第87話 付き人(1)

「あの……神坂さん。ずっと前から、かわいいなって思ってました。……好きです! 俺と付き合ってください!」


 中学生になってまだ一ヵ月も経たないうちに、このような言い回しの告白をすでに十数回は受けた。


 放課後に突然呼び出されて、"付き合ってほしい"と懇願される。


 小学校から見たことのある顔見知りの生徒もいれば、全く知らない初対面の生徒まで。

 時には同級生だけではなく先輩から、はたまた女子からも告白された。


 告白自体は小学生の頃にいくらか経験していたが、中学に上がってから口説かれる回数が著しく増えた。


 好意を寄せられるのは素直に嬉しいし、悪い気はしない。

 けれど、彼らはちゃんと内面も知った上で好きになってくれたのだろうかと、疑問に思ってしまう。


 中学生になっても、周りからの対応は変わらなかった。


 傍から見れば、たくさんの友達に囲まれた人気者のように映るかもしれない。

 しかし、彼らは夕莉と対等な立場にない。

 顔色をうかがいながら媚びへつらうか、一歩離れた位置から羨望と憧憬の眼差しを向けてくるだけ。


 容姿端麗で文武両道、八方美人なお金持ちのお嬢様。

 そんな目に見えるものや肩書きにしか、彼らは関心がないのではないか。

 そう思うと、素直に好意を受け取ることができない。


 何より、夕莉にとっては理解ができない感情だった。

 好きでもない相手と付き合うなんてあり得ないし、誰かを想って心がときめくという感覚もわからない。

 そもそも色恋に興味がない。


 だから、幾度となく受けてきた告白を承諾したことは一度たりともなかった。


 言い寄られては断ってを繰り返しても、また別の生徒からアプローチされる。


 さらに校内だけならまだしも、休日、街中でも知らない人に声をかけられるようになった。

 適当に無視して撒いていたが、時々しつこく付き纏う人がいて恐怖を感じることもあった。


「付き人を雇われるのはいかがでしょうか」

「付き人?」


 そんな時、杏華が思い切った提案をしてきた。

 悩み事を相談していたせいか、ここ最近の心配ぶりが顕著に現れているようだ。


「はい。主に身辺警護などをしていただこうかと」

「警護って……少し大袈裟じゃない?」

「でしたら、カモフラージュのために恋人を作るというのは」

「それは嫌。どうして本意じゃないのにわざわざ好きでもない誰かと煩わしい関係を結ばないといけないの」

「……お嬢様のことですから、そう仰ると思いました」


 最初からわかっていたとでも言いたげに、杏華は小さくため息を吐きながら苦笑した。


「登下校時の送迎や外出時の付き添いをしてくださる方が必要だと思います」

「それくらいなら、今いるドライバーだけで事足りるでしょ。付き添いは杏華がいるから必要ないわ」


 見守ってくれるのは心強い。

 けれど、信頼に足るかもわからない大人を傍に置くのが少し躊躇われた。


 車での送迎だけならほとんど会話をすることもないが、護衛となるとどこまで私生活に干渉されるかわからない。


「送迎だけでは心許ないので。お嬢様の身に何かが起こってしまってからでは遅いのです。最悪、ストーカー被害や事件に巻き込まれないとも限りません。それに私も、四六時中貴女のお側にいられるわけではありませんから」

