第80話 いつも通り

 下校時。

 昇降口の前で夕莉を待つ。


 彼女のいる特進クラスは、今日は七限まである。

 私のクラスは六限までだったから、図書室で自習をしつつ時間を潰していた。


 七限目の授業が終わる頃合いを見計らって待ち合わせ場所に来たものの、三十分経っても姿を見せない。


 いつもなら、遅れる時は必ず事前に連絡をくれるのだけど、今のところ電話もメッセージも届いていない。

 木崎さんにも確認して、放課後に生徒会活動がないことは把握済みだ。


 とすると、連絡を入れるタイミングもないほどの急用ができたのだろうか。

 それとも、まさか私に何も言わず……。


 そんなことはないと思いながら、スマホを取り出してメッセージアプリを開く。

 毎回、夕莉の方からまめに連絡をくれるおかげで、あまりこっちから発信することはなかったけれど。


『今どこにいる?』と打とうとした直前、最後の確認で校内を覗いてみたら、偶然にも夕莉の姿を発見した。

 私と目が合う。まだ校内にいたことに安堵しながら手を振った。


「お疲れ」


 夕莉は微妙に視線を逸らしながら、黙って私のところへ歩み寄る。


 若干、表情が曇っているように見えなくもない。

 何か後ろめたいこと、もしくは嫌なことがあった時にする顔、だと思う。


 何があったのか、訊きたい。

 連絡をくれなかった理由とか、私と目を合わせようとしないのはわざとなのかとか。

 私に非があるのなら、どこが気に食わなかったのか、はっきり指摘してほしいし咎めてほしい。


 何も言わずに態度だけ変えられるのが一番応える。

 私のどこがダメで何を直せばいいのか、改善のしようがない。


 だけど今それを言及したところで、またはぐらかされるのだろう。

 余計な気遣いはするなと言われたばかりだし、下手に詮索すれば、今度は確実に機嫌を損ねてしまうかもしれない。


 何より、夕莉がどんな態度を取ろうが、私はいつも通り接すると決めた。


 気を遣わないように気を遣う。

 そうやって意識しないと、私的な感情で夕莉のことを気にかけてしまうから。


 本当は心配で堪らないのに。

 どういうわけか今の彼女は、私に心を閉ざしている。


 スマホを握っている手に少しだけ力を込めて、気持ちを切り替えるように無理やり笑顔を作った。


「先に帰っちゃったかと思ってヒヤヒヤしたよ。ちょうど今連絡送るとこだった」

「……少し、急用が入ってしまって……ごめんなさい」

「だいじょーぶ。さ、帰ろっか」


 アプリを閉じて、スマホをポケットにしまう。


 急用……か。

 多分、連絡できなかったんじゃなくて、しなかった。そんな気がする。


 私が昇降口で待っていなければ、夕莉はどうしていたんだろう。

 私を呼び出してくれただろうか。

 それとも、一人で帰っていた……?


 もしものことを考えても仕方がない。

 この後夕飯の買い出しにも行かないといけないから、早めに出ないと。


 少し歩いたところで、隣に夕莉が来ていないことに気付く。

 振り向いて見たら、私の数歩後ろをついていた。


「夕莉?」


 立ち止まると、同じように足を止めて。

 ちらっと私を見たかと思えば、すぐに視線を落としてそのまま直立している。


 今まで私が夕莉の後ろを歩くことはあっても、その逆は一度もなかった。

 当たり前だ。護衛対象を視界の外に置くなんて、そんな危険なことはできない。

 今はまだ学校の敷地内だから大丈夫だけど。


「私より後ろ歩いてどうすんのよ。ほら、おいで」

「…………」

「また前みたいに離れて歩こうか?」


 冗談混じりに提案する。

 夕莉は目を逸らしたまま、無言を貫いていた。


 ……あれ。もしかして本当に離れてほしいと思ってる……?


