第99話 二人だけの時間
「二色さんっ……お昼ご飯、一緒に食べよ」
四限目の授業が終わり、お昼休みに突入して教室内が喧騒に包まれる。
教科書や筆記用具を適当に片付けて席を立とうとした時、木崎さんが特大のお弁当箱を持って私のもとへやって来た。
彼女の背後からは仏頂面の雪平が顔を覗かせている。
お昼ご飯を三人で食べる時は、いつもこうして木崎さんが誘ってくれるのだけど、今日はどこか様子がおかしい。
相手の顔色を窺うような眼差しで、出会ったばかりの頃を彷彿とさせる挙動不審な動きをしていた。
友達になって随分経つのに、いつの間に関係がリセットされたんだろう……なんて冗談はさておき。
彼女がこんな態度をとる理由はよくわからないまま、せっかくのお誘いを断らないといけないことに少し罪悪感を覚えつつ、ひとまず返答する。
「ごめん、今日は先約があって」
「……もしかして、夕莉ちゃん?」
「うん」
断られたにもかかわらず、木崎さんの表情がぱっと明るくなった。
ますます意味がわからなくなって小首を傾げていたら、今度は安心したように深く息を吐いた。
「良かった……仲直りできたんだね」
「仲直り?」
喧嘩するほどのことはしていない。
というか、確かに最近まで夕莉とはぎこちなかったけれど、そのことは誰にも話していないのに。
「夕莉ちゃん、この前生徒会で集まった時、珍しく上の空だったっていうか……偶々二色さんの話題を出したら、すごく悲しそうな顔してたから」
「それにお前、感情とかモロ顔に出るじゃん。先週まで落ち込んでたくせに、今は……ていうか、今日は朝からずっとわかりやすく浮かれた顔してる。……キモいくらいに」
「え?」
雪平に指摘され、慌てて口元を隠すように押さえる。
全く自覚がなかった。
朝からということは、まさか授業中もニヤけてた……?
客観的に見てもそれはさすがに引くし、そんなはずはないと思いたい。
けれど、隣の席の雪平が証言しているのなら、本当なんだと思う。
キモいと言われるほど顔面が崩れてしまうのは、間違いなく昨日の出来事が原因であって。
いろんな感情が蘇って、余計に口角が吊り上がってしまう。
わかってる。
自分でもドン引きするくらい、朝からどころか昨夜から舞い上がっていると。
すれ違っていた状態が元通りになったのだから、仲直り、になるのかな。
それ以上に、関係が進展したと言っても過言ではない。
「だからね、もしかしたら夕莉ちゃんと何かあって、それが解決したのかなって思ったんだ」
「うん。まぁ、そうだね。この通り今は大丈夫だよ。むしろ仲が深まった、みたいな」
「はいはい、じゃあもうさっさと行け」
「なんか扱いが雑なんですけど」
「お前の惚気なんて聞きたくねんだよ」
「あれ。この前私のこと心配してくれた優しい雪平はどこに行ったのかなー」
「だから心配してねーわッ!」
明らかに図星を指されて、必死に誤魔化そうとしている狼狽ぶりを見せられても、毎度のことながら説得力はない。
そこに追い討ちをかけるように、悪気を一切感じさせない純粋な眼差しで、木崎さんが付け加えた。
「朱音ちゃん、顔には出さないけど、心の中では気にしてたと思うよ。じゃなきゃ、毎日二色さんのこと観察したりしないもん」
「茅ッ!? その言い方は語弊が……いや、そもそも観察なんてしてねーし! 席が隣だと嫌でも視界に入るんだよッ」
「え、雪平私のこと好きじゃん」
「うるせー!! 吐き気がするほど嫌いだっつのッ!」
……そっか、気付かなかったな。
完全に自分だけの問題だと思っていたから、雪平や木崎さんが密かに心配してくれていたとも知らずに、ずっと一人で落ち込んでいた。
ただ、事の発端となった問題が雇用関係然々だったこともあり、第三者に相談できる内容ではなかった。
何の兆候もなく、いきなり暗然とした態度を見せてしまったことは申し訳なく思う。
「いっつも澄ました顔でちょっかい出してくる能天気バカが、柄にもなく重苦しい空気出してくんのがうざかっただけ! ……これ以上お前に用はねぇから。行くぞ、茅」
勢い任せに吐き捨てて、背を向けてしまった。
木崎さんがおどおどと右往左往したあと、私に手を振って雪平を追う。
