第102話 放課後(2)

 中庭のベンチで風に当たりながら、特に何をするでもなく時間が過ぎるのを待つ。


 やることがないと言えばそうなんだけど、一人でここにいるわけではないから暇の潰し方はいくらでもあった。

 ただ、肝心のお相手が私の"構って"に応じてくれない。


「はぁ……だる」


 ど真ん中でふんぞり返る私を避けるように、背を向けてベンチの端っこに腰掛けている雪平。


 今は彼女のブレザーの裾をがっちりと掴んで、逃げられないように見張っているところである。


「もう一時間以上経った。離せ。帰らせろ」

「放課後付き合うって言ってくれたじゃん」

「んなこと一言も言ってねぇよ」


 帰りのホームルームが終わったあと、眠そうに欠伸をしていた雪平に「このあと忙しい?」と訊いたら首を捻られた。

 ということは、暇なんだなと。


 拒否しないイコール私に付き合ってもいいのだと解釈し、こうして中庭まで連行してきた次第だ。

 暇潰しの遊び相手になってくれるかなーと思って。


「本気でイヤならちゃんと拒絶しないとね」

「しただろ! お前の力がゴリラすぎんだよ!」


 雪平の腕を掴んでいた私の手を何度も振り払おうとしていたけれど、拒絶と言えるほどの抵抗は感じられず。


 こっちの力が強いというよりは、雪平の力が圧倒的に弱すぎるのだ。

 多分、小学生と同等か、それ以下。

 深刻なレベルで筋力がない。


 あまりに力の差がありすぎて張り合いがなかったけれど、それはそれで楽し――いや、やっぱり心配だな……。


 年甲斐もなく一方的に戯れ合った末、一度も私を振り払えずに結局諦めた雪平がベンチで大人しくなってから、かれこれ一時間は経過している。


 諦めたというよりは、力尽きたようだ。

 さっきから返答する声に覇気がない。

 さすがにそろそろ解放してあげようかな。


「はぁ…………いつまでここにいんだよ」

「会議が終わるまで」

「会議ぃ?」


 怪訝そうに思い切り顔をしかめて、一瞬視線を落としたあと、納得したようにため息を吐いた。


「また会長か」

「うん」

「毎日毎日、忠犬みたいに……。会長と一緒に帰んなきゃいけない理由でもあんの?」


 夕莉の付き人だから、と言いかけた言葉を飲み込む。


 学校にいる間は契約上あくまで主従関係ではあるものの、付き人のルールが撤廃されたこともあり、もはやその縛りはないに等しい。


 雪平なら、私と夕莉の事情を正直に話しても他言はしないだろうけれど、特殊な関係性を私の独断で打ち明けてもいいものなのか……。


 考えた結果、当たり障りのない返答で適当に誤魔化しておくことにした。


「んー……日課、というか、暗黙の了解みたいな。夕莉にも"待ってろ"って言われてる」

「つまり、パシリとして飼い慣らされてるってことか」

「そう、それだ」

「……マジで?」


 適当に言った勘が偶然にも当たって驚いている。

 そんな表情で雪平は目を丸くしていた。


 パシリ――何でこの言い訳が思いつかなかったんだろう。

 本当の主従関係であることを伏せつつ、傍から見れば夕莉の言いなりになっている状態を違和感なく第三者に納得させられる、ピッタリの表現ではないか。


「パシリのわりに、会長といるとき上機嫌だよな」

「そりゃあ、一緒にいて楽しいし」

「え、お前Mだった?」

「どちらかというと攻めたい方ではある」

「…………」

「そんな心の底から蔑むような目で見ないで」


 これじゃあまるで私が変態みたいでしょ。

 いや、だいぶ危ない発言をポロッと漏らした私に非があるのは明白だけども。


 でも確かに、夕莉からの命令を何の反抗もなくすんなり聞き入れている節があることは自覚している。


 主人だからというのはもちろんだけれど、それ以上に好きな子の言うことには従いたくなるし、お願いだって何でも叶えてあげたくなってしまう。

 夕莉の喜ぶ顔を見るためなら、きっとどんなことでも聞いてしまうんだろうな。


「……噂は本当なのか」

「なに、今度は何の噂よ」


 神妙な面持ちで呟く雪平のブレザーの裾をゆらゆらする。

 離せと言わんばかりに、鬱陶しそうに身を捩る彼女にはお構いなく。


 まーた噂話だ。

 次から次へと新しいゴシップが流れてくるのに、なぜ私の耳には全く届かないのか。当事者だからか?

 ……まぁ、学校での交友関係が著しく狭いのが原因であることは、何となく予想できるけれど。


「二色と会長が付き合ってるって」

「……はい?」


 どんなくだらない噂なのかとすでに呆れる準備をしていたら、かなり核心に触れるような内容で、思わず素っ頓狂な声が出る。


 うん……なる、ほど……?

