第98話 恩返し(3)
※性的な表現が含まれます。
苦手な方はご注意ください。
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待って……やっぱそういう流れ……!? 実はまだ心の準備が……とか何とか内心慌てふためいている間に、夕莉の唇が私のものと重なった。
心臓が一際大きく脈動する。
緊張しているはずなのに、高揚する気持ちとは裏腹に体は不思議と落ち着いている……というか、あまりの衝撃で硬直しているだけかもしれない。
額にされた感触とは比べ物にならないほど、唇から伝わる彼女のそれは、とにかく柔らかくてふわふわしていて――。
肌が吸い付いて唇の弾力が優しく押し合う。
考えることを全て放棄したくなるほどの恍惚感に支配される。
キスってこんなに気持ちよかったっけ……。
目を見開いたのは一瞬だけ。
強張った体もすぐに解れて、肩の力が少しずつ抜けていった。
夕莉の体温を受け入れるように、そっとまぶたを閉じる。
視界が塞がるとより一層感覚が研ぎ澄まされて、自分の鼓動の音さえ聞こえてきそうだった。
体中が満たされていく心地良さに身を委ねる。
この甘美な一時をいつまでも味わっていたい。
そう思ったのも束の間、口先に触れていた熱はゆっくりと離れていった。
途端、ぼんやりしていた意識が呼び戻され、口寂しくなるような激しい物足りなさに襲われる。
長い間唇を重ね合わせていた気もするけれど、実際に経過したのはおそらくたった数秒。
心が充分満たされていく前に、無情にもお預けを食らったような気分だ。
無意識のうちに、夕莉を見上げながら縋る思いで彼女の腕を掴む。
視線だけで私の内心を察したのか、夕莉は笑みをこぼして優しく問いかけた。
「……もっと、する?」
甘やかすような口調で言われ、無性に羞恥心が込み上げてくる。
もっと、したい。
そう渇望させるような誘惑の仕方が、本当にあざといというか……。
胸の内を見透かされるほど自分の欲望がダダ漏れしてしまったのもそうだし、明らかに彼女の手のひらで転がされている状況が、とんでもなく恥ずかしく思えた。
正直に"欲しい"と言いたいけれど、なぜだか上手く言葉に出せない。
さっきまで"好き"とか"可愛い"とか、思いのまま口にしていたくせに。
心拍数だけが怖いほど上がって、急激に体中が熱くなる。
火照った顔を見られたくなくて、つい俯いてしまう。
それでも、私の手は夕莉の腕をしっかり離さないでいた。
「奏向、顔上げて」
……と言われても。
今は素直に従えない。
いつまでも下を向いていることに我慢ならなくなったのか、顔を覗き込んできた夕莉は、私の頬を両手で包み込んで優しく持ち上げた。
否応なしに見上げる体勢になり、夕莉と真正面から視線が交わる。
するか、しないか。
その選択を私に委ねているわりには、彼女から"したい"という意思がありありと伝わってくる。
恥ずかしさで目を合わせることすら難しいのに、熱っぽい眼差しまで向けられたら、いよいよ理性が壊れてしまう。
「まだ、その気にはなれない?」
「ちが…………なんか、怖くて」
「怖い?」
「これ以上進んだら……抑えられなくなる、かも……」
「抑えなくていい」
そっと言い聞かせるように囁いて、再び顔を近付けてきた夕莉の口が、今度は私の頬に落とされる。
表面に軽く触れた後すぐに離れては、また押しつけて。
啄むようにするキスの場所が、少しずつ唇へと迫っていく。
しかし、絶妙に位置をずらして、本命の場所へはなかなかしてくれない。
わざと外しているのだろう。
口角の際どい箇所ばかりを何度も攻められる。
――焦ったい。
体のあちこちがムズムズする。
彼女の柔らかいものが当たるだけでも、確かに気持ちよさは感じる。
けれど、足りない。
さっき味わった快感とは程遠い。気持ちだけが昂って、体は全然満足できていない。
今すぐ、したい。
「――したくなった?」
心の中を見透かしたように、夕莉が意地悪く微笑んだ、その瞬間。
私の中で、枷が外れた。
彼女の言った、"貪欲になってほしい"という言葉。
その意味を反芻する。
これまで自分から触れないように自制していたけれど、私の好意を彼女が受け入れてくれた今、もう抑える必要がなくなったんだ。
頭の中が肉情で埋め尽くされる。
弾かれたように夕莉の頭に手を回し、引き寄せて。
本能のまま彼女の唇を奪った。
貪るように深く。
味わうようにじっくりと。
隙間を埋めるように塞いで。
抑制の効かなくなった色欲を、彼女は全て受け止めてくれる。
前屈みになっていた夕莉が、体勢を変えて私の膝上に跨った。
その間も、口付けは交わしたまま。
一秒たりとも離したくなくて、彼女の後頭部を押さえる。
その行動に応えるように、首に腕を回して体を密着させてきた。
解放された欲望は止まらない。
押し当てるだけだった口唇を動かして、下唇を挟んだり甘噛みしたり、時折ゆっくりと左右に擦りながら、いろんな刺激を与えていく。
顔の角度を変えては、さらに深く重ね合わせられる場所を探して、一心不乱に貪り食う。
気持ちいい。
そんな言葉だけでは言い表せないほどの喜びが絶え間なく押し寄せて、心も体も快楽の沼に沈められる。