一生懸命言い訳していたけれど。
あの子が素直じゃないことも、様子がおかしかった私に声をかけてくれたことも、知っているから。
教室を出て行こうとする二人を、一瞬だけ呼び止める。
「明日は一緒に食べよう」
「……! うん!」
振り返った木崎さんが嬉しそうに頷いて。
雪平にはガン無視された。
夕莉に呼び出された場所は、食堂でもお馴染みの図書室でもなく、本校舎の屋上だった。
風通しも見晴らしも良い絶好の休憩場所にもかかわらず、ほとんど人が来ない穴場。
お昼休みの食堂は言わずもがな混み合っているし、図書室は調べ物をする生徒がちらほらいる。
誰にも見られず邪魔されず、二人きりでゆっくりできる場所、それが屋上なのだ。
夕莉の都合で呼び出されるのはいつものことだけど、今日は手ぶらで来いと言われた。
お昼ご飯も持ってくるな、とも。
食事をすることも許されないほど大事な話でもするのか、なんて考えて、ふとある可能性が浮かぶ。
もしそうだったら…………あまり期待するのはやめよう。
これ以上浮かれたら、いよいよ変態の域に片足を突っ込んでしまう。
妄想もほどほどに、ご機嫌なテンションで廊下を走らない程度に足早に歩く。
ようやく屋上前まで辿り着き、外へと繋がるドアを開け放った。
辺りをざっと見渡すと、すぐさま見慣れた姿が目に入る。
「お待たせ」
ベンチの背もたれに寄り掛かることなく、背筋を伸ばして綺麗な姿勢で待っていた夕莉に声をかける。
振り向いた彼女は私を見て嬉しそうに目を細めると、少しだけ呆れたように苦笑した。
「普通、私より先に来るものだと思うけれど」
「ごめん、怒った?」
学校にいる間、私たちは契約上主従という関係性にある。
とはいえ、夕莉に対して本当の主人のように恭しく接したことはない。
もちろん、命令なら素直に聞き入れるし、それが実現できるように最善を尽くすが。
普段は基本的にマイペースでやらせてもらっているけれど、そのスタイルを咎められたこともなかった。
今だって、特に責める様子はない。
むしろ私の言葉を否定するように首を横に振って、ほんのり頬を赤らめていた。
恥ずかしそうに、それでもどこか喜びを隠し切れない表情で、柔らかく微笑む。
「早く来ないかなって、楽しみにしてた」
笑顔でこんなことを言われて、悶えない方がおかしい。
私が来るまで大人しく待っている様子を想像したら、可愛すぎてため息が止まらなくなりそう。
……だめだめ。
学校では周りに気付かれるほどのだらしない顔はしないと決めたんだから。
気を取り直して、夕莉の隣に腰掛ける。
「それで、何すんの? 言いつけ通り、お昼ご飯は持ってきてないけど」
彼女の雰囲気を見ると、深刻な話を切り出してきそうな気配は感じられない。
「これからしばらくは文化祭の準備で忙しくなるから。今のうちに、二人の時間を過ごしておきたいと思って……」
文化祭、か。
そういえば一ヶ月を切っている。
生徒会役員もいろいろやらなきゃいけないことがあるのかな。
確かに、そうなるとお昼休みや放課後も会える機会は減るかもしれない。
少しだけ寂しくなっていたら、夕莉が何かを持っていることに気付く。
差し出されたのは、パステル色のおしゃれな箱――お弁当箱だった。
「これ……奏向に食べてもらいたくて、お弁当を作ってみたのだけど……」
「ほんとに!?」
「そんなに驚くこと?」
「だって、夕莉の手作り弁当が食べられるかもって密かに期待してたから。すっごい嬉しい」
「……随分核心を突いた予想ができたわね」
やばい。夢じゃないよね?
まさか、さっきまで考えていたことが現実になるとは。
夕莉から受け取ったお弁当を、守るように背後へ隠す。
「今さら"返して"って言われても、絶対に返さないよ?」
「そんなこと言わないから、安心して」
「……食べてもいい?」
「待って」
こっそり蓋を開けようとする私を、夕莉が容赦なく制止する。
「ご飯の前に、話しておきたいことがあるの」
そう言いながら、彼女が横に置いてある鞄から取り出したのは、付き人のルールが記載された雇用契約書だった。
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