を聞く限りではスケジュールの遅延もトラブルもなく、準備は順調に進んでいるようだ。
文化祭実行委員の進行役が最後に締め括り、会議が終了する。
ざわざわと私的な話し声が大きくなる中、早々に席を立ち教室を出ていく生徒や、個別に相談を続けている生徒もいた。
「楽しみだなぁ、文化祭。今年もたくさんご飯食べなきゃ」
「楽しむのは結構ですけれど、ご自身のすべき仕事もしっかり全うしてくださいな」
生徒会書記として同席していた木崎茅が、ノートパソコンでタイピングしていた手を止めて、気の緩んだ笑みを浮かべる。
彼女の放つ和やかな空気を打ち壊すように、加賀宮詩恩が容赦なく言い放った。
「も、もちろんっ。仕事はちゃんとします。……詩恩ちゃんは楽しみじゃない?」
「生徒会はあくまで運営をサポートする立場ですので。自分が楽しむというよりは周りに楽しんでいただけるよう務め、何よりも文化祭が行われる意義を一人一人が考え学びへと繋げられるよう行動を促すことの方が大切だとわたくしは考えております」
「うぅ……それもそうなんだけど……でもやっぱり、みんなで楽しみたいな。一年に一度のビッグイベントなんだし。それに聖煌の文化祭って豪華だから、普段は見られないユニークな食べ物も売ってたりするでしょ?」
「木崎さん。貴女は口を開けば食事のことばかり。文化祭の出し物は飲食関連だけではありませんの。創作物の展示やオーケストラの演奏会等もあるのですから、この機会にもっと芸術分野の知見も広げるべき――」
一方的に詩恩が力説を始めた二人のやりとりを横目に、夕莉は机の上に並べていた資料をまとめて帰り支度を始めていた。
三十分程度で終わったとはいえ、会議が始まったのは七限目の授業の後。
奏向のクラスは六限までのため、一時間半近く彼女を待たせてしまっている。
スマホを取り出し、急ぎ奏向へ連絡を送ろうとしたタイミングで、ちょうどメッセージ受信の通知が来た。
『今昇降口にいる』
事実を伝えただけの短い一文。
これだけ見れば素っ気なく感じてしまうかもしれないが、奏向の方から先に連絡をくれたということが嬉しかった。
なにも今回が初めてではないけれど。
奏向を付き人として雇い始めた当初は、彼女から発信してくることはほとんどなかった。
一時期、彼女の携帯が電話しか使えないという事情もあって。
スマホに変えてからメッセージのやりとりが可能になっても、事務的な連絡を夕莉から送って、その返事として『わかった』と短く寄越すだけ。
それが徐々に事務連絡だけでなく、ちょっとした雑談もするようになった。
夕莉にとってもただの連絡手段だったメッセージが、最近は奏向からの受信通知を受け取るたび、密かに心踊るものとなっていた。
『あと少しだけ待っていて』
端的に返して、スマホを鞄にしまおうとした時、早くも新しいメッセージが届いた。
すぐさま内容を確認する。
『りょーかい。ねー、このあと寄り道したい』
『不要不急の用事ならいただけないのだけど』
『別に禁止ってわけじゃないでしょ』
『今のあなたは私の付き人だから。勝手な行動を許した覚えはないわ』
『ちょっとだけ。すぐ帰るから! だめ?』
なかなか引き下がる気配のない返しに、暫し黙考する。
学院の校則として寄り道が禁止されているわけでも、付き人として契約違反になる行為に該当するというわけでもない。
ただ、何でもかんでも奏向のわがままを聞き入れてしまったら、主人としての威厳がなくなってしまうと思った。
そして考えた末に、返した一文。
『本当に少しだけなら』
『やった』
つくづく奏向には甘いと思う。
断られてしゅんとした顔を想像したら可哀想になったなんて、からかわれそうで本人には言えない。
感情表現が露骨な彼女のことだから、今頃喜んでいるのだろうと思うと、可愛くて愛しさが込み上げてくる。
『ていうか会議終わった?』
『ちょうど終わったところ』
『じゃあ早く来てー。顔見て話したい』
メッセージの後に、切実そうに懇願する猫のスタンプが送られてきた。