 肯定も否定もしていないけれど、それはもう答えが出ているようなものだ。

 頑張って作った苦笑が、強張ってしまいそうになる。


 いつの間に、これほど変わってしまったのだろうか。

 私の隣にいるのも躊躇うほど嫌いになったというのなら、いっそのこと――。


「……いえ」


 胸の痛みを誤魔化すように強く手を握り締めた時、夕莉が静かに呟いて、首を横に振った。

 離れなくていい、という解釈でいいのだろうけど……手放しで喜べなかった。


「よかった。加賀宮さんに見られたら、またストーカー呼ばわりされちゃうからさ」


 作り物の笑顔を向ける。

 表情筋ってこんなに動かしづらかったっけと思うくらい、口角を上げるのが辛い。

 顔が引きつっていないか心配だったけれど、幸い夕莉は私を見ていなかった。


 離れる必要はないと言いつつ近寄ってこない夕莉の代わりに、私が隣へ戻る。

 俯きがちな彼女の顔をそっと覗き込むと、心なしか悲しげな目をしていた。


 ズキっと、胸の奥が締め付けられるような苦しみを覚える。


「……小テストの点数、悪かった?」


 夕莉に限ってそんなことはないだろうに、しょうもない揶揄い文句しかかける言葉が見つからない。


 一体何に悩んでいるのか、どうすればその悩みは解決するのか、私は彼女の力になれるのか。

 わからないこと、知りたいことがたくさんあるのに、安易に踏み込めない現状が歯痒い。


 私の的外れな問いに、夕莉が再び首を横に振る。

 こうやって意思表示してくれるだけでも、無視されるよりは断然マシなのだろう。


 一向に表情が晴れない夕莉を、なんとか元気づけたくて。


「そうだ。帰ったら夕莉の好きなお菓子も作るから、楽しみにしててよ」


 食べ物で機嫌をとろうなんて、考えが安直すぎるのは自覚しているけれど。

 付き人の立場として介入できる範囲内で、それ以外の方法が思い浮かばない。


 精一杯取り繕った私の言葉に、夕莉は小さく頷いた。


 何で――そんなに辛そうな顔をするの。


 大切な人が目の前で陰鬱としている様子を、平気で見過ごせるわけないのに。

 私だって、誰かを想って心配したり不安になったりするんだよ。


 もし、全て私のせいだというのなら、思い切り拒絶して、突き放してくれたらいい。

 なのに、そうしないのはどうして……?


 心の中で渦巻くいろんな感情を面と向かって吐き出すこともできず、胸の痛みだけがどんどん蓄積されていく。


 ただいつも通り振る舞うのが、こんなにも難しいことだとは思いもしなかった。




 普段は、神坂邸のマンションの近所にあるスーパーで買い出しをしている。

 今日も例に漏れず、そこで夕飯に必要な食材を購入した。


 高級住宅街にあるお店なだけあって、スーパーといえどお値段はセレブ向けだ。

 金銭感覚がド貧乏な私は、いつ来ても信じられない価格の高さに慣れなくて。


 自費ではないとはいえ、この食材は高すぎるとか、あれの方がお得意に買えるとか、無駄にケチ臭くなってしまう。

 その度に夕莉がたしなめたりしていたおかげで、話しながらいつもは買い物も楽しくできていたけれど。


 今日はほぼ会話なし。


 ……というのは少し語弊があるか。

 厳密には、今朝のように私が一方的に話しかけるだけで、夕莉が生返事をするか首を振るかのみで応えていたため、会話のキャッチボールができなかった。


 それから話が弾むこともないままマンションに帰って、夕莉は真っ先に自室へ閉じこもった。


 これはあからさまに避けられているわけではなくて、以前からの習慣なのだ。

 基本的に、彼女は夕飯の時間になるまで自室にいることが多い。

 その間に私は杏華さんと食事の準備をする。


 少しでも元気になってほしくて、作ると宣言したお菓子――生チョコブラウニーが完成した時、時刻は十九時になる約十分前だった。


 あとは夕飯の準備ができたと夕莉に伝えて、今日の業務は終わりになりそうだ。


「見事な出来栄えですね。きっとお嬢様もお喜びになりますよ」

「そうだといいんですけど……」


 出来上がったブラウニーを見て、杏華さんが感嘆の声を上げる。

 苦笑する私に、屈託のない笑顔を向けてくれた。


 何だか、今は無性にその優しい微笑みが心に刺さる。

 杏華さんは、どんな時も雰囲気が和やかだなと思って。


 夕莉の様子が変わったことは当然知っているのに、表面上では心配しているような素振りを見せない。

 私なんかよりも夕莉のことをわかっているから、こうなってしまった時の扱い方も慣れているのだと思う。


「夕莉を呼んできますね」

「はい、お願いします」


 エプロンを外し、夕莉の部屋へ向かう。

 重たい足取りで長い廊下を進み、目的の場所に着いた。


 閉ざされたドアの前で一度大きく深呼吸してから、コンコンとノックをする。


「夕莉、ご飯の用意できたよー」

「…………」


 返事はない。

 寝ているのか、イヤホンをしているとかで私の声が届かない状態なのか、はたまた無視しているのか。


 反応がないまま帰るわけにもいかないので、再度声をかけようとした時。


「…………奏向」


 ドア越しに、私の名前を呼ぶ夕莉の声が聞こえた。


「ん? どした?」


 久しぶりに向こうから話しかけてくれたことに嬉しさを感じながら、どこか寂しげな声音に不安も覚える。


 耳を澄ませて、次の言葉を待っていたら。

 思いもよらない指示に、思考が停止した。


「私を……滅茶苦茶にして」

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