 周りにはそういう風に見られている、と。

 であれば、もしかしたらパシリよりも付き合っていると言った方が、より自然だったかもしれない。


 以前、私たちの関係は何なのかと加賀宮さんに詰問されたとき、咄嗟に夕莉が"付き合っている"と答えた。

 あの時は当然、その場凌ぎに出た嘘だったけれど、今なら堂々と公言できる……いや、待てよ。


 よくよく考えてみれば、お互いのことが"好き"だと伝え合ったけれど、"付き合ってほしい"とはどちらからも言っていない。

 一緒にいるのが当たり前だし、これからもずっと夕莉の傍にいることは変わらない。


 ただ、正式にお付き合いしていると胸を張って公言してもいい状態なのか、僅かでも疑問を抱いてしまった。


「おーい、もう帰るからな」


 気付かないうちに、雪平のブレザーから手を離していたようで。

 自由になれた喜びで心なしか声に活気が戻った雪平が、一言だけ残して一目散に帰っていった。


 スマホで時間を確認する。

 七限目の授業が終わってから、およそ三十分が経った。


 会議は長くても一時間程度で終わると聞いている。

 頃合いだと思い、昇降口で待つことにした。

 ほんの少しだけ、モヤモヤとしたわだかまりを抱えながら。


『今昇降口にいる』



   ◇



 夕莉が昇降口にやってきたのは、メッセージを送ってからそう時間も経たっていない頃だった。


 今までずっと"昇降口"と呼んではいるが、うちの学校は土足なので下駄箱はなく、校舎に入ってすぐの空間はバカでかいエントランスホールのようになっている。


 どこぞのお城を彷彿とさせる西洋感漂う内装で、中央には吹き抜けの大階段があり、下りてくる人の顔がよく見える。


 その大階段近くの、これまた大きな柱に寄り掛かりながら待っていたら、柱の陰からひょっこりと人が現れた。夕莉だ。

 私を見つけた彼女は安堵したような表情を浮かべると、すぐに申し訳なさそうに目を伏せた。


「待たせてごめんなさい」

「全然。それより、お疲れさま」


 労いの言葉をかけると、嬉しそうに小さく微笑んだ。

 可愛くてつい抱き締めたい衝動に駆られるけれど、グッと堪える。

 ここでハグをするのはさすがに大胆だよなと。


「寄りたいところってどこ?」

「行き先は特に決まってないんだよね」

「……?」


 言い出しっぺが何を言ってんだと、わかりやすく顔に書いてある。


 不思議そうに首を傾げるのも無理はない。

 寄り道したいと申し出たのは、完全にその場の思いつきだから。


 夕莉と少しでも長く一緒に居られれば、行き先はどこでもよかった。

 これは寄り道が目的なのではなく、試してみたいことがあっての提案だ。


 学校を出る前に、まずは無言で手を差し出してみる。

 視線を移した夕莉がチラッと私を見ると、恥ずかしそうに目を細めた。


 何せ、校内の人目のある場所で手を繋ぎたいと要求するのは初めて。

 二人きりでいる時ならいくらでも仲睦まじくできるけれど、果たして人前だとどこまで許されるのか。


 迷っているようで、頬を僅かに染めながらもなかなか手を繋いでくれそうな気配はない。

 ……うーん。やっぱり人前はダメか。


 諦めて引っ込めようとしたとき、夕莉がそっと手を重ねてきた。

 期待半分だったから、喜びのあまり笑みがこぼれる。


「どうしたの?」


 照れながら苦笑する夕莉が、私の顔を覗き込む。

 目の前の小さな幸福に気を取られて、次にとるべき行動が頭から抜け落ちていた。

 無理やり意識を切り替え、緩みきった表情を何とか引き締める。


「……夕莉。すっごい唐突な質問なんだけど」


 何となく、気分が落ち着かなくて。

 繋いでいる夕莉の手をにぎにぎしながら、目を合わせては視線を逸らすという行為を繰り返す。

 そんな私を、夕莉は急かすことなくただ黙って見つめていた。


 そこまで大した質問でもないのだから、変に待たせるのも申し訳ない。

 意を決して、一番聞きたかったことを問いかけた。


「私たちって――付き合ってる?」


 一瞬、時が止まった。


 きょとんとした顔のまま、夕莉が固まっている。

 自分でも何を聞いてんだと思う。

 それでも、気になってしまった以上有耶無耶のままにはしたくなくて。


 前までは、傍に居られるのならどんな関係でもいいと思っていた。

 けれど、欲が出てしまったのだろうか。

 夕莉の口から、はっきり証言が欲しい。


「どうして今さらそんなことを聞くのかわからないけれど――」


 唖然としていた夕莉が、ふと真面目な顔つきになる。

 握っている手を僅かに解くと、指を絡ませてゆっくりと握り直した。


「奏向は、どう思う?」


 そのまま、私の手を自分の口元まで持っていく。

 生暖かい吐息が手の甲を撫でた直後、ふわっと柔らかいものが触れた。

 それが彼女の唇だということは見なくてもわかる。


 優しい口付けのあとも、唇の先が手の甲を擦るように触れてくるせいで、むず痒いようなくすぐったさを覚える。


「お互いの好意を確かめ合って、ずっと傍にいると誓ってくれて、興奮するほど刺激的なキスをして。奏向にならこんなこともできるのに――それでも付き合っていないのだとしたら、私たちの関係は一体どんな言葉で言い表せるのかしら」


 上目遣いでありながら、射抜くような強さのある夕莉の眼差しは、どこか妖艶だった。

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