お互いがお互いを激しく求め合うようなキスを続けるうちに、余裕のない吐息が漏れ聞こえてきた。
「……ふ、んっ…………はぁ」
うっすらと目を開けると、上気した顔で喘ぐ夕莉が苦しそうに眉根を寄せていた。
我に返って咄嗟に唇を離そうとしたけれど、彼女の両手に顔を挟まれる。
まるで、離れることを拒むように。
動揺して僅かに口を開けてしまった瞬間、何かがぬるりと口内に侵入してきた。
「……っ!」
舌先にそれが触れて、驚きに思わず舌を引っ込める。
それでも、逃げ場のない口内ではすぐに追いつかれ、容赦なく絡め取られた。
ざらざらとした粘膜同士がねっとりと密着し、感じたことのない新しい感覚に全身が震える。
唇へのキス以上に情熱的で、官能的で、頭が真っ白になりそうなほど蕩けてしまう。
上体が徐々に傾き、押し倒されるようにソファーの背もたれに身を預けた。
夕莉が上から覆い被さって、自由に身動きが取れなくなる。
しかし、そんなことはどうでもよかった。
されるがままの状態をすんなり受け入れるくらいには、すっかり彼女との口付けに夢中になっていたから。
息遣いが荒くなることも厭わず、夕莉の舌が口腔をじっくり舐め回していく。
歯列を丁寧になぞるその動きは、意思を持った蠢く生き物のようだ。
口内を犯される感覚にも慣れきた頃、唾液が溜まっていることにようやく気付く。
舌が絡み合いながらお互いの中を行き来しているため、クチュクチュといやらしい音が響いて、より一層興奮を煽られる。
さらに夕莉の唾液が流れてきて、彼女の味が口の中に広がっていく。
味覚すらも刺激されて、いよいよ五感の全てが快楽で麻痺しそうになる。
理性が狂いそうなほど、気持ちいい。
もうそれしか考えられない。
口腔に溜まった、もはや誰のものかもわからない唾液を、我慢できずに飲み込んだ直後。
夕莉が名残り惜しそうに私から離れた。
口から微かに細い糸が引く。
乱れる呼吸を整えるように、大きく肩を上下させながら、うっとりと蕩けた眼差しで私を見つめる。
濃厚な口付けを長時間交わしていたにもかかわらず、彼女の煽情的な姿を見ると、まだしたいと思ってしまう。
知ってしまったんだ。
想いの通じ合ったキスが、こんなにも心を満たしてくれる行為だということを。
今でさえ興奮で体中が疼いているのに、もしこれ以上のことをしたら、どうなってしまうのだろうか。
――味わってみたい。
もっと、夕莉の乱れる顔が見たい。
快感に喘ぐ声が聞きたい。
彼女の腰に腕を回し、ぎゅっと抱き締める。
私の膝上に跨っているため、顔を埋める場所がちょうど胸辺りになった。
全身で彼女の体温を感じる。
服越しでも、心臓の脈打つ音が聞こえる。
私と同じか、それ以上に激しく高鳴っている音が、今どれだけ興奮しているかを如実に表していた。
夕莉を僅かに持ち上げて、ソファーに押し倒す。
何かを期待するように瞳を潤ませて私を見る表情が酷く妖艶で、堪らなく唆られる。
頭をそっと撫でたあと、手を重ねて指を絡ませた。
「……ここから先はもう、止められないよ」
後戻りできなくなる前の最終確認。
それは結局形だけで、ここまで来た以上止めるつもりは毛頭ない。
欲している。
快感の先にある境地でしか味わえない刺激を。
夕莉は恍惚とした目を向けたまま、全てを受け入れる覚悟を示すように頷いた。
「――奏向の全てが、欲しい」
その一言が引き金になって。
彼女の首筋に躊躇なくかぶりつこうとした時。
部屋のドアがノックされた。
あと少しで首筋に唇が触れる寸前、ピタリと体が硬直する。
欲情による動悸とはまた違った緊張感が、一気に体中を駆け巡った。
こちらの焦りなど当然知るはずもなく、ドアの向こうから朗らかな声がかかる。
「お嬢様、奏向さん。夕食ができ上がりましたよ」
食事の用意を終えた杏華さんが、私たちを呼びに来てくれた。
もうそんな時間……?
夕莉の部屋に入ってから、どれくらい経ったんだろう。
夢中になりすぎて、この後食事があることをすっかり忘れていた。
間違いなくキスから先へ進む雰囲気だった中、突然現実に引き戻され、二人して動けなくなる。
「お嬢様?」
「…………今行くわ」
夕莉がぶっきらぼうに返事をした。
行為を中断され、いかにもやりきれないといった様子で不満げに顔をしかめる彼女が、何だか可哀想というか……とにかく可愛くて。
気休め程度にしかならないけれど、最後におでこに軽くキスを落とした。
指を絡める彼女の手が、ピクリと反応する。
物欲しそうな目で訴えてきても、さすがにこの状況だと続けられそうにない。
「……続きは……また、今度で」
「…………」
お預けされて、駄々を捏ねる寸前の子どものように赤面しながら口を引き結ぶ夕莉に、思わず苦笑してしまった。
ちなみに、この後の夕飯はしっかり美味しく頂いたんだけど……余韻が残りまくって、頬が紅潮するのを抑えるのに必死だった。
後になって途端に恥ずかしくなり、食事中私も夕莉もまともに目を合わせられなかったことは、多分杏華さんにバレていたと思う。
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