最近になってようやくスタンプの使い方を覚えたらしい。
何でもそつなくこなせると思っていた奏向にも、苦手なことがあるようだ。
美的センスは相変わらずのようで、懇願する猫はお世辞にも可愛いとは言えない絵柄をしている。
何となく、彼女が中学時代の自由研究で描いていた猫に似ている気がして、思わず顔が綻んだ。
「夕莉ちゃん、最近よく笑うようになったね」
唐突に茅から話しかけられ、スマホに釘付けだった意識を咄嗟に彼女へ向ける。
今の顔を誰かに見られたことはもちろん、最近笑顔が増えていると第三者に気付かれていたことが、何だか恥ずかしかった。
その気持ちを誤魔化すように、スッと無表情に戻る。
「…………そうかしら」
「うん。何か嬉しいことでもあったの?」
取り立てて特別な何かがあることが原因ではない。
強いて言うなら、奏向との関係がある意味変わったことだろうか。
そのおかげで、結果的に自分自身も変わった。
少しずつ、昔のように感情を表に出せるようになってきた。
奏向が自分を変えてくれた。
けれど、彼女との事情は二人だけの秘密にしておきたかった。
夕莉は平静を装いながら、いつも通りの態度で返答する。
「別に……何もないわ」
「あれ、素っ気なくなっちゃった」
急に笑みが消えてしまったことに落胆しつつも、さして気にするような素振りは見せなかった。
「それはそうと」と話題を変える茅の目が、何かを期待するかのように輝いている。
「今年はお誘いがたくさん来そ――」
「そのような事態があって堪るものですか」
何気なく口にした茅の発言を、詩恩が食い気味に素早く遮る。
彼女の言わんとしていることを即座に察した詩恩は、厳しかった表情をより一層険しくさせた。
般若の如く恐ろしい顔で威嚇している。
背筋が凍るほどの形相が、ちょうど夕莉には見えておらず、恐怖で震えている茅に構わず問いかける。
「お誘い?」
「えっと……後夜祭のことだよ。ほら、去年いっぱい声かけられてたよね、夕莉ちゃん。特に先輩とか」
そういえば、と去年の後夜祭を思い返す。
次から次へと面識のない生徒に声をかけられ、まともに後夜祭を過ごすことができなかったという記憶だけが残っている。
新手の嫌がらせかとも疑ったが、断られて酷く落ち込んでいた子もいたと後で知り、本気で誘おうとしていたのだと思った。
「去年より雰囲気が柔らかくなったっていうか、こう……もっとお話ししたいなって思うくらい親しみやすさを感じられるようになっ――」
「いい加減にお黙りなさい。その言い方ではまるで夕莉さんが以前はそうではなかったと仰っているようではありませんか。不敬極まりないですわ。今すぐ土下座してお詫びなさい」
今度は強硬手段に出た詩恩が、茅の口を物理的に塞ぐ。
謝れと言われているが、もはや体を拘束されているため身動きがとれずにいる。
詩恩の手で塞がれた口を懸命に動かしているものの、漏れるのはもごもごとくぐもった声だけ。
「夕莉さん、今年も絶っっっ対にどなたからのお誘いも受けてはなりません。特にあの蛮人からはッ! それから木崎さん、戯言を抜かしている暇はありませんわよ。明日までに議事録を提出して宣伝用のSNSも更新、広報班と連携して納品されたパンフレットやポスターの事前配布。これ以外にも貴女の仕事は山積みですの」
「あの……こ、このあと、オカ研の活動があって……」
「言い訳は通用しませんわ。本日オカルト研究会の活動が予定されていないことは咲間先生に確認済みですので」
「そんなぁ……」
「ごめんなさい、先に帰るわね」
「ああ、夕莉さんっ」
騒がしくなってきた状況に内心呆れながら、夕莉は半ば強引にこの場を切り上げた。
彼女が今でも毎日誰と一緒に帰っているのか、その相手を知っているからこそ、悔しくて堪らない。
離れていく夕莉の背中を見つめて、詩恩はそっと拳を握り締めた。
「……わたくしはまだ、認めておりませんから」
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