「…………」


 真剣な杏華の説得に、夕莉は押し黙る。


 身の危険を感じるとまではいかないが、厄介な人に絡まれる可能性はなきにしもあらず。

 それにここ最近、妙な視線を感じるようになった。


 護衛がつくことで得体の知れない不安を少しでも解消できるのなら、雇うメリットは充分あるのだろう。


「……わかったわ」


 多少の心配は残るものの、仕方のないことだと心の中で言い聞かせながら首肯した。



 こうして、初めて専属の付き人を雇うことになった。


 元々ドライバーを雇用していたが、ボディーガードも兼任できる人材に交代してもらうよう手配をして。

 手続きが完了した翌日には、早速ドライバーが別の人に変わっていた。


 登校時の朝、家の前で待機していた高級車の運転席から出てきたのは、中肉中背の若い男性だった。


 護衛も担うと言うから屈強な男を想像していたが、意外にも普通の体躯で拍子抜けする。

 しかし、雰囲気は落ち着いており、所作も手慣れたもので、若く見えるのに貫禄がある。第一印象としては悪くなかった。


出海いずみです。今日から夕莉さんの付き人として仕えることになりました。よろしくね」


 勝手に堅苦しい人とイメージしていたから、にこやかな笑顔を向けられて一瞬戸惑う。


 出海は夕莉の反応を意に介さず、後部座席のドアを開けて乗車を促した。

 ドアの上部に手を添えるという気遣いはしっかりできている。


 彼の一挙手一投足をさりげなく観察しながら、夕莉は車に乗り込む。


 隣の座席には、見知らぬくまのぬいぐるみが置かれていた。

 小さな子どもくらいの大きさはある、可愛らしいモコモコのぬいぐるみだった。


「これは……?」

「僕からの細やかな贈り物です。移動の合間だけでも、癒しのひと時を感じてもらえたらと思って……あ、邪魔だったなら退かします」


 ニコニコと微笑んだかと思えば、思い出したように慌てた挙動をする。

 誠実そうな外見とは裏腹に、親しみやすい人なのかもしれないと思った。


 それに、ぬいぐるみは好きだ。

 与えられて嫌な気持ちはしないし、むしろ嬉しい。


「いいえ……ありがとう」


 いきなりのプレゼントに驚きながらも、夕莉は小さく笑った。



 普段は登下校時の送迎、所用で外出する場合などの付き添いでしか、出海と顔を合わせることはなかった。

 懸念していた過干渉についても杞憂だったほど、日常に何の差し障りもない。


 彼は気配を消すのが得意なようで、外出時になるべく一人になりたいと言えば、気付かれない距離まで離れてくれる。

 いつしか、外で知らない人物に突然声をかけられることはなくなった。


 車内に二人でいる時も、必要以上に会話はしない。

 気分が晴れない時は、空気を読んでそっとしておいてくれる。

 逆に、話しかければ喜んで応えてくれた。


 近すぎず、遠すぎない距離感。

 夕莉にとっては、その絶妙な塩梅がちょうどよかった。


 出海が付き人になってから精神的な不安は減ったものの、学校で告白される頻度は変わらないどころか増えていた。

 いくら付き合う気はないと断っても、恋人がいないからと執拗に諦めてくれない人が一定数いる。


 先日のバレンタインデーでは、到底食べきれない数のチョコレートやお菓子を貰って、どう消費しようかと困っていたところだ。


 それから数日後の放課後。

 帰り際に同じクラスの男子から、ついて来てほしいと言われた。


 怪訝に思いながらも、渋々後をついて行く。誘い出された先は、人気のない校舎裏だった。

 またこのパターンかと、内心ため息を吐く。しかも、この男子に告白されたのは一度や二度ではない。


 いい加減本気でやめさせる方法はないかと考えていたら、不意に腕を掴まれ、壁に体を押し付けられた。

 抵抗しようと力を入れるも、思いの外強く押さえられているせいでびくともしない。


 男子の顔が徐々に近付いてきた時、横から誰かが彼の手首を掴み上げた。


「彼女、僕と付き合ってるから。悪いけど諦めてくれる?」


 見ると、割り込んできたのは出海だった。

 笑顔だけれど、目の奥は笑っていない。

 威嚇するようなオーラに物怖じした男子は、そそくさと逃げていった。


 思いもよらない出来事に、動揺が治らない。

 そんな夕莉に向けて、出海は優しく手を差し伸べた。


「帰ろう」


 不思議なことに、彼を前にすると安心感を覚える。

 気付かないうちに、それほどまで信頼を寄せていたということなのだろう。

 差し出された手をそっと握ると、出海は顔を綻ばせた。


 車に乗り、帰路につく。

 外の景色を眺めながら、夕莉は気になっていたことを尋ねた。


「……ねぇ、どうしてあそこに……?」


 いつもなら車内で待っているのに、今日という日に限って外に出ていた。

 しかも校内にまで入って。


 ただの偶然なのか、それとも夕莉の身に何かが起こることを察知したのか。

 あまりに都合の良いタイミングで現れたものだから、予知能力でもあるのかと思ってしまった。


「僕は夕莉さんの付き人だから。危険が迫れば、どこへだって駆けつけるさ」


 答えになっているような、なっていないような。

 どことなくはぐらかされた感じもするが、頼もしい言葉を聞けたのは嬉しかった。


 出海は当然だとでも言いたげに得意顔をしたあと、苦笑をこぼす。


「あっ、ごめんね、あんなこと言って。その場凌ぎで咄嗟に出ちゃっただけだから、気にしないで」

「別に、大丈夫よ。……出海さんなら、恋人のふりをしてもらうのも悪くないって思ったから」


 以前、杏華から提案された、カモフラージュのための恋人を作るという対策。

 希薄な繋がりしかない相手と恋仲を演じるのは抵抗があった。

 しかし、ただの雇用関係かつ信頼のおける彼がその役割を担ってくれるのなら、余計な気を遣わずに済む。


「自分から言っといてなんだけど、それって大丈夫? 年齢差とか」

「ぎりぎり高校生に見えなくもない、かも」

「高校生かぁ。……そんなに童顔かな」


 苦渋の表情で眉根を寄せる出海の顔がバックミラー越しに見えて、夕莉は思わず笑みを浮かべた。






 学校から家までは、車で片道30分ほどの距離がある。

 移動中、普段は後部座席でじっとしているか、窓の外を眺めている夕莉でも、車の揺れに誘われて時々眠ってしまうことがあった。


 家の前に到着し、車を停車させる。

 バックミラーに映る夕莉の寝顔を確認してから、出海は車を降りた。

 そして、夕莉を起こさないよう静かに後部座席のドアを開く。


「……今日もいろんな人に見られてたね。仕方ないか。こんなに可愛くて、見惚れるほど綺麗だから……でもやっぱり、嫉妬しちゃうな」


 規則正しい寝息を立てる夕莉の頬に手を添えて、慈しむようにそっと撫でると、今度は流れるような手つきで髪を触る。


「夕莉さん、もう少し自覚した方がいいよ。君には、人を惹きつける魔性の魅力があるってこと」


 好色を匂わせる眼差しで、未だ目覚めない夕莉をじっと見つめながら、指に絡ませた髪に口付けした。


「もういっそ、本当の恋人になっちゃおうか。――僕たちの仲を、誰にも邪魔させないためにも」

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